ズールー王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ズールー王国
Wene wa Zulu(ズールー語)
ムテトワ帝国 1817年 - 1879年 ナタール共和国
ニーウ共和国
ケープ植民地
ズールー王国の国旗
(国旗)
ズールー王国の位置
1890年のズールー王国
公用語 ズールー語
首都 ブラワヨ英語版
ウルンディ
国王
1817年 - 1828年 シャカ・ズールー
1828年 - 1840年ディンガネ・カセンザンガコナ英語版
1840年 - 1872年ムパンデ英語版
1873年 - 1879年セテワヨ・カムパンデ
面積
1828年29,785km²
人口
1828年250,000人
変遷
王国成立 1817年
イギリスの占領、植民地化1879年
通貨無し(が通貨の代わりとして用いられた)
現在南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国

ズールー王国ズールー語: Wene wa Zulu、ズールー帝国とも)は、トゥゲラ川英語版からポンゴラ川英語版にかけてのインド洋の沿岸部に19世紀に存在した南部アフリカ君主国

王国は、現在のクワズール・ナタール州の広い範囲を支配するまでに至ったが、1870年代のズールー戦争によって最終的に滅亡した。その後、領土はナタール植民地を経て南アフリカ連邦の一部となった。

歴史[編集]

ズールー族は南部アフリカの一部族に過ぎなかったが、1816年に首長センザンガコナ英語版が死去した翌年、シャカムテトワ帝国英語版皇帝であるディンギスワヨ英語版の庇護を受けてズールー王に即位し、王国が成立した。

後見役であるディンギスワヨがンドワンドウェ王国英語版との戦闘で死去したため、軍備の近代化や中央集権体制を進めたシャカはムテトワ帝国、ンドワンドウェ王国に侵攻し、支配下に置いた。しかし、シャカは国内では恐怖政治を行なったことから、異母弟のディンガネによって暗殺された。

ディンガネ・カセンザンガコナ英語版が第二代国王に即位し、次いで第三代国王にムパンデ英語版と続いたが、第四代国王セテワヨ・カムパンデズールー戦争で敗北したことによって王国は崩壊し、イギリス植民地となった。

茶色がズールー王国、オレンジが勢力下の地域、緑がコサ人の領域、赤がイギリス領。


関連項目[編集]