ユリアナ (オランダ女王)

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ユリアナ
Juliana
オランダ女王
Juliana 1963.jpg
ユリアナ(1963年)
在位 1948年9月4日 - 1980年4月30日
全名 Juliana Louise Emma Marie Wilhelmina
ユリアナ・ルイーゼ・エンマ・マリー・ウィルヘルミナ
出生 1909年4月30日
オランダの旗 オランダデン・ハーグ
死去 2004年3月20日(満94歳没)
オランダの旗 オランダバールンスーストダイク宮殿
埋葬 2004年3月30日
オランダの旗 オランダデルフト新教会
配偶者 ベルンハルト・ファン・リッペ=ビーステルフェルト
子女 ベアトリクス
イレーネ
マルフリーテ
クリスティーネ
王家 オラニエ=ナッサウ家
父親 ヘンドリック・ファン・メクレンブルフ=スウェリーン
母親 ウィルヘルミナ
宗教 キリスト教改革派教会
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ユリアナオランダ語: Juliana、ユリアナ・ルイーゼ・エンマ・マリー・ウィルヘルミナ・ファン・オラニエ=ナッサウ、オランダ語: Juliana Louise Emma Marie Wilhelmina van Oranje-Nassau1909年4月30日 - 2004年3月20日)は、オランダ女王(在位:1948年9月4日 - 1980年4月30日)、メクレンブルク公女、リッペ=ビーステルフェルト公妃。

生涯[編集]

王女[編集]

ウィルヘルミナ女王とメクレンブルク公ハインリヒ(ヘンドリック)の娘としてハーグで生まれた。

1937年にリッペ=ビーステルフェルト公ベルンハルトと結婚、1938年に長女ベアトリクス王女を出産した。その後も、イレーネ王女マルフリーテ王女マリーエ・クリスティーネ王女が誕生し、4人の娘に恵まれた(三女のマルフリーテは、カナダに亡命している間にオタワで誕生している[1] )。

1940年ナチス・ドイツによる侵略とその後の占領により、母ウィルヘルミナ女王と共にイギリス亡命する。さらにウィルヘルミナ女王の計らいで、ユリアナは娘たちを連れ、ウィルヘルミナの従妹であるカナダ総督夫人アリスを頼ってカナダに亡命した[1]

女王即位[編集]

第二次世界大戦終結後、本国に帰国した。1948年、母の譲位で王位に即いた。戦後本土が荒廃し、オランダ領東インドなどの植民地を失ったオランダを建て直し、再び繁栄の時代をもたらした。1980年に王位を長女のベアトリクスに譲り、2004年スーストダイク宮殿で崩御した。

子女[編集]

リッペ=ビーステルフェルト公ベルンハルトとの間には四女を儲けた。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b カナダは当時イギリス自治領であり、カナダで誕生した者にはイギリス国籍が与えられた。しかし、オランダは二重国籍を禁止しており、また「王位継承者はオランダで誕生した者に限る」という法律が存在したため、マルフリーテのオランダ国籍と王女としての資格が喪失されかねない事態に陥った。そのためカナダ議会は、ユリアナたちが滞在している病室をオランダの治外法権区域とする特別法を可決し、マルフリーテの権利を保護した。ユリアナはこれに深く感謝し、戦後オタワにチューリップの球根を贈呈している。