コトル
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| コトル Kotor Котор |
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コトルのパノラマ |
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| 位置 | |||
| 座標 : 北緯42度25分48秒 東経18度46分12秒 / 北緯42.43度 東経18.77度 | |||
| 行政 | |||
| 国 | |||
| 市 | コトル | ||
| 市長 | Marija Ćatović (DPS) | ||
| 地理 | |||
| 面積 | |||
| 市域 | 335km2 | ||
| 人口 | |||
| 人口 | (2003年現在) | ||
| 市域 | 22,947人人 | ||
| 人口密度 | 68人/km2 | ||
| 市街地 | 5,341人人 | ||
| その他 | |||
| 等時帯 | CET (UTC+1) | ||
| 夏時間 | CEST (UTC+2) | ||
| 公式ウェブサイト : [1] | |||
コトル(セルビア語・クロアチア語:Котор / Kotor; イタリア語:Cattaro; ラテン語:Acruvium)は、モンテネグロの都市である。人口19,000人。
目次 |
[編集] 歴史
コトルが最初に言及されるのは、紀元前168年である。古代ローマ期を通してローマの属州であり、AcruviumやAscriviumまたはAscruviumとして知られた。
中世初期より強化が続き、535年のユスティニアヌス1世の時代に、Ascriviumの上に要塞都市として建築された。後にゴート族を退けている。おそらく10世紀にコンスタンティノス7世により第2都市が周辺の高地に建設されたことがLower Cattaroよりうかがえる。810年にサラセン人の略奪にあっている。
1002年、街は第一次ブルガリア帝国の占領下で苦しみ、翌年、ブルガリア皇帝(ツァーリ)サムイルにより、セルビアに割譲された。
(以下、未訳)
[編集] 周辺
近隣の古都市
- Dobrota
- Muo
[編集] 世界遺産
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| 英名 | Natural and Culturo-Historical Region of Kotor | ||
| 仏名 | Contrée naturelle et culturo-historique de Kotor | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | 文化遺産(1),(2),(3),(4) | ||
| 登録年 | 1979年 | ||
| 拡張年 | 2003年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 地図 | |||
| 使用方法・表示 | |||
コトルの自然と文化歴史地域は、1979年、ユネスコの世界遺産に登録された
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[2]からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
[編集] 外部リンク
| 文化遺産 | |
|---|---|
| コトルの自然と文化歴史地域 | |
| 自然遺産 | |
| ドゥルミトル国立公園 | |
| 世界遺産 | ヨーロッパの世界遺産 | モンテネグロの世界遺産 | 五十音順 | | |
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