ドレミのうた
『ドレミのうた』(どれみのうた、英: Do-Re-Mi)は、ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の歌の1つ。オスカー・ハマースタイン2世作詞、リチャード・ロジャース作曲。
映画でも用いられ、広く知られている。
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[編集] 概要
ヒロインであるマリア・フォン・トラップ先生がトラップ一家の子供達に音名(ドレミ)を教える場面で、マリア先生と子供達によって歌われる歌である。のちにミュージカルが映画化され、有名になった。ミュージカルから離れても広く愛唱されており、非常に有名な歌である。子供が学校で初めて覚える歌の1つでもある。
各節の歌詞の冒頭が「ドレミファソラシ」になっていて、なおかつ各節のメロディの冒頭も「ドレミファソラシ」になっているため、音名を覚えるには最適とされる。この発想自体、イタリア語音名(ドレミ)の由来となった『聖ヨハネ賛歌』と通じるものがある。
ちなみに、原曲はハ長調ではなく変ロ長調であり、固定ド唱法では「シ♭ドレミ♭ファソラ」となる。
[編集] 日本語詞
[編集] ミュージカル版
1965年(昭和40年)に開始された『サウンド・オブ・ミュージック』の日本公演では、滝弘太郎による日本語詞が使われてきた[1]。滝は、英語原詞を直訳して日本語にすると歌詞が長くなりすぎて音符に乗らず、意訳するとミュージカルと繋がらなくなるということで、日本語詞には苦心したという[1]。また、1992年(平成4年)からの日本公演では、宮本亜門による新たな日本語詞が使われている[1]。
[編集] ペギー葉山版
| ドレミのうた | ||||
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| ペギー葉山 の シングル | ||||
| リリース | 1961年 | |||
| 規格 | レコード | |||
| 録音 | 1961年 |
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| 作詞・作曲 | ペギー葉山(訳詞) | |||
| ペギー葉山 シングル 年表 | ||||
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日本ではジャズ及び歌謡曲の歌手・ペギー葉山が日本語の歌詞をつけて紹介したもの(1961年(昭和36年)にレコード発売、1962年(昭和37年)にNHKの「みんなのうた」で使用された)がよく知られており、音楽の教科書にも掲載された。
ペギーが1960年(昭和35年)にロサンゼルスで開催された日米修好100年祭に招待された直後にブロードウェイに立ち寄り、そこで見た『サウンド・オブ・ミュージック』に感銘を受け、劇場の売店で譜面を購入し日本に持ち帰った[2]。
ペギー葉山による日本語詞はアメリカのイメージが強いドーナツが登場する[1][3]など、ミュージカルとの関連性が希薄になっている(ミュージカルはオーストリアの一家の物語)。そのこともあり、『サウンド・オブ・ミュージック』の日本公演でペギーの詞が使われることは長らくなかった[1]。しかし、2007年からの劇団スイセイ・ミュージカルによる、『サウンド・オブ・ミュージック』では、ペギー葉山が修道院長役で出演し、はじめてペギー葉山版の歌詞が使用された。2010年の劇団四季による『サウンド・オブ・ミュージック』上演でもペギー葉山版の歌詞が使用されている。
映画版でマリアを演じたジュリー・アンドリュースも、1977年の来日コンサートで「ドレミの歌」を歌った際、途中からベギー葉山版の日本語詞を披露している。
なお、アニメ『トラップ一家物語』では、主題歌にペギー版歌詞の本曲が用いられた(詳細はトラップ一家物語#主題歌を参照)。
ペギーは本曲の日本語詞を作詞したことが縁となり、1995年(平成7年)にNHKのテレビ番組「世界・わが心の旅」で、当時存命中であったトラップ家の人々との対面が実現した[4]。
[編集] その他の日本語版
岩谷時子の日本語詞により宮城まり子が歌ったもの、萩原芳子の日本語詞により九重佑三子が歌ったものが存在する。
フジテレビの番組「オールスター家族対抗歌合戦」ではオープニングテーマに本曲が使用されたが、歌詞は番組オリジナルの日本語詞であった。
[編集] 歌詞
英語原詞は、それぞれの音名について、同じまたは似た発音の単語を使っている(例えば英: doe(ド)は英: female Deer(雌鹿)、英: ray(レ)は英: a drop of golden sun(黄金色の太陽からこぼれおちた光)、英: me(ミ)はミー、ラには適当な単語がなかったのか「ソの次の音」)。なお、英語では si「シ」音を ti「ティ」と発音する[5]ので、英: tea(紅茶)に掛けている。
多くの日本語詞では、音名が頭につく単語を用いている(例えばド:ドーナツ(ペギー葉山版)、ド:ドラム(宮本亜門版)、ド:甘いドロップ(宮城まり子版)、ド:どこまでも(九重佑三子版))。
ペギー葉山版では当初、すべて食べ物にしようとしていたが(ミはミカンなど)、「ファ」で始まる食べ物がファンタしか思いつかず、商品名(商標名)になるため断念した[6]というエピソードがある。また、ペギー版の2番の詞は、レコード化される際に新たに付け加えられたものであり、ペギーが東北地方へコンサートに出かけた際に、車窓から小学校で運動会の予行演習をしていた子供たちの姿を見て、歌詞にしたものである[6](英語原詞には2番は存在しない)。
[編集] 脚注
- ^ a b c d e 読売新聞文化部『唱歌・童謡ものがたり』岩波書店、1999年、52頁。ISBN 4000233408
- ^ 『唱歌・童謡ものがたり』50頁。
- ^ ペギー自身が戦時中の集団疎開で食べ物が乏しい中、一番食べたかったものが母親手作りのドーナツだったことからこの歌詞を着想したと語っている(劇団四季編集部編『サウンド・オブ・ミュージック』2010年)。
- ^ 『唱歌・童謡ものがたり』53頁。
- ^ ドレミファソラ「ティ」?
- ^ a b 『唱歌・童謡ものがたり』51頁。
[編集] 関連項目
- ドレミ(どれみ)