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ケープ植民地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケープ植民地
Cape Colony(英語)
Kaapkolonie(オランダ語)
オランダ海上帝国 1795年 - 1910年 南アフリカ連邦
バストランド
ケープ植民地の国旗 ケープ植民地の国章
(国旗) (国章)
国の標語: Spes Bona
ラテン語: 希望
国歌: God Save the King(英語)
国王陛下万歳
ケープ植民地の位置
公用語 英語オランダ語[1]
首都 ケープタウン
国王
1795年 - 1820年 ジョージ3世
1901年 - 1910年エドワード7世
総督
1797年 - 1798年ジョージ・マカートニー
1901年 - 1910年ウォルター・ヘリー=ハッチンソン英語版
面積
1910年569,020km²
人口
1910年2,564,925人
変遷
アフリカ分割 1795年
オランダ植民地1803年 - 1806年
ロンドン条約によりイギリスへ譲渡1814年
南アフリカ連邦へ併合1910年
通貨スターリング・ポンド
現在南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
  1. ^ オランダ語が公用語であったのは1806年まで。
テーブル湾に上陸するヤン・ファン・リーベック

ケープ植民地(ケープしょくみんち、英語: Cape Colonyオランダ語アフリカーンス語: Kaapkolonie)は、かつてオランダ東インド会社が設立した、南アフリカにあった植民地ケープタウンを中心に発展し、1795年にイギリス領植民地となった。

歴史

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南アフリカにおいて、オランダは最初のヨーロッパ人植民者になろうと計画していた。なお、彼らの行動は、後世においてアフリカ大陸へのヨーロッパ列強侵攻を広範にもたらす結果となった。

オランダ人による最初のケープ定住は、1652年オランダ東インド会社(以下、会社と略)が、本国と東インド諸島(現・インドネシア)や日本長崎出島間を往復するオランダ艦船の補給基地及び停泊地としたことで始まった。同年4月6日、3隻の艦船を率いた司令官ヤン・ファン・リーベックが、のちのケープタウンとなる地に足を踏み入れたのである。補給所は次第に定住者コミュニティーとなり、南アフリカの白人層を構成するアフリカーナーらの祖先となった。

元々地元で暮らしていたコイコイ人は、強い政治組織も経済基盤も持っていなかった。彼らはオランダ船と自由に家畜物々交換していた。会社の社員がケープ停泊地へ食料を供給するための農場をつくると、彼らはコイコイ人らを迫害し始めた。この対立はヨーロッパ人の地主らの統合・整理を推し進め、コイコイ人社会は崩壊した。1670年代軍事的成功が、オランダのコイコイ人に対する管理の強化をもたらした。コイコイ人は、植民地の雇われ労働者の主要供給源となったのである。

植民地は奴隷も輸入した。奴隷制度は、突然現れ表面的には白人のアフリカーナーとその他人種との間の関係のため調和となった。自由民であろうとなかろうと、有色人種はすぐに奴隷たちと同一視された。

最初の定住者たちは会社の補給地であった南アフリカ南西部のケープ半島周囲に広がった後、遊牧を行う白人家畜農家やトレックボーアen:Trekboer、荷車で移動するアフリカーナー)たちは、さらに広範に遠く離れ、北は[[オレンジ川]]へ、東は乾燥したグレート・カルーやリトル・カルーへと広がった[1]。限られた者は裕福になり、内部の乾燥した台地の代わりに沿岸の土地で農業をした。彼らは良質な牧草地を求め、コイコイ人の家畜農家らといまだに競い合っていた。1700年頃、伝統的なコイコイ人の牧畜生活様式は消滅した。

この時代のケープ植民地社会は多様なものだった。会社の官吏たち(オランダ改革派教会聖職者も含む)、アフリカーナー(移住した植民者と遊牧するトレックボーア)らは会社の中で相対する立場から別々に成長していった。コイコイ人と、様々な国籍の奴隷たちは、全て違った法で統治されていた。異なった人種間の結婚と、主人と奴隷の同棲が生じ、混血が進んだことで、複雑性を加えた。入植者の言語である新たにできあがったケープ特有のアフリカーンス語の出現は、オランダ人にはわかりやすく、オランダ移民自身が文化の変容過程でこの言葉を受け入れていったことがわかる。1795年以降のイギリス支配で、近代南アフリカが宣言した人種隔離政策であるアパルトヘイトの基本となった社会政治体制が、確固として据えられた。

1795年、フランス革命軍が、オランダ東インド会社の母国ネーデルラント共和国占領した。この事態に機敏に動いたイギリスが、オランダ東インド会社の所有する領土を占領した。ケープ植民地は、フランスがインドで領土を獲得しようとするどのような潜在的な試みも止められる、シーレーンを管理するのに適した地点にあったからである。1798年、オランダ東インド会社はその領土と権利とをバタヴィア共和国(革命軍占領下のオランダ国家)へ移管、そして翌1799年、会社は消滅した。イギリスとフランス第一帝政・フランスの傀儡国家バタヴィア共和国との関係が改善されると、1803年アミアンの和約によってケープ植民地はバタヴィアへ返還された。

1806年、名目上バタヴィア共和国の管理下にあったケープ植民地は、ブラーウベルグの戦い(en:Battle of Blaauwberg)で勝利したイギリスによって再征服された。同時期のイギリスとフランス第一帝政間の和平はあからさまな敵意によって粉々に打ち砕かれた。ナポレオン・ボナパルトはバタヴィアへの影響力を強めてきていたのである。同年にナポレオンはバタヴィアを廃止し、新たにホラント王国を創設する。イギリスは、ナポレオンをケープ植民地から閉め出すことと、極東への交易路を手中に置くことを望んでいた。

イギリスは、1806年1月8日にイギリス領植民地を発足させた。ケープ植民地は、1910年南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国の前身)が発足するまでイギリス支配下に留め置かれた。連邦に含まれてから、名称はケープ・オブ・グッド・ホープ州(通称であるケープ州の名が広く知られた)とされた。

ケープ植民地総督(1652年-1910年)

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ケープ植民地創設者ヤン・ファン・リーベックen:Jan van Riebeeck)の称号は、ケープ植民地司令官(Opperhoof)で、彼は1652年から1662年までその地位にあった。総督の称号は、当時権力を持っていたオランダ、そしてイギリス両国の植民地行政管理官に継承され、長い系譜が残った。

ケープ植民地総督

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オランダ東インド会社植民地総督(1691年-1795年)

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イギリス植民地第一期(1797年-1803年)

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バタヴィア共和国領(1803年-1806年)

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イギリス植民地第二期(1806年-1910年)

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南アフリカの高等行政官職は、1847年1月27日から1910年5月31日までケープ植民地総督が兼任した。なお、南アフリカ連邦合併により、ケープ植民地総督職は、1910年5月31日をもって廃止された。

ケープ植民地首相

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ケープ植民地首相は南アフリカ連邦への編入により1910年5月31日をもって廃止された。

参考文献

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この参考文献は翻訳元の英語版作成時に参考としたものであり、日本語版作成時には参考としていない。

  • Beck, Roger B. (2000). The History of South Africa. Westport, CT: Greenwood. ISBN 031330730X.
  • Davenport, T. R. H., and Christopher Saunders (2000). South Africa: A Modern History, 5th ed. New York: St. Martin's Press. ISBN 0312233760.
  • Elbourne, Elizabeth (2002). Blood Ground: Colonialism, Missions, and the Contest for Christianity in the Cape Colony and Britain, 1799-1853. McGill-Queen's University Press. ISBN 0-7735-2229-8.
  • Le Cordeur, Basil Alexander (1981). The War of the Axe, 1847: Correspondence between the governor of the Cape Colony, Sir Henry Pottinger, and the commander of the British forces at the Cape, Sir George Berkeley, and others. Brenthurst Press. ISBN 0-909079-14-5.
  • Mabin, Alan (1983). Recession and its aftermath: The Cape Colony in the eighteen eighties. University of the Witwatersrand, African Studies Institute. ASIN B0007C5VKA
  • Ross, Robert, and David Anderson (1999). Status and Respectability in the Cape Colony, 1750-1870 : A Tragedy of Manners. Cambridge University Press. ISBN 0-521-62122-4.
  • Theal, George McCall (1970). History of the Boers in South Africa; Or, the Wanderings and Wars of the Emigrant Farmers from Their Leaving the Cape Colony to the Acknowledgment of Their Independence by Great Britain. Greenwood Press. ISBN 0-8371-1661-9.
  • Van Der Merwe, P.J., Roger B. Beck (1995). The Migrant Farmer in the History of the Cape Colony. Ohio University Press. ISBN 0-8214-1090-3.
  • Worden, Nigel, Elizabeth van Heyningen, and Vivian Bickford-Smith (1998). Cape Town: The Making of a City. Cape Town: David Philip. ISBN 0864864353.

関連項目

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外部リンク

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  1. ^ 『南アフリカの歴史』明石書店、2009年11月30日、109頁。