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佐藤洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 洋
東北高等学校硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県石巻市[1]
生年月日 (1962-06-09) 1962年6月9日(62歳)
身長
体重
182 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1984年 ドラフト4位
初出場 1987年4月14日
最終出場 1992年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴
  • 東北高等学校

佐藤 洋(さとう ひろし、1962年6月9日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手内野手)、野球指導者。

来歴・人物

[編集]

東北高校では、同期のエース中条善伸らと甲子園に4回出場。2年生時の1979年春の選抜には三塁手として出場。1回戦で下関商に敗れる[2]。同年夏の選手権も1回戦で済々黌高に大敗[3]

1980年春の選抜では二塁手に回り、2回戦(初戦)で松江商を降したが、準々決勝で丸亀商に惜敗[2]。同年夏の選手権は再び三塁手に戻り、1回戦で瓊浦高のエース本西厚博を打ち崩し勝利。2回戦では後関昌彦のいた習志野高を完封で降すが、3回戦で浜松商に逆転負け[3]。中条以外の高校同期に一塁手安部理がいた。

卒業後は電電東北に入社、強肩を活かし捕手に転向する。

1983年都市対抗に出場、1回戦で九州産交を降す。2回戦では東芝川端順から適時三塁打を放つが、投手陣が打ち込まれ敗退した[4]

1984年のドラフト4位で読売ジャイアンツに指名され入団、内野手に転向した[1]

1987年に一軍初出場。

1991年に13試合、翌年には7試合に二塁手三塁手として先発出場を果たす。投手、捕手以外のすべてのポジションをこなした。

1994年を最後に引退した[1]

その後、臨時コーチ等でアマチュア野球の指導に関わる。マスターズリーグ東京ドリームスの選手としてプレーした。モルツ球団の試合にもサポート参加している。 埼玉県で少年野球教室を開いている。

2022年8月1日付で、母校東北高校の野球部監督に就任[5]。丸刈りにしなくてもいい、練習中にユニフォームを着なくてもいい、練習中に音楽を流してもいい、など、高校野球らしからぬ指導方針をとった。就任1年目にして秋季東北地区高校野球宮城県大会で優勝し、同校12年振りとなる選抜高校野球大会出場を決めた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1987 巨人 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1988 27 17 14 3 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 2 0 1 5 0 .071 .235 .071 .307
1989 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1990 1 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1991 30 56 52 9 17 2 1 1 24 4 1 0 1 0 2 1 1 11 1 .327 .364 .462 .825
1992 34 52 45 4 12 2 0 0 14 2 1 0 3 0 3 1 1 10 3 .267 .327 .311 .638
通算:6年 97 132 118 16 30 4 1 1 39 6 3 0 4 0 7 2 3 28 4 .254 .313 .331 .643

記録

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背番号

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  • 40 (1985年 - 1994年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、255ページ
  2. ^ a b 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  4. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  5. ^ “宮城・東北高監督に元巨人佐藤洋氏が就任 前監督の富沢清徳氏は副部長 今夏は県準々決勝で敗退”. 日刊スポーツ. (2022年8月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202208020000213.html 2022年8月15日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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