ダムド
ザ・ダムド The Damned | |
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![]() (2008年) | |
基本情報 | |
出身地 |
![]() ロンドン |
ジャンル |
パンク・ロック ニュー・ウェイヴ |
活動期間 | 1976年 - 現在 |
公式サイト | オフィシャルサイト (英語) |
メンバー |
デイヴ・ヴァニアン キャプテン・センシブル モンティ・オキシモロン スチュ・ウェスト ピンチ |
旧メンバー | 以下を参照 |
ザ・ダムド (The Damned) は、1976年に結成されたイングランド出身のパンク・ロック・バンド。
日本では、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュと並んで、ロンドン・パンクにおける三大パンク・バンドの1つに数えられている。
目次
概要[編集]
1976年、最初にシングル、およびアルバムをリリースしたロンドンパンクのバンドである。ただし、社会的批判・主張から生まれたパンク・ロックムーブメントの中にあって、彼らは音楽主義的で、ザ・クラッシュに代表される政治的・社会的な主張はあまり盛り込んでいない。しかし、当時のシーンの中で、そのスピード感と激しさと轟音を伴った強烈なビートは、後に登場するハードコア・パンクにも大きな影響を与えた。ダムドは、パンクのサウンド面において大きな役割を果たしたと言える。
ブライアン・ジェイムスとラット・スキャビーズは脱退したが、2012年現在デイブ・ヴァニアンとキャプテン・センシブルは活動を継続してコンスタントにライブを行っており、2018年4月には新作も発表されている。
来歴[編集]
初期[編集]
1975年、バンド関係の知り合いであったレイモンド・バーンズ(後のキャプテン・センシブル)と[1]、クリス・ミラー(後のラット・スケイビーズ)がバンドを組むことになった。そこに、ラットが加入直前まで話が進んでいたロンドンSSというパンクバンドのギタリスト・ブライアン・ジェイムスが参加し、3人でSubterraneansを結成した。これがダムドの原型と言える。
Subterraneansは間もなく自然消滅してしまうが、ここでセックス・ピストルズの仕掛人として有名なマルコム・マクラレンが関係してくる。彼の新しいパンクバンドのプロジェクトに、キャプテンとラットを引き込んだのだ。ボーカルには、後にプリテンダーズを結成するクリッシー・ハインドを据え、Masters of the Backsideという名での活動を開始するが、このバンドもまた、本格的な軌道に乗ることなく消滅する。
そこでキャプテンとラットの2人はブライアンを呼び戻し、マルコムがMasters of the Backsideに紹介したボーカル候補の一人であった、デイヴィッド・レッツ(後のデイヴ・ヴァニアン)との4人で新しいバンドを結成した。ダムドの始まりである。
1976年、イギリスでパンクムーヴメントが吹き荒れる中、セックス・ピストルズのサポートを務めながら[2]、ロンドンで行われた「100 Club PUNK Festival」などに出演、9月にスティッフ・レコードと契約を交わし、10月にロンドンパンクとして初のシングルとなる「ニュー・ローズ」をリリース(B面はビートルズ「ヘルプ」のカバー)。そして、翌1977年には、これもまた、ロンドンパンク初のアルバムである『Damned, Damned, Damned』(邦題・地獄に堕ちた野郎ども)をニック・ロウプロデュースのもとで発表した。
同年にギタリスト、ルー・エドマンズが加入し、11月には2ndアルバムとなる『ミュージック・フォー・プレジャー』を発表。プロデューサーはピンク・フロイドのニック・メイスン。しかし、リリース直後にラットが脱退、続いてブライアンも脱退を表明し、1978年4月のライブを最後にダムドは一旦解散に至る。
再結成後[編集]
1978年春に解散したダムドであるが、早くも夏頃にはキャプテンとラットが再集結し、後に呼応したヴァニアンと、新たにベースにはアルギー・ワードを加えて本格的にダムドは再結成した。つまり結局は、ブライアンとワードが入れ替わり、キャプテンがギターを担当するようになっただけではあるが、今までの楽曲のソング・ライティングの大部分を担っていたブライアンが抜けたことで、結果的にバンドの音楽性は転換し、以前よりもポップ色を強めることになった。
1979年にChiswick Recordsから発表したシングル「ラヴ・ソング」が本国イギリスで大ヒットし、その勢いのままアメリカツアーを敢行。帰国後に3rdアルバム『マシンガン・エチケット』をリリースした。この作品からは多数の曲がシングルカットされており、ダムドのベストアルバムとの呼び声も高い。
1980年、ベースのワードが解雇され、後任にポール・グレイが迎えられた。そして、10月に4thアルバム『ブラック・アルバム』をリリース。バンドの音楽性はより多様になり、サイケデリック・ロック的な要素も強まった。この頃から、キャプテンはソロ活動に重きを置き始める。
1981年、サポートメンバーとしてローマン・ジャグ(キーボード兼ギター)が参加、後に正式加入する。新たに契約したレコード会社がことごとく倒産するなどの不運が続き、バンドの存続が危ぶまれる時期ではあったが、なんとか翌1982年にはアルバム『ストロベリーズ』をリリースする。しかし、このアルバム制作途中にポールが脱退。ジャグの紹介で、ブライン・メリックがベーシストとして急遽加入する。
1984年、キャプテンがソロ活動専念のために脱退。バンドの活動は区切りの時期を迎えた。キャプテン脱退後のダムドは、ヴァニアン色を強めたゴシック・ロック風の作風へと転換する。そして、翌1985年、MCAレコードからアルバム『ファンタスマゴリア』をリリース。続いて1986年4月に待望の初来日をはたし、12月には、7枚目のアルバムとなる『エニシング』をリリースした。
1988年には、初期オリジナルメンバーのブライアンとキャプテンを加えた編成でライブを行った。その模様は、翌1989年に発表されたライブアルバム『ファイナル・ダムネイション』に収められている。さらに、1990年にはオリジナルメンバーのみでアメリカツアーを行い、また、来日もしている。
1995年11月、9年ぶりのオリジナルアルバムとなる『I'm Alright Jack & the Beanstalk』(『Not of This Earth』)リリース。この作品はバンド外部のライターによる楽曲も多い。また、この頃、ヴァニアン、キャプテン側とラットが音源の権利のことで揉めたようで、結果、1996年にラットが脱退し、キャプテンが再加入している。
そして、2001年、9thアルバム『Grave Disorder』をリリース。メンバーもひさしぶりに固まり2005年には来日し、小規模なツアーを行った。
2008年11月に約7年ぶりとなる10thアルバム『So, Who's Paranoid?』をリリース。しかし、前作『Grave Disorder』同様、国内盤は発売されていない。
2011年、結成35周年アニバーサリー・ツアーを開催し、翌年に来日公演[3]。
2015年、バンドのドキュメンタリー映画『地獄に堕ちた野郎ども』が公開[4]。
メンバー[編集]
何度も大幅なメンバーチェンジや、解散・再結成を行っている。また、非公式やごく短期間在籍のメンバーもいるが、ここでは割愛する。
現メンバー[編集]
2018年現行のダムドは第10期となる(11thアルバム『Evil Spirits』発売)。
- デイヴ・ヴァニアン (Dave Vanian) - ボーカル、テルミン
- オリジナルメンバー。結成時から2012年現在まで通年で在籍している唯一の人物。ダムドに加入するまでは墓掘り職人をしていた[5]。独特のメイクが後年のミュージシャンたちにも大きな影響を与え、多くのフォロワーを生んだ。
- キャプテン・センシブル (Captain Sensible) - ギター、ボーカル
- モンティ・オキシモロン (Monty Oxy Moron) - キーボード
- ポール・グレイ (Paul Gray) - ベース
- 1980年から1983年(4thアルバム『ブラック・アルバム』、5thアルバム『ストロベリーズ』)まで在籍。2004年から2017年までベースだったステュ・ウェストが脱退し、再びポールが加入した。
- ピンチ (Pinch) - ドラム
旧編成[編集]
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ディスコグラフィ[編集]
アルバム[編集]
- 地獄に堕ちた野郎ども - Damned, Damned, Damned (1977年)
- ミュージック・フォー・プレジャー - Music for Pleasure (1977年)
- マシンガン・エチケット - Machine Gun Etiquette (1979年)
- ブラック・アルバム - The Black Album (1980年)
- ストロベリーズ - Strawberries (1982年)
- ファンタスマゴリア - Phantasmagoria (1985年)
- エニシング - Anything (1986年)
- 暗闇のロックン・ロール - I'm Alright Jack & the Beanstalk (1995年)
- Grave Disorder (2001年)
- So, Who's Paranoid?(2008年)
- Evil Spirits(2018年)
ライブアルバム[編集]
- ライブ・シェパートン 1980 - Live Shepperton 1980 (1982年)
- ノット・ザ・キャプテンズ・バースデイ・パーティー - Not the Captain's Birthday Party? (1986年)
- ファイナル・ダムネイション - Final Damnation (1989年)
ライブDVD[編集]
- Tiki Nightmare(2006年)
- Machine Gun Etiquette: 25th Anniversary(2006年)
- このDVDには、約30年前のロンドンパンク全盛時のクラッシュとダムドのセッションや、ダムドの曲「NEW ROSE」をキャプテン、ラットと一緒にジョー・ストラマーがふざけながら歌っている姿など、かなり貴重な映像が特典として収録されている。
脚注[編集]
- ^ [クロスビート取材こぼれ話 ザ・ダムド] - BARKS
- ^ 今週の一枚 セックス・ピストルズ『ライヴ’76』 - RO69
- ^ ザ・ダムドの来日公演にサポート・アクトの出演が決定 - amass
- ^ ダムド、ドキュメンタリー映画『地獄に堕ちた野郎ども』が日本公開決定 - RO69
- ^ ただし、デイヴ自身は1stCDライナーノートにて「(墓掘り人夫をしていたと言われたのは)そりゃデマだ。本当はマルコム・マクラーレンを通して(メンバーと)知り合ったんだ。」とコメントしている。
- ^ ザ・ダムドのベーシストだったブライアン・メリックが逝去。享年56歳 - NME JAPAN
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト (英語)