ジョイン・トゥゲザー (アルバム)
『ジョイン・トゥゲザー』 | ||||
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ザ・フー の ライブ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1989年 | |||
ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル |
ヴァージン・レコード MCAレコード | |||
プロデュース | ボブ・クリアマウンテン、クライヴ・フランクス、ビリー・ニコルズ | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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ザ・フー アルバム 年表 | ||||
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『ジョイン・トゥゲザー』(Join Together)は、イングランドのロック・バンドのザ・フーが1990年に発表したライブ・アルバム。結成25周年を記念して1989年に行われた再結成ツアーから、アメリカ合衆国で開かれたコンサートの音源を収録した。
解説
[編集]経緯
[編集]ザ・フーの歴史は、1964年にピート・タウンゼント(ギター、ヴォーカル)、ロジャー・ダルトリー(リード・ヴォーカル)、ジョン・エントウィッスル(ベース・ギター、ヴォーカル)、キース・ムーン(ドラムス)の顔ぶれで始まった[注釈 1]。1978年にムーンが死去すると、彼等は元フェイセズのケニー・ジョーンズを迎えて活動を続けたが、1983年に解散した[注釈 2]。6年後の1989年、タウンゼント、ダルトリー、エントウィッスルが結集して、結成25周年を記念してThe Kids Are Alright Tour[注釈 3]と銘打ったツアーをザ・フーの名義で行なった。
3人以外のツアー・メンバーには、タウンゼントが1985年から1986年にかけてライブ活動の為にドラマーのサイモン・フィリップスやキーボーディストのジョン・バンドリックを迎えて編成したディープ・エンド(Deep End)[3][4][注釈 4]のメンバー[注釈 5]が流用された。フィリップスは、過去にタウンゼントのソロ・アルバム『エンプティ・グラス』(1980年)、『チャイニーズ・アイズ』(1982年)、『ホワイト・シティ』(1985年)に参加し、当時制作されていた『アイアン・マン』にも名前を連ねていた[5]。またディープ・エンドのメンバーの他に、後述する理由で、元アトミック・ルースターのギタリストでポール・ヤングのアルバムに参加してきたスティーヴ・ボルトンを迎えた。
The Kids Are Alright Tourは、1989年6月21日から9月3日までアメリカ合衆国とカナダ、10月6日から11月2日までイングランドで行なわれた。幾つかのコンサートでは、アルバム『トミー』(1969年)の発表20周年を記念してほぼ全曲が演奏され、8月25日のユニバーサル・アンフィシアター(ロサンゼルス)でのコンサートと10月31日のロイヤル・アルバート・ホール(ロンドン)でのコンサートでは、スティーヴ・ウィンウッド[注釈 6](伝道師役)、ビリー・アイドル(従兄弟のケヴィン役)、パティ・ラベル(アシッド・クイーン役)、エルトン・ジョン[注釈 7](ピンボール・チャンピオン役)、フィル・コリンズ(叔父のアーニー役)が客演した[注釈 8]。
当時タウンゼントは難聴に悩まされており、一方で大音響に晒されると耳鳴に苦しめられるようになったので主にアコースティック・ギターを弾くようになり[6][7]、このツアーではボルトンにエレクトリック・ギターを任せることが多かった。また彼は8月16日のタコマ公演の本編最後の曲だった「無法の世界」で、右腕を伸ばし大きく回転させながらギターを弾くという得意のウィンドミル奏法を披露している時に、誤ってエレクトリック・ギターに取り付けられたビブラート・ユニットのアームを右手の薬指と小指の根元付近に突き刺してしまい、途中退場して病院に急行しなければならなかった[8][9][注釈 9]。ダルトリーはツアーを通じて胃に問題を抱えており[10]、後に外科手術を受けることになった[6]。このような様々な困難や出来事があったにも拘らず、ツアーは盛況のうちに成功裏に終了した[11]。
内容
[編集]本作には複数の公演のライブ音源が編集されているが、6月27日のラジオシティ・ミュージックホール(ニューヨーク)と8月25日のユニバーサル・アンフィシアター(ロサンゼルス)でのコンサートにおける録音[12]が中心となっている[13][8][注釈 10]。
ディスク1はユニバーサル・アンフィシアターでのコンサートでの『トミー』の再演を収録した。このコンサートでは、上記の客演者を迎えて、これまでライブでは演奏されたことがなかった「従兄弟のケヴィン」、「センセイション」を含めて22曲が演奏された[注釈 11][注釈 12]。但し本作では、客演者が登場した「光を与えて」、「従兄弟のケヴィン」、「アシッド・クイーン」、「ピンボールの魔術師」、「フィドル・アバウト」、「トミーズ・ホリデイ・キャンプ」は除かれ[注釈 13]、これら6曲にはラジオシティ・ミュージックホールでのコンサートの音源が収録された。
ディスク2にはザ・フーの過去の楽曲に加えて、新曲「ディグ」[注釈 14]とタウンゼントのソロ名義の楽曲[注釈 15]が収録された[7]。「恋のマジック・アイ」はムーンが在籍していた1967年に全米チャートの9位にまで上って、ザ・フーのアメリカでの最大のシングル・ヒットになった曲だが、コンサートでは殆んど取り上げられず[注釈 16]、今回のツアーでバンドがツイン・ギター編成となったことでセットリストに加えられた[7]。「トリック・オブ・ザ・ライト」はムーンの在籍期間中の最後のアルバム『フー・アー・ユー』(1978年)の収録曲で、スタジオ録音版と異なり、ダルトリーに代わって作者のエントウィッスルがリード・ヴォーカルを担当した。
母国イギリスでは1990年3月24日付の全英アルバムチャートで59位を記録した[1]。
収録曲
[編集]特記なき楽曲は作詞・作曲ともピート・タウンゼントによる。
ディスク1
[編集]- 序曲 - "Overture" - 5:27
- 1921 - "1921" - 2:52
- すてきな旅行 - "Amazing Journey" - 3:07
- スパークス - "Sparks" - 4:35
- 光を与えて - "The Hawker (Eyesight to the Blind)" (Sonny Boy Williamson II) - 2:17
- クリスマス - "Christmas" - 4:24
- 従兄弟のケヴィン - "Cousin Kevin" (John Entwistle) - 3:56
- アシッド・クイーン - "The Acid Queen" - 3:44
- ピンボールの魔術師 - "Pinball Wizard" - 4:20
- 大丈夫かい - "Do You Think It's Alright?" - 0:23
- フィドル・アバウト - "Fiddle About" (J. Entwistle) - 1:38
- ドクター - "There's a Doctor" - 0:19
- ミラー・ボーイ - "Go to the Mirror!" - 3:23
- 鏡をこわせ - "Smash the Mirror" - 1:09
- トミー、聞こえるかい - "Tommy, Can You Hear Me?" - 0:57
- 僕は自由だ - "I'm Free" - 2:11
- 奇蹟の治療 - "Miracle Cure" - 0:23
- サリー・シンプソン - "Sally Simpson" - 4:18
- センセイション - "Sensation" - 2:21
- トミーズ・ホリデイ・キャンプ - "Tommy's Holiday Camp" (Keith Moon) - 0:57
- ウィア・ノット・ゴナ・テイク・イット - "We're Not Gonna Take It" - 8:44
ディスク2
[編集]- エミネンス・フロント - "Eminence Front" - 5:43
- フェイス・ザ・フェイス - "Face the Face" - 6:11
- ディグ - "Dig" - 3:59
- 恋のマジック・アイ - "I Can See for Miles" - 3:43
- ア・リトル・イズ・イナフ - "A Little Is Enough" - 5:05
- 5時15分 - "5:15" - 5:47
- 愛の支配 - "Love Reign O'er Me" - 5:58
- トリック・オブ・ザ・ライト - "Trick of the Light" (J. Entwistle) - 5:39
- ラフ・ボーイズ - "Rough Boys" - 4:34
- ジョイン・トゥゲザー - "Join Together" - 5:11
- ユー・ベター・ユー・ベット - "You Better You Bet" - 5:33
- ビハインド・ブルー・アイズ - "Behind Blue Eyes" - 3:45
- 無法の世界 - "Won't Get Fooled Again" - 9:34
参加ミュージシャン
[編集]バンド
- ロジャー・ダルトリー - ヴォーカル
- ピート・タウンゼント - ギター、ヴォーカル
- ジョン・エントウィッスル - ベース・ギター、ヴォーカル
- スティーヴ・“ボルツ”・ボルトン - ギター
- ジョン・"ラビット"・バンドリック - ピアノ、キーボード
- サイモン・フィリップス - ドラムス
- ジョディ・リンスコット - パーカッション
キック・ホーンズ
- サイモン・クラーク[14] - アルト・サクソフォーン、バリトン・サクソフォーン
- ティム・サンダース[15] - テナー・サクソフォーン
- ロディ・ロリマー - トランペット
- サイモン・ガードナー[16] - トランペット
- ニール・シドウェル[17] - トロンボーン
バックグラウンド・ヴォーカル
- ビリー・ニコルス
- Chyna[18]
- クリーブランド・ワトキス
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ タウンゼント、ダルトリー、エントウィッスル、ダグ・サンダム(ドラムス)からなるザ・ディトゥアーズが2月にザ・フーと改名。サンダムが去った後、数人の後任を経て4月にムーンが加入した。つまり厳密には、ザ・フーの歴史の最初の2か月間は、ムーンがいなかったことになる。
- ^ 彼等は1985年7月のライヴ・エイド、1988年2月の英国レコード産業協会(BPIアワード)の授賞式で一時的に再結成して数曲を演奏した。
- ^ ザ・フーが1966年に発表したシングル「ザ・キッズ・アー・オールライト」の曲名に因んだ。
- ^ 1985年ロンドンのブリクストン・アカデミーでデヴィッド・ギルモアを迎えて行なったコンサートの音源がアルバム『ディープ・エンド・ライブ』(1986年)とLive: Brixton Academy '85(2004年)として発表され、VHSの映像Pete Townshend's Deep End – The Brixton, England Concertも発表された。
- ^ バンドリックはザ・フーがジョーンズを迎えて初めて行なった1979年のツアーに参加して以来、ディープ・エンドに至るまでタウンゼントと共に活動してきた。ジョディ・リンスコット(パーカッション)は『チャイニーズ・アイズ』(1982年)でタウンゼントと初共演。キック・ホーンズはサイモン・クラーク(アルト・サクソフォーン、バリトン・サクソフォーン)、 ティム・サンダース(テナー・サクソフォーン)、ロディ・ロリマー(トランペット)、サイモン・ガードナー(トランペット)、ニール・シドウェル(トロンボーン)からなるホーン・セクションで、『ホワイト・シティ』(1985年)に参加。コーラスの他に音楽監督も務めたビリー・ニコルスは1968年にデビュー・アルバムWould You Believeを発表したシンガー・ソングライターで、ユニヴァーサル・スピリチュアル・リーグ(Universal Spiritual League)がメヘル・バーバーに捧げて制作したアルバム『アイ・アム』(1972年)と『ウィズ・ラヴ』(1976年)にタウンゼントと共に参加した。クリーブランド・ワトキスはイングランドのシンガー兼俳優。Chynaは、ツアー開始と相前後して発表されたタウンゼントのソロ・アルバムの『アイアン・マン』(1989年)にニコルス、ワトキスと共に参加した。
- ^ 1972年にロンドン交響楽団とイギリス室内合唱団が制作した『トミー』に父親のウォーカー大佐役で客演したが、今回は伝道師役を務めて、ギターを弾きながら熱唱した上にギター・ソロも披露した。
- ^ 1975年に公開された映画『トミー』で、ピンボール・チャンピオンを演じた。
- ^ ユニバーサル・アンフィシアターでのコンサートの模様は1989年にVHS"The Who – Live - Featuring The Rock Opera Tommy"として発売され、現在はDVD"Tommy and Quadrophenia Live"として入手可能である。
- ^ 幸いにも神経や腱には損傷を受けなかったので、ツアーに参加し続けることができた。この事故の1週間後の8月25日にユニバーサル・アンフィシアター(ロサンゼルス)で開かれたコンサートでは、彼が負傷部位を覆うように右手にバンドを巻いて演奏していることが、映像で確認できる。
- ^ タウンゼントは自伝で、これら2つのコンサートはチャリティーだったと記している。
- ^ 原作では独立した曲として記載されていた「イッツ・ア・ボーイ」が、本アルバムでは「序曲」の末尾に含まれている為に記載の上では全21曲になっている。原作の収録曲で当日演奏されなかったのは「歓迎」と「アンダーチュア」の2曲。一部の曲は原作とは異なる順番で演奏された。
- ^ 映像では、タウンゼントとダルトリーが交互にリード・ボーカルを担当した「サリー・シンプソン」で、途中の歌い出しを間違えてしまったダルトリーにタウンゼントが助け舟を出しているが、本アルバムでは修正されている。
- ^ 「ウィア・ノット・ゴナ・テイク・イット」では、客演者全員が登場して"Listening To You.."の合唱に加わり、特にアイドルとラベルの歌声が際立って聞こえるのが映像で確認できるが、本アルバムでは2人の歌声は消去されている。
- ^ タウンゼントの『アイアン・マン』にザ・フー名義で収録されたタウンゼント作の新曲。タウンゼント、ダルトリー、エントウィッスル、フィリップスの4人にコーラスとホーン・セクションが加わって録音された。
- ^ ソロ・アルバム『エンプティ・グラス』(1980年)から「ラフ・ボーイズ」と「ア・リトル・イズ・イナフ」。『ホワイト・シティ』(1985年)から「フェイス・ザ・フェイス」。
- ^ この曲をボーカル、ギター、ベース・ギター、ドラムスだけの編成で再現するのは難しかったからとされている。ムーンの死後、ジョーンズが加入して1979年から1980年にかけて行なわれたツアーは、キーボーディストのジョン・バンドリックが参加し、曲によっては3人編成のホーン・セクションも登場するなど、1989年のツアーの原型とも呼べる編成で行なわれ、この曲もセット・リストに加えられた。1979年12月26日から29日までロンドンのハマースミス・オデオンで開かれたカンボジア難民救済コンサートの28日の部に出演して、本曲を披露する映像が残っている。
出典
[編集]- ^ a b The Who | full Official Chart History | Official Charts Company - 「Albums」をクリックすれば表示される
- ^ “The Who - Awards”. AllMusic. 2016年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月28日閲覧。
- ^ Townshend (2012), pp. 377–378.
- ^ “Discogs”. 2023年7月1日閲覧。
- ^ Simon Phillips |Credits | AllMusic
- ^ a b Greene, Andy (2014年1月30日). “Flashback: The Who Reunite In '89, Seven Years After Saying 'Farewell'”. Rolling Stone. 2015年11月21日閲覧。
- ^ a b c “Join Together”. The Who. 2015年11月21日閲覧。
- ^ a b Townshend (2012), p. 404.
- ^ “latimes.com”. 2023年7月1日閲覧。
- ^ Townshend (2012), pp. 403–404.
- ^ Townshend (2012), pp. 408–409.
- ^ Townshend (2012), pp. 404–405.
- ^ The Who - Join Together (CD) at Discogs
- ^ “Discogs”. 2023年7月1日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年7月1日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年7月1日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年7月1日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年7月1日閲覧。
引用文献
[編集]- Townshend, Pete (2012). Who I Am. London: HarperCollins. ISBN 978-0-00-747916-0