中川久任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中川久任
なかがわ ひさとう
生年月日 1871年7月7日
出生地 日本の旗 日本 東京府
(現・東京都
没年月日 (1935-07-14) 1935年7月14日(64歳没)
出身校 学習院卒業
所属政党 研究会
称号 従三位
配偶者 中川隆子
親族 兄・浅野長之(貴族院議員)
義兄・堀河護麿(貴族院議員)
義兄弟・松浦厚(貴族院議員)
娘婿・小坂武雄(衆議院議員)
甥・浅野長武(貴族院議員)

在任期間 1909年9月16日 - 1911年7月9日
1920年5月8日 - 1925年7月9日
テンプレートを表示

中川 久任(なかがわ ひさとう、1871年7月7日(明治4年5月20日[1])- 1935年昭和10年)7月14日[1][2])は、日本の政治家華族貴族院伯爵議員。旧姓・浅野、旧名・倉吉[3]

経歴[編集]

東京府出身。浅野家分家・浅野懋績の八男として生まれ、伯爵中川久成の養子となる[1][3]。養父・久成の死去に伴い、1897年(明治30年)5月18日、家督を相続し伯爵を襲爵、名を久任と改めた[1][3][4]学習院を卒業[3][5]

1909年(明治42年)9月16日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し[6]研究会に属して1911年(明治44年)7月9日まで在任し[2]、さらに1920年(大正9年)5月8日、補欠選挙で再選され[7]1925年(大正14年)7月9日まで在任した[2]。 この期間中、1923年(大正12年)に渋谷道玄坂にあった邸宅を箱根土地に売却した[8]。また、国光生命保険相互会社への勤めも続け、1927年(昭和2年)までに社長に就任した[3][5]。1935年(昭和10年)に死去。長男の久順が襲爵した。墓所は青山霊園(1ロ20-28)。

栄典[編集]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』227-228頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』28頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第10版 下』ナ28頁。
  4. ^ 『官報』第4161号、明治30年5月19日。
  5. ^ a b 『20世紀日本人名事典 そ-わ』1775頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、17頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、29頁。
  8. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、501頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  9. ^ 『官報』第2089号「叙任及辞令」1919年7月22日。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 『20世紀日本人名事典 そ-わ』日外アソシエーツ、2004年。


日本の爵位
先代
中川久成
伯爵
)中川家第2代
1897年 - 1935年
次代
中川久順