Wikipedia:年代の換算
この文書は私論です。一部のウィキペディアンが助言や意見を記したものです。広く共有されている考え方もあれば、少数意見の見解もあります。内容の是非については慎重に検討してください。 |
日本では、明治5年まで (1872年まで) の期間にいわゆる旧暦を用いました。翌1873年 (明治6年) 1月1日からグレゴリオ暦 (西暦) を用いるようになりました。旧暦の日付と西暦の日付とは一致しませんし、旧暦の年号と西暦の年号とは一対一に対応しません。
ウィキペディアの「Wikipedia:表記ガイド」では、日本に関する事柄を解説する場合も年号の記載は西暦を原則とし、和暦を併記することも認めています。西暦と和暦の年号を併記する場合、どちらかが不明なら換算をしなければなりませんが、換算のしかたによっては間違った年号になってしまいます。
年齢 (現年齢や没年齢) の記載については、さらに問題があります。その人物が生きてきた時代によっては、満年齢ではなく数え歳が用いられていた時期があるからです。年号の換算だけでは年齢を決めることはできません。
このガイドラインでは、年代や年齢の記載で起こりやすい間違いについて解説し、最後に推奨される編集の方法を述べています。
起こりうる問題
[編集]旧暦年号の換算
[編集]明治5年まで (1872年まで) の期間の日本でのできごとを記載する際に年号を西暦と和暦で併記するためには、換算が必要です。
一般向けや初学者向けの教科書や参考書では、旧暦正月の時点を基準に旧暦から西暦への換算をしていることがあります。このような資料に基づいて記事を執筆した場合、年号が和暦が正しく西暦が正しくないものになっている可能性があります。さらに、資料に記載されている西暦年号がもともと正確に換算されたものであった場合、同じ方法で和暦に換算しなおすと西暦が正しく和暦が正しくないものになってしまう可能性があります。
例
伊達政宗が千代 (仙台) で新城の縄張り初めを行ったのは1601年(慶長5年)のことです。 しかし、資料によっては慶長5年旧正月 (1600年2月15日から) の西暦年を用いて、次のように記していることがあります。 一方、1601年の旧正月 (1601年2月3日から) の和暦年は慶長6年です。これを和暦年号として記載すると、一次資料に書いてあったはずのものとは異なってしまいます。 |
執筆者への助言
資料に基づいて旧暦年号と西暦年号を併記する場合は、どうやって換算されているのかを資料の凡例などで確認し、正確な換算をしているものを使ってください。年号を自分で換算することは避けてください。換算に確信がないときは、資料に書いてある和暦年号のみを記載しておいてもかまいません。
テンプレートによる自動換算
- {{和暦}}テンプレート - 西暦年号と和暦年号との間の換算を支援しますが、この節で述べたような問題があります。
旧暦と西暦の日付の相違
[編集]明治5年まで (1872年まで) の期間は、旧暦と西暦で年内の日付が一致しません。月や日も記載するときは、西暦と旧暦を明確に区別する必要があります。
例
松尾芭蕉が奥州を目指して江戸を発ったのは元禄2年旧3月27日のことです。この日は西暦では1689年5月16日にあたります。 しかし、つぎのように記載すると、日付が西暦なのか旧暦なのかが不明確になります。 あとのふたつは同じに見えますが、みっつめは旧暦日付を西暦の日付項目にリンクしてしまっています。 つぎのように書くと、読者にわかりやすく、編集のミスも防げます。 あとのほうの日付は、もちろん旧暦の日付項目にリンクしています。 |
執筆者への助言
執筆の際に参照した資料に月や日付が記載してあるときは、それが旧暦なのか西暦なのかを確認しなければなりません。よくわからないときは、年のみを記載しておいてもかまいません。また、日付の換算に自信がないときは、和暦の年や日付のみを記載しておいてもかまいません。
近代の改元
[編集]一般に、元号の変更 (改元) は年の途中でも行われます。交通や通信が発達していなかった近世以前には、改元が布告されても実施されるまでに時間がかかりました。しかし、近代以降の改元は原則として即日有効になっていると考えられます。このため、これらの年の元号による年号を記載する場合は、日によって元号を書き分ける必要があります。
それぞれの改元の詔書・政令に基づく改元日は次のとおりです。
- 明治から大正への改元 - 1912年 (明治45年) 7月30日、同日中に「大正」と改めた (年の前半約7箇月が「明治」、後半の約5箇月が「大正」)。
- 大正から昭和への改元 - 1926年 (大正15年) 12月25日、同日中に「昭和」と改めた (年末の約1週間が「昭和」、それ以前は「大正」)。
- 昭和から平成への改元 - 1989年 (昭和64年) 1月7日、翌日1月8日以降を「平成」と改めた (年頭の1週間だけが「昭和」、その翌日からは「平成」)。
- 平成から令和への改元 - 2019年 (平成31年) 4月1日、一か月後の5月1日以降を「令和」と改めた (4月までが「平成」、5月からは「令和」)。
これらの年ではグレゴリオ暦の日付を用いるため、元号による年号と西暦年号との間で日付のずれはありません。しかし、日付を考慮せずに年初の元号をあてたり、同年の他の事象の元号をあてたりすると、正しくない和年号になる可能性があります。
執筆者への助言
近代の改元の年については、日付がはっきりしないときは元号による年号を記載しないでください。
テンプレートによる自動表示
- {{和暦}}テンプレート - 西暦年に基づいて元号の年号を表示しますが、日付を考慮しないため、この節で述べたような問題が起こります。注意深く使用すれば正しい年号を表示できますが、すべての執筆者がテンプレートの使用に習熟しているわけではありません。
- {{jdate}}テンプレート - 同じ問題があります。また、日付を指定できるものの、改元日やその前後の日の元号表示が不正確です。
両者は元号の決めかたが異なっているため、相互に置き換えはできません。
おおまかな時代
[編集]年号や年代でおおまかな時代を表すことがあります。このようなときに年号や年代を正確に換算すると、かえって不正確な表現になってしまいます。
例
つぎのような文章があるとします。
これを次のように修正してはいけません。
「明治の初めころ」のことは、実際には江戸時代末期にも起こっていたことかもしれませんし、逆に明治元年にはまだ起こっていなかったことかもしれません。「1950年代」も同じです。 |
執筆者への助言
おおまかな時代を記載するときに、年号を換算する必要はありません。
年齢
[編集]日本ではかつて、数え年で人の年齢を数えていました。「年齢計算ニ関スル法律」(1902年12月22日施行) と「年齢のとなえ方に関する法律」(1950年1月1日施行) では満年齢を推奨しています。したがって人の年齢は、これらの法律以前は数え年、以後は満年齢で記載する必要があります。
数え年は、出生の時点を1歳とし、その後は年がかわるごとに1歳を加える年齢計算の方法です。注意しなければならないのは、年のかわり目は当時の暦にしたがうということです。旧暦の時代の日付を西暦に換算してから計算すると、正しい数え年になりません。
満年齢は、出生の時点を0歳とし、その後は誕生日を迎えるごとに1歳を加える年齢計算の方法です。
例
矢嶋楫子 (矢島かつ) は天保4年4月24日 (1833年6月11日) に生まれました。彼女が初代院長となった女子学院の発足は1890年(明治23年)9月9日のことです。
大原麗子は1946年11月13日に生まれ、2009年8月3日に病没したとされます。
|
執筆者への助言
年齢の計算方法は時代によって異なります。記事中に年齢を記載する前にまず、本当に記載する必要があるのかどうかを考えてみてください。また、自分で年齢を計算した場合、計算結果に自信がなければ書かないでください。
テンプレートによる自動計算
これらのテンプレートはいずれも、満年齢を計算して表示します。また、旧暦の年代には対応していません。1902年12月22日以前に没した人物の年齢を表示するために使わないでください。
推奨される方法
[編集]- 過去の年号や年月日を記事に記載するときは、なるべく一般向けや初学者向けの資料ではなく、専門家の著書や学術誌の論文を参照して確認します。
- 旧暦の年号と西暦の年号との間で換算したものを記載することはなるべく避けます。参照した資料に書いてある年代、年号、日付、年齢を記載します。
- 旧暦の時代のできごとについては、和暦の年や日付と、西暦の年や日付とを区別して記載します。
- 旧暦の時代のできごとについて西暦の年や日付がわからないときは、参照した資料に書いてある年号だけを記載しておいてもかまいません。他の編集者が調べて加筆してくれるのを待ちましょう。