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* [[神山睦美]]・[[文芸評論家]]
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* [[佐藤嗣麻子]]・[[映画監督]]
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* [[及川拓郎]]・[[映画監督]]・[[脚本家]]・作家
* [[酒井くにお・とおる]]・[[漫才師]]
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* [[鈴々木保香]]・[[グラビアアイドル]]
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2010年3月16日 (火) 13:00時点における版

水沢市
廃止日 2006年2月20日
廃止理由 新設合併
水沢市江刺市前沢町胆沢町衣川村奥州市
現在の自治体 奥州市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
市町村コード 03204-2
面積 96.92km2
総人口 60,239
推計人口、2006年2月1日)
隣接自治体 江刺市一関市
胆沢郡前沢町金ケ崎町胆沢町
市の木 もみじ
市の花 しだれざくら
市の鳥 ひばり
水沢市役所
所在地 023-8501
岩手県水沢市大手町一丁目1番地
(現在の奥州市水沢区大手町一丁目1番地)
座標 北緯39度8分37.7秒 東経141度8分20.3秒 / 北緯39.143806度 東経141.138972度 / 39.143806; 141.138972
水沢市の県内位置図
ウィキプロジェクト

水沢市(みずさわし)は、岩手県の南西部にかつて存在した。周辺自治体と合併し、現在は奥州市の中心に位置する水沢区にあたる。

地理

北上盆地の南部に位置し、北に北上市、南に一関市がある。市の北部を西から東に流れる、胆沢川によって形成された胆沢扇状地の東端に位置し、南北に北上川が流れる。東部は北上山地の山並みが連なり、西部は扇状地の肥沃な大地が広がり胆沢町と接する。

隣接していた自治体

概要

水沢市の面積は96.92平方キロメートルと県内12市のなかではもっとも狭く、人口は約6万人と県内12市のなかでは5番目に多い。また1平方キロメートル当りの人口密度は約630人で、人口28万人の盛岡市を抜いて県内で一番高い。

産業構造は、商業・サービス業などの第三次産業が60%と高く、製造・建設業などの第二次産業は30%、農林業などの第一次産業は10%で、水沢市は商業都市としての性格が強い。実際、商業販売額は盛岡市に次ぎ、県南の中核的流通都市としての役割も大きい。

また、平安初期のアテルイ、江戸初期の後藤寿庵、幕末期の高野長英箕作省吾、明治初期の山崎為徳後藤新平斎藤實など大きな足跡を残した人物を輩出した「偉人のまち」として知られ、国立天文台水沢観測センターには「z項」の発見者、初代所長木村栄の記念館もある。

ダイヤモンド社が発行した「全国693都市ランキング1999」の中で、「暮らしやすさ」「豊かさ」「成長度」の3項目すべてが平均以上のベストシティに選ばれている。

歴史

地名の由来

「水沢」の地名の由来、縁起は不詳であるが、扇状地の扇端部地形に特徴的な伏流水や湧水がよくみられることから呼称された自然地名の可能性が高い。

沿革

約4万年~3万3000年前には、斜軸尖頭器を出土した柳沢舘遺跡などが存在し、旧石器時代から人が住んでいたと考えられる。

今から1200年前、日高見国胆沢は続日本紀に 「水陸万傾の地」と記されるほど、平和で豊かな土地であった。このころは、たび重なる朝廷側の攻略を受け、この地のリーダーであったアテルイ率いる蝦夷群は、徹底抗戦し朝廷軍を撃退した(巣伏の戦い)。しかし、延暦21年、坂上田村麻呂の戦略と戦いにより疲弊のため、ついにアテルイは都に送られて斬首された。この戦いの締めくくりとして、坂上田村麻呂はこの地に胆沢城を造営し、150年にわたる陸奥北半の経営拠点とした。これによって胆沢地方をはじめとするこの地方は律令体制下に組み込まれることになり、胆沢郡が新たに設置され、江刺郡・和賀郡・稗貫郡・紫波郡・岩手郡と共に奥六郡と称された。その後、安倍氏がこの六郡を支配する。前九年の役では水沢城付近に源頼義が陣を張ったとの伝承も残り軍事的にも拠点となった。

中世には衣川の安倍氏、平泉奥州藤原氏滅亡後、葛西氏が奥州総奉行となり胆沢には重臣であったとされる佐々木氏柏山氏が治める事になる。柏山氏は半独立した存在だったが、豊臣秀吉小田原の陣に呼応せず葛西氏同様に奥州仕置により改易され、子息が南部氏に仕えることになる。

江戸時代には胆沢郡は仙台藩伊達家の一門、水沢藩留守家の所領となり、宿場町として栄えた。奥州街道が南北を貫き、手倉街道、盛街道が交差する交通の要所として重要視さた。一国一城令により水沢城は四つの郭を二重の掘りで囲む城郭でしたが水沢要害と名称をかえ、留守氏の本城として明治維新まで続く。城を中心に家臣を配し、奥州街道沿いには商家町として商人を集め経済的にも確立し、その外側(東側)に寺院を集め小さいながらも寺町を形成し、いざという時の防衛の役割をもたせている。乙女川を筆頭に城下町内には小さな川が何本か流れ込み、町割りや堀に見立てるなど様々な工夫が見られ、後の水沢市の原型が形成された。また、キリシタン大名である後藤寿庵が胆沢川の水を引く用水堰の開削に尽力し、胆沢平野の開墾に大きな功績を残した。

明治時代には、廃藩置県により、胆沢県設置。その後、県合併により一関県、水沢県となる。

県南の中核都市の一つで、商工業が盛んな地域として発展。市東部の羽田地区では、江戸時代から続く伝統産業の鋳物や南部鉄器が有名。また、日本の天文学で重要な役割を担った緯度観測所(現・国立天文台水沢VERA観測所)がある。現在でも旧侍町には多くの侍屋敷が残り周辺の歩道の整備などに力を入れている。

これらの歴史を背景に、水沢からは多くの偉人が輩出されており、特に高野長英後藤新平斎藤実は水沢三偉人としてそれぞれ資料館や生家など史跡も多く残されている。

自治体としての水沢の歴史

行政

  • 最後の市長:高橋光夫(たかはし みつお・2004年1月29日就任)

日経パソコン誌が全国自治体の行政情報化の進展度を調査した「e都市ランキング2005」で、兵庫県西宮市に次いで全国2位の高評価を受けた。

姉妹都市・友好都市

経済

伝統産業

本社を置く主要企業

商業施設

マスメディア

新聞社

放送局

岩手めんこいテレビ(開局当初に水沢市に本社・演奏所を構えていたが、のちに盛岡市に移転した)

教育

専門学校

  • 岩手県立水沢高等看護学院
  • 水沢学苑看護専門学校

高等学校

中学校

小学校

  • 水沢市立水沢小学校
  • 水沢市立水沢南小学校
  • 水沢市立姉体小学校
  • 水沢市立真城小学校
  • 水沢市立佐倉河小学校
  • 水沢市立黒石小学校
  • 水沢市立常盤小学校
  • 水沢市立羽田小学校

学校教育以外の施設

交通

鉄道

道路

観光

国の史跡

国の重要文化財

  • 正法寺(本堂、庫裏、惣門が重要文化財)
  • 黒石寺(木造薬師如来坐像、木造僧形坐像、木造四天王立像が重要文化財)
  • 日高神社(本殿が重要文化財)
  • 留守家文書
  • 高野長英関係資料

国の重要有形民俗文化財

  • 黒石の十三塚

観光地

博物館施設

祭り

名物・特産物

スポーツチーム

出身有名人

水沢市名誉市民

  • 斎藤春子・斎藤実の妻

ゆかりの有名人

百選

関連項目

外部リンク