島根県立松江商業高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
島根県立松江商業高等学校
島根県立松江商業高等学校.jpeg
過去の名称 島根県商業学校
島根県立商業学校
島根県立松江商業学校
島根県立松江第二工業学校
島根県立松江商業学校(再)
島根県立松江商業高等学校
島根県立松江産業高等学校商業科
国公私立の別 公立学校
設置者 島根県
校訓 誠実・質素・勤勉
設立年月日 1900年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 商業科
情報処理科
国際ビジネス科
学期 3学期制
高校コード 32106A
所在地 690-8525
島根県松江市浜乃木8-1-1
北緯35度26分10.4秒 東経133度3分29.9秒 / 北緯35.436222度 東経133.058306度 / 35.436222; 133.058306座標: 北緯35度26分10.4秒 東経133度3分29.9秒 / 北緯35.436222度 東経133.058306度 / 35.436222; 133.058306
外部リンク 公式サイト
Portal.svg ウィキポータル 教育
Project.svg ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
島根県立松江商業高等学校の位置(島根県内)
島根県立松江商業高等学校

島根県立松江商業高等学校(しまねけんりつまつえしょうぎょうこうとうがっこう, Shimane Prefectural Matsue Commercial High School)は、島根県松江市にある公立の商業高等学校。略称「松商」(まつしょう)。

概要[編集]

歴史
1900年明治33年)に開校した「島根県商業学校」を前身とする。2010年平成22年)に創立110周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 3学科
  • 商業科
  • 情報処理科
  • 国際ビジネス科
校訓
「誠実・質素・勤勉」- 1907年(明治40年)に制定。
校章
「商」の文字を図案化したもの。
校歌
商業学校時代の1908年(明治41年)に制定。作詞は湯川貫一、作曲は新谷八太郎による。歌詞は4番まであり、校名は歌詞に登場しないが、校訓が4番に出てくる。
同窓会
「振商会」(しんしょうかい)と称している。県外では東京近畿大阪)・鳥取米子広島に、島根県内では安来東出雲雲南などに支部を置いている。
財団法人
財団法人振商会として在校生に対し奨学金等の支援を行っている。
模擬会社
「未来創造会社 松商だんだんドットコム株式会社」生徒が中心となって設立された会社である。
「松商だんだんフェスタ」企画・運営をしている。
  • 役員
会長1名(松江商業高等学校長)
代表取締役社長1名(松江商業高等学校生徒)
その他(各事業部長各1名ずつ《生徒》)
  • 設立理念は
松江を松商から、もっともっと元気にしたい。
松商が日本で一番輝いている学校にしたい。
松商生が日本で一番輝いている生徒でありたい。
松商で学ぶ私たちが、未来の日本を創造します。

松商だんだんドットコム[編集]

2007年11月1日に開設されたウェブサイト。当時はドロップシッピングによって商品を販売するECサイトであった。名称の「だんだん」は「ありがとう」を意味する感動詞に由来し、客への感謝を表しているほか「だんだんドットコム」と「段々どっと込む」を掛け発展への願いを込めている。地元の産品を全国に人々に知ってもらうことを目標としており、在校生の地元における起業ないしは就職を促すという目的もあったとされる。松江の和菓子宍道湖シジミイノシシ肉のカレー飯南町)や出雲そばあご野焼きなど地元の企業による食品の販売を行っていた[1][2]。現在は松商だんだんドットコム株式会社の情報提供を行うウェブサイトとして運営されている。

沿革[編集]

商業学校時代

  • 1900年(明治33年)5月 - 殿町171番地に「島根県商業学校」(甲種商業学校)が開校(全国で32番目の商業学校)。
    • 初代校長に橋本基一(前職:大阪商業学校教諭)が就任。
    • 間もなく殿町濠端273番地に移転。
  • 1901年(明治34年)
    • 4月1日 - 予科を設置。
    • 6月 - 「島根県立商業学校」に改称。
  • 1902年(明治35年)4月 - 島根県師範学校寄宿舎(外中原町46番地)を借用し移転。
  • 1903年(明治36年)4月 - 旧・島根県師範学校の校舎(殿町8番地)に移転。
  • 1907年(明治40年)
    • 5月 - 皇太子が来校。
    • 9月 - 校訓(誠実・質素・勤勉)を制定。
  • 1908年(明治41年)5月 - 校歌を制定。
  • 1922年大正11年)8月 - 野球部、第8回全国中等学校優勝野球大会全国高等学校野球選手権大会、夏の甲子園大会の前身)に初出場。
  • 1925年(大正14年)
  • 1926年(大正15年)3月 - 野球部、第3回選抜中等学校野球大会に2回目の出場(2年連続)。
  • 1928年(昭和3年)3月 - 西津田町361番地に校舎を新築し移転を完了。野球部、第5回選抜中等学校野球大会に3回目の出場(2年ぶり)。
  • 1933年(昭和8年)4月1日 - 「島根県立松江商業学校」に改称[3]
  • 1936年(昭和11年)4月1日 - 定員を750名に増員。
  • 1940年(昭和15年)
  • 1943年(昭和18年)
    • 4月 - 中等学校令の施行により、この年度の入学生から修業年限を4年に短縮。
    • 10月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行の前倒しが決定される(中等学校令施行前の1941年(昭和16年)入学生から適用)。
  • 1944年(昭和19年)4月  - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、「島根県立松江第二工業学校」に転換。
    • 校長は島根県立松江第一工業学校の校長が兼任する。
    • 1年修了者は希望により工業科2年に編入、2・3・4年修了者はそれぞれ商業科3・4・5年生として在籍する。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月
      • 修業年限短縮の前倒しにより、4・5年(1940年(昭和15年)・1941年(昭和16年)入学生)合同の卒業式を挙行。
      • 決戦教育措置要綱[4]が閣議決定され、同年4月から翌年3月末まで授業が停止されることとなる。
    • 4月 - 授業を停止。学徒動員(勤労動員)は継続。
    • 5月22日 - 戦時教育令が公布され、授業を無期限で停止することが法制化される。
    • 8月15日 - 終戦。
    • 9月 - 授業を再開。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 工業科を松江第一工業学校に移管し、「島根県立松江商業学校」()に改称。修業年限が5年に戻る。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
    • 商業学校の生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設(名称:島根県立松江商業学校併設中学校、以下・併設中学校)し、商業学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
    • 併設中学校はあくまで経過措置のため暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 商業学校3・4年修了者はそのまま商業学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。

新制・商業高等学校

  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
    • 松江商業学校が廃止され、新制高等学校「島根県立松江商業高等学校」が発足。男女共学を開始。
      • 商業学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、商業学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校は継承され(名称:島根県立松江商業高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に商業学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。卒業生は新制高校1年生となる。(修業年限が完全に旧制5年から新制3年に移行)
    • 4月1日 - 高校三原則に基づく公立高等学校再編により、島根県立松江工業高等学校と統合され、「島根県立松江産業高等学校商業科」となる。
      • あくまで組織的な統合であったため、施設・設備は従来のものが当面継続して使用されることとなる。
  • 1950年(昭和25年)12月 - 母衣町181番地に移転。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 島根県立松江産業高等学校が「島根県立松江商業高等学校」()と島根県立松江工業高等学校の2校に分離。
  • 1957年(昭和32年)
    • 7月 - 上乃木町685番地に新校舎が完成し移転を完了。
    • 8月 - 野球部、第39回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に出場(17年ぶり3回目の出場、新制高校になってからは初)。
  • 1961年(昭和36年)3月 - 野球部、第33回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園大会)に出場(33年ぶり4回目の出場、新制高校になってからは初)。
  • 1962年(昭和37年)
    • 6月 - 自動車練習場が完成。
    • 9月 - 食堂が完成。第2体育館の増築が完成。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月 - 商業科特別教室を増築。
    • 4月 - 女子経済科(1学級・定員55名)を設置。
    • 11月 - 祈月書院を女子寄宿舎に使用。
  • 1964年(昭和39年)4月 - 運動場を拡張。
  • 1965年(昭和40年)
    • 3月 - 第1体育館を拡張。
    • 8月 - 女子寄宿舎が完成。
    • 10月 - 体育部室が完成。
  • 1966年(昭和41年)9月 - 男子寄宿舎が完成。食堂を拡張。
  • 1967年(昭和42年)5月 - 第2運動場が完成。
  • 1968年(昭和43年)
  • 1970年(昭和45年)7月 - 生徒合宿所・弓道場が完成。
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 情報処理科を新設。これにより3学科体制(商業科・情報処理科・女子経済科)となる。
  • 1972年(昭和47年)3月 - 野球部、第44回選抜高等学校野球大会に出場(11年ぶり5回目)。
  • 1973年(昭和48年)3月 - 野球部、第45回選抜高等学校野球大会に出場(2年連続6回目)。
  • 1980年(昭和55年)3月 - 野球部、第52回選抜高等学校野球大会に出場(7年ぶり7回目)。
  • 1981年(昭和56年)3月 - 第3体育館が完成。
  • 1985年(昭和60年)10月 - 瑞木ケ丘(現在地)に新校舎が完成し、移転を完了。振商会館(同窓会館)、弓道場が完成。
  • 1989年(平成元年)4月1日 - 女子経済科の募集を停止し、会計科を新設。
  • 1990年(平成2年)4月1日 - 推薦入試を開始。
  • 1991年(平成3年)3月31日 - 女子経済科を廃止。
  • 1994年(平成6年)4月1日 - 商業科1学級を減じ、国際経済科を1学級新設。4学科体制となる。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月 - 開校100周年記念式典を挙行。記念事業の一環として平塚運一版画展示室を開設。
    • 4月 - くくり募集(学科の区別なく一括で募集し、2年次に各学科に振り分ける方式)を開始。
  • 2002年(平成14年)11月 - 屋外体育施設を整備。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - この時の入学生から会計科と国際経済科を廃止し、国際ビジネス科を新設。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、会計科と国際経済科を廃止。
  • 2008年(平成20年)11月 - 第1回松商物産館を実施。
  • 2012年 (平成24年)
    • 5月 - 未来創造会社松商だんだんドットコム(模擬会社)設立。
    • 12月 - 第1回松商だんだんフェスタ開催。(2日間)
  • 2013年 (平成25年)12月 - 第2回松商だんだんフェスタ開催。(2日間)
  • 2014年 (平成26年)12月 - 第3回松商だんだんフェスタ開催。(2日間)
  • 2015年 (平成27年)12月 - 第4回松商だんだんフェスタ開催。(2日間)

部活動[編集]

運動部

文化部

著名な出身者[編集]

交通アクセス[編集]

最寄りの鉄道駅

最寄りのバス停

最寄りの道路

周辺[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 「古里の味 ドット売り出せ 松江商高生がネット店」『中国新聞』島根版2007年11月5日付朝刊。
  2. ^ [OSC島根]商業高校生がドロップシッピング・サイトを構築,地元産品を全国にアピール ITproニュース 2008年9月16日
  3. ^ 島根県立今市農商学校から農業科が分離し、「島根県立今市商業学校」(島根県立出雲商業高等学校の前身)となり、県立商業学校が2校になったことにより、区別のために校名に「松江」が加えられた。
  4. ^ 国民学校初等科を除く学校の昭和20年度1年間の授業停止が決定された。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]