牧野虎次

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牧野虎次(1940年頃)

牧野 虎次(まきの とらじ、明治4年7月3日1871年8月18日) - 昭和39年(1964年2月1日)は、日本牧師、社会事業家。新島襄の直弟子で同志社総長となった最後の人物である[1]

虎次の長男・操の夫人・弥生は政治家石破茂の母・和子の従姉に当たる[2]。 

略年譜[編集]

青年時代の牧野虎次(右奥)と山室軍平(左奥)
同志社大学開校記念撮影(1912年5月、後列左から3人目が牧野虎次)
戦時下にあって「内剛、外柔低姿勢よく弾圧の嵐を乗り切」り、「同志社受難期をうまく脱した」と評された[3]

受賞[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『同志社山脈』 26-27頁
  2. ^ 回想録 石破二朗 追想篇』421頁より
  3. ^ 『同志社九十年小史』 119-121頁
  4. ^ a b c 京都市:京都市名誉市民 牧野虎次氏

参考文献[編集]

  • 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年
  • 同志社山脈編集委員会 『同志社山脈』 晃洋書房、2002年 ISBN 4771014086

外部リンク[編集]


学職
先代
上谷続(臨時総長)
同志社総長
1941年 - 1947年
次代
湯浅八郎
その他の役職
先代
若松兎三郎
同志社交友会会長
1947年 - 1951年
次代
村田竹治郎