松山高吉

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松山 高吉
Takayoshi Matsuyama.jpg
生誕 (1847-01-26) 1847年1月26日
日本の旗 日本越後国糸魚川(現、新潟県糸魚川市)
死没 (1935-01-04) 1935年1月4日(87歳没)
日本の旗 日本京都府
国籍 日本の旗 日本
職業 牧師翻訳家作詞家

松山 高吉(まつやま たかよし、弘化3年12月10日1847年1月26日) - 昭和10年(1935年1月4日)は、日本の牧師文語訳聖書の翻訳に関わった。日本における賛美歌事業の草分けである。

生涯[編集]

1846年(弘化3年)に越後国糸魚川に生まれ、漢学を修めるために、京都と江戸に留学する。

1872年(明治5年)に神戸で初めてキリスト教に接する。アメリカンボードの宣教師D・C・グリーンから洗礼を受けた。

1883年(明治16年)には上京して東京新栄教会で行われた第三回全国基督教信徒大親睦会の幹部として活動する。

その後、奥野昌綱らと共に、新約聖書旧約聖書の翻訳と、『新撰讃美歌』『古今聖歌集』の編集を行った。自ら讃美歌の作詞も行い。「めぐみのかみ」讃美歌59番を作詞した。この讃美歌は内村鑑三の愛唱歌になった。

神戸教会の牧師、日本基督伝道会社社長、同志社社長代理などを務めた。引退後は京都に隠居した。

参考文献[編集]

  • 『讃美歌略解(歌詞の部)』


学職
先代:
下村孝太郎
同志社社長代理
1906年11月 - 1907年1月
次代:
原田助