金華山 (岐阜県)
![]() |
金華山 | |
---|---|
![]() 南西上空から | |
標高 | 328.86[1] m |
所在地 | 岐阜県岐阜市 |
位置 |
北緯35度26分00秒 東経136度46分53秒 |
山系 | 独立峰 |
種類 | 堆積岩(チャート) |
| |
![]() |

金華山(きんかざん)は、岐阜県岐阜市にある標高329mの山。旧名稲葉山(いなばやま)。
概要[編集]
岐阜市のシンボル的存在で、市民のランドマークや憩いの場となっており、夜景が美しいことからデートスポットとして県外から訪れる客も多い。西側山麓には岐阜公園、岐阜県歴史資料館、岐阜市歴史博物館、名和昆虫博物館などの文化施設、伊奈波神社、岐阜護國神社、善光寺安乗院などの神社・寺院があり、山頂付近には模擬天守の岐阜城、隅櫓を模した岐阜城資料館の他、岐阜城の曲輪を利用した金華山リス村、売店や展望レストランなどがある。山頂へは金華山ロープウェーが通じ、南に連なる瑞龍寺山(水道山)には金華山ドライブウェイも走り、南端には瑞龍寺がある。
名称[編集]
古くは稲葉山(因幡山)と呼ばれていた。それは伊奈波神社の祭神に由来する。主人の五十瓊敷入彦命が因幡国にあって、後にこの地に来たこと、また、祭神の彦多都彦命(主神の外祖父)が因幡国造であったことによるという(『稲葉郡志』)。他に神代の頃、皇孫が天下るとき、稲穂をもって雲露を払い、この稲穂が美濃国に飛び来たって稲葉山になったともある(『尾張葉栗見聞集』)。
金華山については仁明天皇の頃、在原行平が陸奥から金花石を引かせこの地に来たが、その石を残して上洛し、のちにこの石を金(こがね)大明神と号したという記述が『美濃国諸国記』にあり、行平がこの石を山に運び来て以来、金華山という名が生まれたという[2]。
金華山には他にも、破鏡山、一石山の別名がある。『因幡社本縁起』によれば、五十瓊敷入彦命が奥州より金石を持ち帰るとき、同形の石が8個あったのを、亡き母の日葉酢媛命(伊奈波神社の祭神)による真の金石は鏡を破るというお告げによってこれを見分けることができ、それを持ち帰り厚見県椿原(今の岐阜県丸山)に置いたら一夜にして36丈の山となったことが名前の由来という。
『尾濃葉栗見聞集』には「当山の四方をめぐり一見せしに闕欠したる所曽てなし、往古より今に至て唯一石の如くなれば一石山といふ」「当山の北麓は長良川に岩根を洗ふ、巌丈高く立のぼって鏡を立たるが如し、昔より今に至りて荒波の寄ては帰り、帰りては又打ち寄せて山の端をみがける故に破鏡山といへるならん」 とある。
また『稲葉郡志』によれば、昔、方県郡雄総村(今の岐阜市)に一人の放蕩者がおり、奥州金華山で改心し、小石1個を持ち帰って許しを乞うたが、父親はこの石は金華山の石にあらず、偽りを言って自分を欺くのか、と言って小石を力任せに投げたところ、岐阜に飛び一夜にして山となったので一石山と称したという[3]。
自然[編集]
山全体は、ツブラジイ・アラカシを主とした照葉樹で覆われており、照葉樹林の最終的な姿と言われている極相林となっている。金華山の山名は、ツブラジイの花が咲くと山全体が黄色く見え、金色に輝いて見えることに由来する。岐阜城が使われていた時代は、古図などから元々は松の山であったようであるが、徐々にシイの木にとって代わっていったようである。
人口40万人を越える都市の中心市街地に接しながらこのような森林が残ったのは、江戸時代から「天領・お留め山」として入山や伐採が厳しく止められていたためである。それ以降も、明治から戦前までは御料林として、戦後は国有林・鳥獣保護区(金華山特別保護地区)として保護されている。
この国有林と指定された区域は、岐阜城の城域に符合し、国史跡岐阜城となっている。
登山道ではヤマガラなどの鳥類や、タイワンリスをみかけることもある。最近の調査では金華山にはイノシシが暮らしている痕跡が見つかっている。
地質[編集]
地質的には古生代のペルム紀から中生代の三畳紀に堆積したチャートで構成されており、非常に固いことからあまり侵食されなかったため、標高10m程度の岐阜市の平野の中でそびえ立つ山となって残ったものと考えられる。
歴史[編集]
- 1201年(建仁元年) 二階堂行政が山上に砦を設ける。後に二階堂氏は稲葉氏と改姓し、当山は稲葉山と呼ばれるようになるが、その後廃城となる。
- 15世紀中頃 斎藤利永が遺構を利用して城を築き、以後斎藤氏の居城となる。
- 1567年(永禄10年) 織田信長の居城となり稲葉山城から岐阜城と改称された。天下統一の拠点として、山上には天守、山麓には壮麗な御殿(天主)が建設され、城下町には楽市・楽座が設けられて繁栄した。
- 1575年(天正3年) 信長は新たに建設された安土城に移り、岐阜城は嫡男織田信忠に受け継がれた。
- 1601年(慶長6年) 徳川家康により岐阜城は廃城とされた。代わって加納城が築城され、岐阜城から天守閣や櫓などが移築された。以後、当山への立ち入りは禁止された。
- 1869年(明治2年) 版籍奉還により尾張藩の藩有林から官林となる。
- 1887年(明治21年) 山麓に岐阜公園が開設。
- 1889年(明治23年) 皇室典範の制定に伴い帝室御料林となる。
- 1910年(明治43年) 山上に復興天守が建設されたが、1943年(昭和18年)に失火により焼失した。
- 1934年(昭和9年) 風致地区に指定される。
- 1944年(昭和19年) 権現山に防空監視哨が設けられる(民間人の立入は規制)。
- 1947年(昭和22年) 国有林に編入される。鶯谷トンネル開通
- 1953年(昭和28年) 鳥獣保護区に指定される。
- 1955年(昭和30年) 金華山ロープウェー開業
- 1956年(昭和31年) 山上に鉄筋コンクリート造りの復興天守が再建。
- 1958年(昭和33年) 水道山山上に岐阜プラネタリウム開設。
- 1959年(昭和34年) 水道山にロマンスリフトが開業。
- 1963年(昭和38年) 金華山ドライブウェイ開通
- 1972年(昭和47年) 新鶯谷トンネル開通
- 1984年(昭和59年) 岐阜プラネタリウム閉館
- 1987年(昭和62年) 金華山トンネル開通
- 2002年(平成14年) 金華山の岩盤をくり抜いて建設した鏡岩配水池が完成。
- 2004年(平成16年) 都市計画法の改正に伴い「金華山・長良川風致地区」として第1種風致地区、第2種風致地区に指定される[4]。
登山道[編集]
各方面から山頂へ向かう多くの登山道が整備されている。岐阜城当時の登山道を一部ルートを変更、整備されたもので、途中砦跡や石垣などの遺構を見ることができる登山道もある。金華山ロープウェーを利用することもできる。
- 七曲り登山道
- 岐阜城への登城道(大手道)で、ロープウェー開通まで最も多く利用された登山道。比較的傾斜もゆるく、よく整備されていて道幅も比較的広い。初心者でも安心して登れる。名前は「七曲り」だが実際は13曲りぐらいある。石段から外れて、昔の旧登山道も所々に残る。途中岩戸方面に出られる斎藤道三が切り開いた切通しがある。また砦跡や岩盤を削って道を切り開いた所も確認出来る。
- 瞑想の小径(こみち)
- 所々急斜面や、道沿いに崖もあるが、難所には看板や橋等もあり、比較的よく整備されている。小さな沢を横切ったり、長良川や岐阜市内の眺めもいたるところで楽しめる。頂上付近に鼻高登山道への分岐点がある。この分岐地点に岐阜城の裏門の石垣が発見された。いくつかの沢を横切ることから「水手道」ともいわれる。岐阜城の搦手の一部。
- 馬の背登山道
- 山頂までの最短コース。初心者向きではない急斜面の箇所がある。山頂と瞑想の小径との分岐点にある馬の背登山道のスタート地点の看板には「お年寄りや幼児には無理です。」と記されている。山頂近くに石垣が残る。
- 百曲り登山道
- 禅林寺の石段の南に登山道入口があり、ロープウェー頂上駅付近にたどり着く登山道。馬の背に次いで短いコース。こちらも初心者には厳しい。
- 東坂登山道
- 岩戸公園からのコース。途中大参道、唐釜コースへと分岐する。
- 鼻高登山道
- 県道287号線沿いの長良川左岸から登るコース。健脚者向け。山頂付近で瞑想の小径とつながる。岐阜城の搦手の一部。
- 達目(だちぼく)登山道
- 東坂登山道から分岐して日野へ降りる。
- 大釜登山道
- 達目洞から北上し、鼻高方面へ向かうコース。
- 大参道登山道
- なだらかな平地。森のトンネルをくぐっているような感じのコース。
- 唐釜登山道
- 七曲り登山道と東坂登山道を結ぶ。なだらかで所々道が細いコース。
その他の踏み跡も存在していたが、ロープや杭で道が塞がれ通行禁止となっている。
その他[編集]
金華山は南部にある稲荷山、権現山、相場山、岩戸山、瑞龍寺山(通称:水道山、標高156m)、南東部にある鷹巣山、洞山(標高205m)、北東部にある西山(標高176m)が連なっている。金華山ドライブウェイがあるのは駿河山、稲荷山、権現山、水道山、岩戸山にかけての部分。また金華山には長良川に程近い北西部に金華山トンネル、南西部の水道山部分に鶯谷トンネル、南部に岩戸トンネル、東部に井ノ口トンネルが通っている。
岐阜城西側の上加納山に、岐阜放送テレビ及びNHK岐阜総合テレビの送信所(上加納山タワー)が設置されている。なお、これ以外の局の受信については瀬戸デジタルタワーの電波を受信する。
岐阜市は市内の上水道設備として、金華山内部に日本初の大規模地下空洞式配水池(鏡岩配水池)を造っている。
明治末期、金華山山頂にあった井戸跡の浚渫により鉱泉(冷泉)が発見され、これを利用し、山麓に明治43年(1910年)「金華鉱泉」が開業、温泉街ができた。現在の岐阜護国神社の社地である。ただこれも一時的なもので、間もなく源泉が枯渇し、大正7年(1918年)には閉鎖となった。
金華山山麓には50数基の古墳があった(上加納山周辺が多い)。ただし大部分は残っていない。また金華山山頂部分にも古代遺跡があったようで、岐阜城が再建された際、須恵器の破片が見つかっている。
クロヒナスゲ(カレックス・ギフェンシス)、ムカシヤンマ(旧名:岐阜山蜻蛉)などは金華山で発見された種である。
地理[編集]
周辺の山[編集]
長良川左岸の岐阜市の市街地にあり、対岸には岐阜市の最高峰の百々ヶ峰がある。山頂から西に伊吹山を望むことができる。
山容 | 名称 | 標高 (m) |
三角点等級 基準点名[1] |
金華山からの 方角と距離(km) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
池田山 | 923.85 | 二等 「池田山」 |
![]() |
||
![]() |
百々ヶ峰 | 417.85 | 三等 「百々峰」 |
![]() |
岐阜市の最高峰 |
![]() |
金華山 | 328.86 | 二等 「金花山」 |
![]() |
岐阜城 |
![]() |
伊木山 | 173.06 | 三等 「伊木山」 |
![]() |
伊木山城 伊木の森 |
伊吹山 | 1,377.31 | 一等 「伊吹山」 |
![]() |
日本百名山 |
源流の河川[編集]
金華山を源とする以下の河川は、木曽川水系の支流で伊勢湾へ流れる。
脚注[編集]
- ^ a b 基準点成果等閲覧サービス・点名「金花山」、二等三角点 国土地理院、2011年3月2日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典 21 岐阜県. 角川書店. (昭和55年9月20日 1980)
- ^ 角川日本地名大辞典 21 岐阜県. 角川書店. (昭和55年9月20日 1980)
- ^ 金華山・長良川風致地区の風致保全方針、岐阜市役所都市計画課
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- ぎふ金華山ロープウェー公式ホームページ
- 国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1地形図名:岐阜北部(南西)
- 金華山―岐阜市観光情報|岐阜観光コンベンション協会
- 岐阜の地学・よもやま話 - 金華山、岐阜大学教育学部
- 岐阜市自然ふれあい地域ビジョンポータル - 金華山辞典