後関昌彦
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県鎌ケ谷市 |
生年月日 | 1963年8月5日(61歳) |
身長 体重 |
180 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手、一塁手 |
プロ入り | 1981年 ドラフト外 |
初出場 | 1984年7月29日 |
最終出場 | 1992年6月2日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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後関 昌彦(ごせき まさひこ、1963年8月5日 - )は、千葉県鎌ケ谷市[1]出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。左投左打。
来歴
[編集]習志野高では2年生の時、控え選手ではあるが1980年夏の甲子園に出場。2回戦で東北高の中条善伸に完封を喫する[2]。
1981年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに投手として入団し、入団後に野手に転向[1]。
1983年にはイースタン・リーグのベストナイン(一塁手)に選出される。一軍では左の代打要員としての出場が主であったが、1988年には17試合に一塁手、左翼手として先発出場。しかし同年オフ、谷宏明との交換で近鉄に移籍[1]。
1989年には指名打者、一塁手として14試合に先発するが、その後は出場機会が減少。1990年11月に他球団へ移籍するためのセレクション会議にかけられるも、進展なく12月に自由契約。その後、オファーのない後関に対し近鉄が10%減の年俸900万円で再契約している。1992年限りで現役を引退[1]。
引退後は近鉄のスカウトを経て、現在は東北楽天ゴールデンイーグルスのスカウトを務める[3]。アマ・スカウトグループマネージャーを経て、2019年シーズンからスカウト部長兼任[4]。担当した選手は、永井怜、美馬学、松井裕樹、オコエ瑠偉、藤平尚真、高梨雄平など。 また、船橋リトルリーグナショナルコーチとして活動中。
エピソード
[編集]俳優の仲村トオルは同じ東葛地方の中学(後関:鎌ヶ谷二中、仲村:流山東部中)に通学しており(後関より2学年下)、「中学生時代に練習試合で対戦し、校舎の屋根を軽く越えるホームランを打たれた。」とラジオ番組(ニッポン放送「仲村トオルの待たせてゴメン」)で語っていた。
仲村によると、「中学生のなかに、一回りガタイの大きな選手がいて、それが(番組放送当時在籍していた)ヤクルトの後関選手だった」「(全力で投げたボールを軽く打ち返され)自分はプロ野球選手にはなれないと思った。プロになるのはこういうヤツなんだろうと思った」と語っている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1984 | ヤクルト | 7 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1985 | 9 | 9 | 9 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .333 | .333 | .333 | .667 | |
1987 | 24 | 24 | 24 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | .167 | .167 | .333 | .500 | |
1988 | 56 | 101 | 94 | 11 | 22 | 2 | 0 | 4 | 36 | 7 | 1 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 18 | 1 | .234 | .273 | .383 | .656 | |
1989 | 近鉄 | 42 | 78 | 71 | 1 | 15 | 3 | 0 | 1 | 21 | 5 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 0 | 15 | 2 | .211 | .253 | .296 | .549 |
1990 | 14 | 18 | 14 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | .071 | .235 | .071 | .307 | |
1991 | 5 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500 | |
1992 | 7 | 10 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .100 | .100 | .100 | .200 | |
通算:8年 | 164 | 250 | 232 | 16 | 47 | 6 | 0 | 6 | 71 | 14 | 1 | 0 | 6 | 0 | 12 | 0 | 0 | 52 | 8 | .203 | .242 | .306 | .548 |
記録
[編集]- 初出場:1984年7月29日、対横浜大洋ホエールズ15回戦(明治神宮野球場)、5回裏に井本隆の代打で出場
- 初先発出場:1984年8月16日、対広島東洋カープ20回戦(広島市民球場)、8番・左翼手で先発出場
- 初安打:1985年5月23日、対読売ジャイアンツ9回戦(明治神宮野球場)、9回裏に鳥原公二の代打で出場、江川卓から左前打
- 初打点:1987年6月2日、読売ジャイアンツ7回戦(明治神宮野球場)、7回裏に中本茂樹の代打で出場、鹿取義隆から適時二塁打
- 初本塁打:1987年6月3日、読売ジャイアンツ8回戦(明治神宮野球場)、7回裏に高野光の代打で出場、槙原寛己からソロ
背番号
[編集]- 60 (1982年 - 1987年)
- 37 (1988年)
- 36 (1989年 - 1992年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 後関昌彦 - NPB.jp 日本野球機構