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中学校からの卒業後に、[[岐阜県]]の[[大垣日本大学高等学校]]へ進学。硬式野球部監督の[[阪口慶三]]を慕っての進学で、1年時の春季岐阜県大会では、準々決勝で先発デビューを果たした。2年時の夏にエースとして[[全国高等学校野球選手権岐阜大会|選手権岐阜大会]]に臨んだが、登板試合で序盤に降板するなど本調子に程遠く、3回戦で[[岐阜県立岐阜商業高等学校|県岐阜商]]に敗れた。さらに、2年時の秋に右股関節痛を発症。秋季岐阜県大会や秋季東海地区高校野球大会に登板できなかったばかりか、エースの座を葛西(かっさい)侑也(卒業後に[[新日鐵住金東海REX]]へ所属)に譲った。[[明治神宮野球大会]]高校の部決勝・[[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大学付属相模高等学校]]戦の9回に実戦復帰を果たすと、セットポジションからの投球で2奪三振無失点と好投。チームも、10 - 9のスコアで逆転勝利を収めた末に、明治神宮大会での初優勝に至った。この実績が認められて、翌{{by|2010年}}の[[第82回選抜高等学校野球大会]]に出場すると、[[北照高等学校|北照]]との準々決勝で先発投手として[[阪神甲子園球場]]で初登板。9安打を浴びながらも、[[フォークボール]]を武器に1失点完投勝利を記録した。[[興南中学校・高等学校|興南]]との準決勝では、先発した葛西の後に登板したが、チームは0 - 10というスコアで大敗。結局、興南はこの年に[[甲子園連覇|甲子園球場の全国大会で春夏連覇]]を達成した。
中学校からの卒業後に、[[岐阜県]]の[[大垣日本大学高等学校]]へ進学。硬式野球部監督の[[阪口慶三]]を慕っての進学で、1年時の春季岐阜県大会では、準々決勝で先発デビューを果たした。2年時の夏にエースとして[[全国高等学校野球選手権岐阜大会|選手権岐阜大会]]に臨んだが、登板試合で序盤に降板するなど本調子に程遠く、3回戦で[[岐阜県立岐阜商業高等学校|県岐阜商]]に敗れた。さらに、2年時の秋に右股関節痛を発症。秋季岐阜県大会や秋季東海地区高校野球大会に登板できなかったばかりか、エースの座を葛西(かっさい)侑也(卒業後に[[新日鐵住金東海REX]]へ所属)に譲った。[[明治神宮野球大会]]高校の部決勝・[[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大学付属相模高等学校]]戦の9回に実戦復帰を果たすと、セットポジションからの投球で2奪三振無失点と好投。チームも、10 - 9のスコアで逆転勝利を収めた末に、明治神宮大会での初優勝に至った。この実績が認められて、翌{{by|2010年}}の[[第82回選抜高等学校野球大会]]に出場すると、[[北照高等学校|北照]]との準々決勝で先発投手として[[阪神甲子園球場]]で初登板。9安打を浴びながらも、[[フォークボール]]を武器に1失点完投勝利を記録した。[[興南中学校・高等学校|興南]]との準決勝では、先発した葛西の後に登板したが、チームは0 - 10というスコアで大敗。結局、興南はこの年に[[甲子園連覇|甲子園球場の全国大会で春夏連覇]]を達成した。


高校からの卒業を機に[[JR東日本硬式野球部|JR東日本]]へ入社すると、1年目の{{by|2011年}}春に、[[JABA東京スポニチ大会]]の[[日本製紙石巻硬式野球部|日本製紙石巻]]戦に救援投手として公式戦にデビュー。2回1安打4奪三振無失点と好投した。在籍中には、3年間で([[NPB]]球団との交流戦含む)公式戦14試合に登板。通算で41イニングを投げたが、[[社会人野球日本選手権大会]]や[[都市対抗野球大会]]の本大会では登板機会がなかった。ただし、3年目の{{by|2013年}}には、9月の[[JR北海道硬式野球部|JR北海道]]戦で、6四死球を出しながらも被安打1で完封勝利。[[読売ジャイアンツ (ファーム)|読売ジャイアンツ(巨人)二軍]]との交流戦では、入社以来5試合に登板すると、通算8イニングで6被安打5奪三振4四死球2失点という成績を残した。1年目の6月には、救援投手として4回を無安打無失点に抑えた末に、チームも6- 5のスコアで逆転勝利を収めた。また、3年目の6月に登板した試合では、[[ストレート|速球]]で自己最速の150km/hを計測している。
高校からの卒業を機に[[JR東日本硬式野球部|JR東日本]]へ入社すると、1年目の{{by|2011年}}春に、[[JABA東京スポニチ大会]]の[[日本製紙石巻硬式野球部|日本製紙石巻]]戦に救援投手として公式戦にデビュー。2回1安打4奪三振無失点と好投した。在籍中には、3年間で([[NPB]]球団との交流戦含む)公式戦14試合に登板。通算で41イニングを投げたが、[[社会人野球日本選手権大会]]や[[都市対抗野球大会]]の本大会では登板機会がなかった。ただし、3年目の{{by|2013年}}には、9月の[[JR北海道硬式野球部|JR北海道]]戦で、6四死球を出しながらも被安打1で完封勝利。[[読売ジャイアンツ (ファーム)|読売ジャイアンツ(巨人)二軍]]との交流戦では、入社以来5試合に登板すると、通算8イニングで6被安打5奪三振4四死球2失点という成績を残した。1年目の6月には、救援投手として4回を無安打無失点に抑えた末に、チームも6- 5のスコアで逆転勝利を収めた。また、3年目の6月に登板した試合では、ストレートで自己最速の150km/hを計測している。


[[2013年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2013年のNPBドラフト会議]]で、[[中日ドラゴンズ]]から4巡目で指名。契約金4,500万円、年俸900万円(金額は推定)という条件で入団した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013112000871 中日、4位阿知羅と仮契約=プロ野球ドラフト] 時事通信 2013年11月20日</ref>。背番号は'''30'''。この会議では、JR東日本でのチームメイトのうち、[[吉田一将]]が1巡目で[[オリックス・バファローズ]]、[[田中広輔]]が3巡目で[[広島東洋カープ]]から指名。いずれも後に入団している。
[[2013年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2013年のNPBドラフト会議]]で、[[中日ドラゴンズ]]から4巡目で指名。契約金4,500万円、年俸900万円(金額は推定)という条件で入団した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013112000871 中日、4位阿知羅と仮契約=プロ野球ドラフト] 時事通信 2013年11月20日</ref>。背番号は'''30'''。この会議では、JR東日本でのチームメイトのうち、[[吉田一将]]が1巡目で[[オリックス・バファローズ]]、[[田中広輔]]が3巡目で[[広島東洋カープ]]から指名。いずれも後に入団している。

2019年5月31日 (金) 11:17時点における版

阿知羅 拓馬
中日ドラゴンズ #30
ナゴヤ球場にて(2017年9月20日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1992-11-20) 1992年11月20日(31歳)
身長
体重
190 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2013年 ドラフト4位
初出場 2016年4月27日
年俸 700万円(2019年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

阿知羅 拓馬(あちら たくま、1992年11月20日 - )は、中日ドラゴンズに所属する大阪府出身のプロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

プロフィール上の出身地は大阪府だが、実父が宮崎スポーツ振興会の職員であることから、実際には大阪府内で出生後に宮崎県内で生活していた[2]。西都市立三財中学校時代は、宮崎情熱ボーイズ(現在の宮崎西部ボーイズ)に所属。中学3年時の2007年には、日本代表チームの一員として、第18回世界少年野球大会で優勝を経験した。

中学校からの卒業後に、岐阜県大垣日本大学高等学校へ進学。硬式野球部監督の阪口慶三を慕っての進学で、1年時の春季岐阜県大会では、準々決勝で先発デビューを果たした。2年時の夏にエースとして選手権岐阜大会に臨んだが、登板試合で序盤に降板するなど本調子に程遠く、3回戦で県岐阜商に敗れた。さらに、2年時の秋に右股関節痛を発症。秋季岐阜県大会や秋季東海地区高校野球大会に登板できなかったばかりか、エースの座を葛西(かっさい)侑也(卒業後に新日鐵住金東海REXへ所属)に譲った。明治神宮野球大会高校の部決勝・東海大学付属相模高等学校戦の9回に実戦復帰を果たすと、セットポジションからの投球で2奪三振無失点と好投。チームも、10 - 9のスコアで逆転勝利を収めた末に、明治神宮大会での初優勝に至った。この実績が認められて、翌2010年第82回選抜高等学校野球大会に出場すると、北照との準々決勝で先発投手として阪神甲子園球場で初登板。9安打を浴びながらも、フォークボールを武器に1失点完投勝利を記録した。興南との準決勝では、先発した葛西の後に登板したが、チームは0 - 10というスコアで大敗。結局、興南はこの年に甲子園球場の全国大会で春夏連覇を達成した。

高校からの卒業を機にJR東日本へ入社すると、1年目の2011年春に、JABA東京スポニチ大会日本製紙石巻戦に救援投手として公式戦にデビュー。2回1安打4奪三振無失点と好投した。在籍中には、3年間で(NPB球団との交流戦含む)公式戦14試合に登板。通算で41イニングを投げたが、社会人野球日本選手権大会都市対抗野球大会の本大会では登板機会がなかった。ただし、3年目の2013年には、9月のJR北海道戦で、6四死球を出しながらも被安打1で完封勝利。読売ジャイアンツ(巨人)二軍との交流戦では、入社以来5試合に登板すると、通算8イニングで6被安打5奪三振4四死球2失点という成績を残した。1年目の6月には、救援投手として4回を無安打無失点に抑えた末に、チームも6- 5のスコアで逆転勝利を収めた。また、3年目の6月に登板した試合では、ストレートで自己最速の150km/hを計測している。

2013年のNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから4巡目で指名。契約金4,500万円、年俸900万円(金額は推定)という条件で入団した[3]。背番号は30。この会議では、JR東日本でのチームメイトのうち、吉田一将が1巡目でオリックス・バファローズ田中広輔が3巡目で広島東洋カープから指名。いずれも後に入団している。

プロ入り後

2014年には、一軍公式戦への登板機会がなく、ウエスタン・リーグ公式戦でも10試合の登板で防御率10.64という成績にとどまった。このため、シーズン終了後の契約交渉では、翌2015年の年俸に対してNPBの減額制限(25%)を適用することを球団から通告。当時のゼネラルマネージャー落合博満の方針による異例の通告で、落合から厳しい言葉を投げ掛けながらも、推定年俸675万円という条件で契約を更改した[4]

2015年には、ウエスタン・リーグ公式戦14試合に登板。しかし、0勝1敗、防御率8.40と振るわず、一軍公式戦への登板にも至らなかった。シーズン終了後の契約交渉では、前年に続いて減俸制限を適用された末に、推定年俸507万円という条件で契約を更改した[5]

2016年には、ウエスタン・リーグ公式戦26試合に登板。7勝3敗、防御率1.51という好成績を残した。一軍公式戦でも、4月27日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)7回裏に登板したことを皮切りに、救援登板13試合で防御率2.51をマーク。シーズン終了後には、チームを代表して同リーグの優秀選手に選ばれた[6]ほか、入団以来初めての年俸増額(推定800万円)という条件で契約を更改した[7]

2017年には、ウエスタン・リーグ公式戦24試合に登板すると、リーグの最終規定投球回へ初めて到達。9勝3敗、防御率2.10、勝率.750という成績で最優秀防御率と最高勝率のタイトルを獲得したほか、日刊スポーツが選定するウエスタン・リーグの努力賞や、2年連続の優秀選手賞も受賞した[8]。一軍公式戦では4試合の登板にとどまったが、10月4日の対DeNA戦(横浜)で初めての先発マウンドを経験。2本の本塁打と黒星を喫しながらも、7回2失点と好投した[9]

2018年には、右肩を痛めた影響などで、一軍公式戦での登板機会がなかった。ウエスタン・リーグ公式戦でも、18試合の登板で2勝5敗1セーブ、防御率5.13と振るわず、シーズン終了後には推定年俸700万円(前年から100万円減)という条件で契約を更改。秋季練習からは、投球フォームの改善に取り組んだ[10]

2019年には、4月29日の対阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)に、先発投手として自身2年振りの一軍公式戦登板を果たした。この試合では6回1失点と好投しながら、チームの完封負けによって黒星を喫した[11]が、5月5日に同ドームでの対東京ヤクルトスワローズ戦で再び先発。投球中に右手親指の皮がめくれるアクシデントに見舞われながら[12]も、3被安打2失点5奪三振という内容で5回を投げ切った。さらに、2回裏の第1打席に、適時打で一軍公式戦初安打・初打点をマーク。投打にわたる活躍で一軍公式戦初勝利を挙げたほか、チームにも令和時代の一軍公式戦初勝利をもたらした[13]

選手としての特徴

身長190cm・体重95kgと大柄な本格派右腕で、最速150km/hのストレートが最大の武器。スライダー、縦方向のカーブフォークボールなどの変化球も織り交ぜる。中日5年目の2018年までは、投球時に踏み出す左足の膝が早く折れる癖があった[10]せいで、制球に苦しんでいた。

クイックモーションが得意で、中日3年目の2016年以降の実戦登板でも、もっぱらクイックモーションで投げていた。しかし、2018年に一軍昇格を果たせなかったことから、2019年の春季キャンプから「(JR東日本の1年目の)19歳以来」というワインドアップポジションでの投球に戻している。阿知羅より長身(身長193cm)の右投手として中日などで活躍した門倉健投手コーチの助言によるもので、ワインドアップモーションによってボールを離す位置を高くしたことから、クイックモーションに比べて投球に角度が付くようになったという[14]

人物

対戦打者に威圧感を与える目的で、中日入団後の2017年シーズン終了後から顎に髭を蓄え始めると、もみあげとつながるように伸ばしている[15]。日本人の選手としては珍しい風貌だが、性格は優しく、報道陣への対応も非常に柔らかい。春季キャンプを二軍で迎えた2019年には、宿舎で根尾昂と同じ部屋を充てられた縁で、高卒新人の根尾と親しく交流。根尾に関する報道陣の質問にも、快く応じていた[12]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2016 中日 13 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 59 14.1 12 2 4 0 1 14 1 0 4 4 2.51 1.12
2017 4 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 54 13.0 12 2 5 0 0 8 0 0 7 7 4.85 1.31
NPB:2年 17 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 113 27.1 24 4 9 0 1 22 1 0 11 11 3.62 1.21
  • 2017年度シーズン終了時

記録

初記録
投手成績
打撃成績
  • 初打席:2017年10月4日、対横浜DeNAベイスターズ25回戦(横浜スタジアム)、2回表に濱口遥大から空振り三振
  • 初安打・初打点:2019年5月5日、対東京ヤクルトスワローズ9回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に寺原隼人から右前適時打

背番号

  • 30 (2014年 - )

登場曲

脚注

  1. ^ 中日 - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2019年1月19日閲覧。
  2. ^ JR東日本・阿知羅 拓馬投手!ドラフト指名おめでとうございます! ボールパークドットコム 2013年10月25日
  3. ^ 中日、4位阿知羅と仮契約=プロ野球ドラフト 時事通信 2013年11月20日
  4. ^ 中日・阿知羅 減額制限いっぱい675万円でサイン、GMから厳しい言葉 スポーツニッポン 2014年11月18日
  5. ^ 中日阿知羅25%ダウン507万円で契約更改日刊スポーツ 2015年11月6日
  6. ^ 中日二軍珍名コンビ、祖父江最多S&阿知羅優秀選手日刊スポーツ 2016年11月29日
  7. ^ 中日阿知羅「まだレベルを上げたい」初のアップ契約日刊スポーツ 2016年11月9日
  8. ^ 中日阿知羅「賞はうれしいがなおさら力不足感じた」日刊スポーツ 2017年11月20日
  9. ^ 中日阿知羅プロ初先発7回2失点も黒星「技術不足」日刊スポーツ 2017年10月4日
  10. ^ a b 中日・阿知羅は100万円減の700万円 来季に向けてフォーム改善中「方向性が見えてきた」 日刊スポーツ 2017年10月4日
  11. ^ 中日、連敗で借金1 今季3度目零敗で力投の阿知羅見殺しスポーツニッポン 2019年4月30日
  12. ^ a b 相部屋根尾と仲良し、優し大男/中日阿知羅こんな人日刊スポーツ 2019年5月5日
  13. ^ 中日お待たせ「令和」初勝利!先発阿知羅がプロ初白星スポーツニッポン 2019年5月5日
  14. ^ 中日・阿知羅「19歳以来」ワインドアップで2イニングを完璧 スポーツニッポン 2019年2月16日
  15. ^ 中日阿知羅、来季は「ひげ」でキャラ出していく日刊スポーツ 2017年12月25日

関連項目

外部リンク