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[[File:Okinaga Goryō.jpg|thumb|息長御陵]]
'''広姫'''(ひろひめ、生年不明 - [[敏達天皇]]4年11月)は、[[飛鳥時代]]の[[皇族]]。『[[古事記]]』は「'''比呂比売命'''(ひろひめのみこと)」と記す。[[息長真手王]]の[[娘]]で、母は未詳。[[敏達天皇]]に嫁いで、[[押坂彦人大兄皇子]]<ref>[[舒明天皇]]や[[茅渟王]]の父。</ref>、逆登皇女(さかのぼりのひめみこ)、[[菟道皇女|菟道皇女(うじのひめみこ)]]の1皇子2皇女を生む。敏達天皇4年1月9日([[575年]]2月4日)に[[立后]]されて[[皇后|大后]]となるが、同年11月(575年12月20日から[[576年]]1月18日まで)に[[死#死の表現|薨去]]した<ref>ちなみに、薨去後は額田部皇女(後の[[推古天皇]])が立后されている。</ref>。
'''広姫'''(ひろひめ、生年不明 - [[敏達天皇]]4年11月)は、[[飛鳥時代]]の[[皇族]]。『[[古事記]]』は「'''比呂比売命'''(ひろひめのみこと)」と記す。[[息長真手王]]の[[娘]]で、母は未詳。[[敏達天皇]]に嫁いで、[[押坂彦人大兄皇子]]<ref>[[舒明天皇]]や[[茅渟王]]の父。</ref>、逆登皇女(さかのぼりのひめみこ)、[[菟道皇女|菟道皇女(うじのひめみこ)]]の1皇子2皇女を生む。敏達天皇4年1月9日([[575年]]2月4日)に[[立后]]されて[[皇后|大后]]となるが、同年11月(575年12月20日から[[576年]]1月18日まで)に[[死#死の表現|薨去]]した<ref>ちなみに、薨去後は額田部皇女(後の[[推古天皇]])が立后されている。</ref>。



2013年12月16日 (月) 12:45時点における版

息長御陵

広姫(ひろひめ、生年不明 - 敏達天皇4年11月)は、飛鳥時代皇族。『古事記』は「比呂比売命(ひろひめのみこと)」と記す。息長真手王で、母は未詳。敏達天皇に嫁いで、押坂彦人大兄皇子[1]、逆登皇女(さかのぼりのひめみこ)、菟道皇女(うじのひめみこ)の1皇子2皇女を生む。敏達天皇4年1月9日(575年2月4日)に立后されて大后となるが、同年11月(575年12月20日から576年1月18日まで)に薨去した[2]

広姫の御陵近江国坂田郡(現滋賀県米原市)にある息長陵とされ、宮内庁の管理下にある。

脚注

  1. ^ 舒明天皇茅渟王の父。
  2. ^ ちなみに、薨去後は額田部皇女(後の推古天皇)が立后されている。