NbFz (戦車)

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PzKpfw.Nb.Fz.
Bundesarchiv Bild 101I-761-221N-06, Norwegen, Panzer "Neubaufahrzeug".jpg
性能諸元
全長 6.65 m
全幅 2.90 m
全高 2.90 m
重量 23.41 t
速度 30 km/h
行動距離 120 km
主砲 7.5cm Kw.K.L/23.5戦車砲
3.7cm Kw.K.L/46.5戦車砲
副武装 MG13 7.92mm機銃×3
装甲 20 mm
エンジン BMW Va(290 馬力
マイバッハHL 108 tr(300 馬力)
乗員 6 名
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NbFzNb.Fz.Neubaufahrzeugノイバウファールツォイク) は、ドイツで開発された多砲塔戦車。「ノイバウ-ファールツォイク」はドイツ語で「新造-車輌」の意。試作車が計5輌製造されたのみに終わった。

概要[編集]

1920年代後半から1930年代前半にかけて、欧米各国では、フラー理論に基づく、大型の車体に複数の砲塔を搭載した、敵防御線突破用の多砲塔重戦車の開発が流行していた。

ドイツでも、ヒトラー政権成立後の1934年に、ドイツ国防軍が、ラインメタル社とクルップ社に「グローストラクトーア」(Großtraktor、大型トラクター)の開発を指示したことで、多砲塔戦車の開発が開始された。ドイツ軍はヴェルサイユ条約のもとで戦車の保有が禁止されていたため、戦車の開発を秘匿するために「大型トラクター」という名称が用いられた。

なお、1920年代後半にも、同じ「グローストラクトーア」((Großtraktor、重トラクター)の名称で、ダイムラー・ラインメタル・クルップの各社2輌ずつ、計6輌の戦車が試作されている。NbFzにはそれらの設計・経験が生かされていた。

NbFzは車体中央に主砲塔、右前方と左後方に副砲塔を搭載していた。主砲塔には機関銃1丁と戦車砲2門が同軸装備され、副砲塔には機関銃1丁がそれぞれ装備された。

まず、軟鋼製の試作車輌2輌(1号車と2号車)が製造された。両車の違いは主砲塔にあった。1号車はラインメタル社製砲塔を搭載し、2号車はクルップ社製砲塔を搭載した。車体は両車ともラインメタル社が設計・製造した。クルップ社は2号車の主砲塔のみを設計・製造した。

ラインメタル社製砲塔は7.5cm KwK戦車砲、3.7cm KwK戦車砲を縦2連同軸に搭載し、クルップ社製砲塔ではこれらを並列に搭載していた。ラインメタル社製砲塔では同時期のT-28中戦車のような「鉢巻きアンテナ(フレームアンテナ)」を装備していた。なお副砲塔はI号戦車のものとほぼ同じであった。

NbFzは、車体後方に起動輪、車体前方に誘導輪をもつ、後輪駆動方式であった。

これらの設計は重戦車としての役割を果たすには複雑すぎ、信頼性の低いことが判明したものの、多砲塔戦車の設計技術向上のため、開発はその後も続行された。

1935年に、2号車を基にした、防弾鋼製の車体にクルップ社製砲塔を搭載した実用試験車輌が、ラインメタル社に発注・製造され、1936年に3輌が完成した。しかしこの頃には、敵防御線突破用の多砲塔重戦車という概念自体が陳腐化し、試作車は全車が一旦は退役した。

戦歴[編集]

プロパガンダ用に工場で撮影されたノイバウファールツォイク

しかし、大戦初期の戦車不足のため、実用試験車輌の3輌は、第40特別装甲大隊第3中隊のホルツマン小隊(プトロス小隊)に配備され、1940年4月からのノルウェー侵攻作戦に実戦投入され、ノルウェー各地を転戦して歩兵支援に活躍したものの[1]、1輌は路上で故障し自爆処分された。またもう1輌は1941年バルバロッサ作戦に投入され、KV-1に遭遇し撃破された。生き残った車輌は、その目立つ強そうな外見からナチスのプロパガンダ活動に使われ、演説用の台にされたりした。また、本車がIII号戦車の生産ラインに共に並んでいる写真があるが、これは量産されているように見せかけた欺瞞工作であった。

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  1. ^ ノルウェー軍が対戦車火器を使用して戦わなかったため、防御力不足などの欠点が表面化しなかった。

参考文献[編集]

  • 『タンクバトルIII』2005年 光人社刊 齋木伸生著 ISBN 4-7698-1277-9 C0095