瑞龍寺 (岐阜市)

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瑞龍寺
Zuiryuji Temple Gifu 01.JPG
所在地 岐阜県岐阜市寺町19
位置 北緯35度25分10.9秒
東経136度46分1.2秒
座標: 北緯35度25分10.9秒 東経136度46分1.2秒
山号 金寶山金寳山金宝山
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗妙心寺派
創建年 応仁2年(1468年
開基 斎藤妙椿
中興年 1806年文化3年)
中興 隠山
正式名 金寶山 瑞龍寺
文化財 厚見寺跡・土岐成頼墓・悟渓国師墓(岐阜県指定史跡)
地図
瑞龍寺 (岐阜市)の位置(岐阜県内)
瑞龍寺 (岐阜市)
法人番号 5200005000623
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瑞龍寺(ずいりょうじ)は、岐阜県岐阜市寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は金寶山。

臨済宗妙心寺派の坐禅修行の出来る専門道場であり、雲水(の修行僧)の修業の場である。

総門を入ると参道の右に瑞雲院鶴棲院臥雲院。左に、天澤院開善院雲龍院の6つの寺(塔頭)がある。一番奥には雲水の修行道場である僧堂がある。

境内には、斎藤妙椿斎藤利藤とは別人が有力)、土岐成頼悟渓国師の墓がある[注釈 1]

沿革[編集]

元々、この地には飛鳥時代より、中林寺厚見寺などと称した寺院が存在し、その後廃寺となっていたという[注釈 2]

1468年応仁2年)、美濃国の実権を握る斎藤妙椿が、美濃国守護である土岐成頼の菩提所として建立し、悟渓宗頓国師を迎えて開山。1470年文明2年)に七堂伽藍が完成する。美濃国尾張国を中心に、東海派禅門の古道場として知られていたという。

1500年明応9年)以降は、悟渓宗頓国師の弟子たちが輪住制で寺を守っていたが、1567年永禄10年)の織田信長岐阜城攻略、及び1600年慶長5年)の徳川家康の家臣福島正則らによる岐阜城攻略により焼失する。

1747年延享4年)に輪住制が途絶え、一時荒廃するが、1806年文化3年)、隠山禅師により再建される。

1945年(昭和20年)の岐阜大空襲により焼失する。その後、順次再建されるが、1959年(昭和34年)に伊勢湾台風で損害を受ける。その後も再建が続けられる。

1992年平成4年)に本堂が改築され、2005年(平成17年)に耐震補強工事が行われて新聞などにも取り上げられた。

その他[編集]

  • 瑞龍寺は江戸時代橿森神社の神宮寺とされていた。
  • 専門道場のため普段は非公開であるが、毎年3月上旬のぎふ梅まつりに合わせて無料拝観が行われる。

所在地[編集]

  • 岐阜県岐阜市寺町19

交通アクセス[編集]

岐阜バス「竜田町」バス停が最寄である。徒歩5分。

  • JR岐阜駅バスターミナル13番のりば 
  • JR岐阜駅バスターミナル14番のりば 
    • 岐阜上之保線「せき東山」「岐阜医療科学大」「上之保川合」行き
    • 大洞団地線「大洞緑団地(北一色経由)」行き
    • 八幡線「八幡営業所(北一色経由)」行き
    • 千疋大平台タウン線「大平台タウン」行き
  • 岐阜バスターミナルCのりば
    • 岐阜上之保線「せき東山」「岐阜医療科学大」「上之保川合」行き
    • 大洞団地線「大洞緑団地(北一色経由)」行き
    • 八幡線「八幡営業所(北一色経由)」行き
    • 千疋大平台タウン線「大平台タウン」行き
  • 名鉄岐阜のりば6番のりば
    • 尾崎団地線「諏訪山団地」「各務原高校前」「テクノプラザ」「三柿野駅」行き
    • 岐阜聖徳学園大学線「水海道」行き
    • 県病院線「県総合医療センター」行き

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 岐阜県指定史跡[1][2][3]。その他、絹本著色土岐成頼像・絹本著色悟渓宗頓像と塔頭開善院の紙本著色斎藤妙椿像が岐阜市指定文化財、隠山円照禅師墓が岐阜市指定史跡となっている[4]
  2. ^ 厚見寺跡は岐阜県指定史跡となっている[5]

出典[編集]

  1. ^ 斎藤妙椿墓”. 岐阜県. 2013年5月9日閲覧。
  2. ^ 土岐成頼墓”. 岐阜県. 2013年5月9日閲覧。
  3. ^ 悟渓国師墓”. 岐阜県. 2013年5月9日閲覧。
  4. ^ 岐阜市内の指定等文化財一覧” (2012年4月6日). 2013年5月14日閲覧。
  5. ^ 厚見寺跡”. 岐阜県. 2013年5月9日閲覧。

外部リンク[編集]