アドリアン・ルネ・フランシェ

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アドリアン・ルネ・フランシェ
アドリアン・ルネ・フランシェ
生誕 (1834-04-21) 1834年4月21日
フランスの旗 フランス王国ペズーフランス語版
死没 (1900-04-15) 1900年4月15日(65歳没)
フランスの旗 フランス共和国パリ
国籍 フランスの旗 フランス
研究分野 植物学
研究機関 フランス国立自然史博物館
主な業績 アジアの植物の研究
命名者名略表記
(植物学)
Franch.
プロジェクト:人物伝

アドリアン・ルネ・フランシェ: Adrien René Franchet, 1834年4月21日 - 1900年4月15日)は、フランス植物学者である。

略歴[編集]

ペズーに生まれた。父親を早く失うが、植物学への情熱を持ち、植物学の研究に当時必要だったラテン語をモンティ(Montils)の司祭から学んだ。12歳でブロワ薬剤師の見習いとなり、ブロワの学校で学んだ。1857年にシュヴェルニー城の所有者、ヴィブレイ侯爵に雇われ、城の考古学地質学コレクションの学芸員として働いた。1880年にヴィブレイ侯爵が没するまでその仕事を続けた。1881年からフランス国立自然史博物館の標本館などで働き、中国や日本などの植物の専門家となった。アジアの植物の研究は、フランスの宣教師が集めた標本をもとにしたもので、アルマン・ダヴィドの集めたチベットモンゴルの植物や、デラヴェ(Pierre Jean Marie Delavay)やファルジュやボディニエ(Émile-Marie Bodinier)や日本の植物を採集したフォーリーらの標本を研究した。ボンヴァロ(Gabriel Bonvalot)とドルレアン中央アジア探検で集められた標本も研究した。アジアの植物を研究した、カール・ヨハン・マキシモヴィッチキューガーデンウィリアム・ヘムズリーと密接な交流を行い研究を進めた。

特に高山植物の分類の分野で働き、ヨーロッパの高山植物の起源を研究したが、突然の死によって研究は完成しなかった。生涯に28の属を同定し、2000以上の種について研究した。1898年にフランス植物学会の会長を務めた。

アカテツ科の属名、FranchetiaBreoniaのシノニム)やテングタケ科の種、Amanita franchetiiラン科の種、Cypripedium franchetiiバラ科の種、Cotoneaster franchetiiなどに献名されている。

著作[編集]

  • Essai sur la distribution géographique des plantes phanérogames dans le département de Loir-et-Cher, 1868 - Essay on the geographical distribution of phanerogams found in the department of Loir-et-Cher.
  • "Enumeratio plantarum in Japonia : sponte crescentium hucusque rite cognitarum", 1875.
  • Plantae Delavayanae. Plantes de Chine recueillies au Yun-nan par l'abbé Delavay, 1889 - "Plantae Delavayanae" : Plants from China collected in Yunnan by Father Delavay.
  • Contributions à la flore du Congo français, Famille des graminées, 1896 - Contributions involving flora of the French Congo; Family Gramineae.[1]
Franch.は、植物の学名命名者を示す場合にアドリアン・ルネ・フランシェを示すのに使われる。命名者略記を閲覧する/IPNIAuthor Detailsを検索する。)

脚注[編集]

  1. ^ IDREF.fr bibliography

外部リンク[編集]