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オランダ海上帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オランダ海上帝国
Nederlandse koloniën (オランダ語)
オランダの位置
オランダ海上帝国の領土
公用語 オランダ語
首都 アムステルダム
統領(1609年 - 1795年)
国王(1815年 - 1975年)
1609年 - 1625年 マウリッツ
1948年 - 1975年 ユリアナ
変遷
VOC設立 1602年
ジャワ島に商館を設立 1609年
アンボイナ事件 1623年
フランスによる本国の占領 1795年 - 1815年
VOCの解散 1798年
英蘭協約 1824年
インドネシア独立 1949年
スリナム独立 1975年
通貨 ギルダー
先代 次代
オランダの歴史
古代
ローマ帝国 58-476
民族大移動時代
中世
フランク王国 481-950
神聖ローマ帝国 962-1648
  ブルゴーニュ公爵領 1384-1482
  ネーデルラント17州 1477-1556
  オーストリア領 1482-1581
ネーデルラント連邦共和国 1581-1795
近代
バタヴィア共和国 1795-1806
ホラント王国 1806-1810
フランス第一帝政 1810-1815
ネーデルラント連合王国 1815-1830
現代
ネーデルラント王国 1830-現在

オランダ海上帝国(オランダかいじょうていこく、英語: The Dutch colonial empireオランダ語: Nederlandse koloniale)は、17世紀から18世紀にかけてオランダネーデルラント連邦共和国)が本国及び植民地を拡大して築いた植民地支配及び交易体制に対する日本語の通称を。英語などでは、オランダ植民地帝国

オランダ東インド会社による植民地獲得に始まり、1780年から1784年にかけて起こった第四次英蘭戦争で衰退し始めた。1975年のスリナムの独立で終焉したと見なされ、オランダ王国の構成はオランダ本土・カリブ海の3国・BSE諸島(ヨーロッパ・オランダのカリブ海の領土)のみになった[1]

概要

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17世紀初頭、ネーデルラント連邦共和国オランダ東インド会社を設立、東インドに進出してポルトガルから香辛料貿易を奪い、さらにオランダ西インド会社も設立するなどして次第に植民地を拡大し、黄金時代を迎えた。17世紀から18世紀にかけて植民地主義大国として飛躍したことから、本国及び植民地一帯を指してオランダ海上帝国という。

ただし、「黄金時代」にあっても、オランダの貿易額の2/3はバルト海貿易、残り1/3の半分も地中海貿易であった。つまり、オランダの富の源泉はヨーロッパ域内であり、同時代でも既に指摘されていたが、海外植民地は、維持費がかさむだけで大した利益をもたらしていないのが実情であった。

そして、度重なる英蘭戦争北アメリカの植民地を奪われ、さらに南アフリカの植民地も超大国に成長したイギリス帝国に敗れて失うなど、列強としてのオランダの国際的地位は凋落していった。この時期では長崎出島での日本との独占貿易権が東アジアでの唯一の牙城であったが、続くナポレオン戦争での敗戦により海外覇権はほぼ消滅する。

最終的には、オランダ領東インドとオランダ領ギアナ(スリナム)などの植民地が残り、20世紀半ばまで保持していた。第二次世界大戦でオランダ本国も、1940年ナチス・ドイツの侵攻により占領された。また、東インドは大日本帝国の侵攻を受けて占領された(蘭印作戦)。 第二次世界大戦の終結後、オランダは植民地支配を復活させようと軍隊を派遣して、インドネシア独立戦争が勃発したが、戦闘の激化に抗し切れず植民地を手放すことになった。オランダ領ギアナも1975年にスリナムとして独立した。

オランダの植民地

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オランダ領東インド

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台湾

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セイロン島(スリランカ)

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西アフリカ

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ケープ植民地

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北アメリカ

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オランダ領ギアナ

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オランダ領アンティル

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オランダ領ブラジル

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かねてからブラジルの砂糖産業から巨利を得ていたオランダは、ポルトガル領ブラジルの直接支配を図る。1621年西インド会社を設立。1624年ブラジル北東部の中心都市バイーア州サルヴァドールを攻撃し、1年後に撤退。次いで1630年ペルナンブーコ州レシフェオリンダ)を攻撃、1641年までにマラニョン州にまで版図を拡大するに到った。植民地住民に寛容であったナッサウ=ジーゲン伯ヨハン・マウリッツがオランダ領ブラジルの総督として赴任し黄金期を築くも、伯が西インド会社と対立して辞任すると、問題が表面化。1645年農園主たちが反乱。1654年西インド会社はブラジルから撤退した。

現在、ブラジルにおけるオランダの影響は、オリンダという地名(別説もある)やその北部に位置する城砦跡(イタマラカ島のオレンヂ砦)として残っている。

脚注

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  1. 「新しい帝国主義: 21世紀の拡大のグローバルダイナミクス」p72,· 2024 フォウアード・サブリー

関連項目

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基本情報:

外部リンク

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