大澤善助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
大澤 善助
Zensuke Osawa
大沢善助(1854~1934).jpg
生誕 1854年3月7日
嘉永7年2月9日
京都富小路通丸太町下ル[1](現在の京都市中京区
死没 1934年10月10日(満80歳没)
京都府京都市
職業 実業家
子供 大澤徳太郎 長男
大澤善夫

大澤 善助大沢-、おおさわ ぜんすけ、1854年3月7日嘉永7年2月9日) - 1934年昭和9年)10月10日)は、日本の実業家である[1]大沢商会京都電気鉄道の創立者として知られる[2]。幼名は松之助(まつのすけ)、養父を継ぎ清八(せいはち)とも名乗った[2]

人物・来歴[編集]

1854年3月7日嘉永7年2月9日)、京都富小路通丸太町下ルに松之助として生まれる[1][2]。任侠・会津小鉄こと上坂仙吉の親分である同じく任侠の大澤清八(大垣屋清八)の養子となり、大澤松之助となる[1]。のちに養父を継ぎ、大澤清八と名乗り、組の若大将として活躍した。

1877年明治10年)、23歳のころ、同志社英学校初代校長の新島襄から洗礼を受け、クリスチャンとなる。父・清八、長男・徳太郎も受洗、人入れ稼業の組は上坂仙吉に譲った。

1890年(明治23年)、時計および自転車の輸入・製造販売を開始、大沢商会を創立した[1]1892年(明治25年)、京都電燈株式会社の代表取締役社長に就任する[1]1894年(明治27年)2月1日京都電気鉄道を設立して取締役に就任(社長は高木文平)、翌年1895年(明治28年)、日本初の市街電車を開業した[2]1898年(明治31年)5月6日に開業した名古屋電気鉄道にも協力した。

京都府会議員となり、1899年(明治32年)、同府会議長となった。

1900年(明治33年)11月18日大韓帝国釜山(現在の大韓民国釜山広域市)にわたり、善助が設立した釜山電燈会社に電気事業許可が下り、京都電燈と同地の居留民が共同出資して釜山電燈株式会社を設立、1902年(明治35年)4月1日には開業した。1910年(明治43年)5月、韓国瓦斯電気株式会社に同社を売却した。

1918年大正7年)7月1日、京都電気鉄道を京都市に売却した。

1925年(大正14年)9月10日、善助の寄付で建てた、同志社女子部寄宿舎「大沢寮」が竣工した[3]

1934年昭和9年)10月10日、死去した[2]。満80歳没。長男に大沢商会二代目社長・大澤徳太郎、孫にJ.O.スタヂオを興し、日本映画のトーキー化を推進した大澤善夫(徳太郎長男)、同志社同窓会名誉会長・同志社幼稚園名誉園長の武間冨貴(徳太郎次女、武間亨一の妻)がいる。

ビブリオグラフィ[編集]

復刻『回顧七十五年:記・大沢善助』、大空社2000年9月 ISBN 4756808980

[編集]

  1. ^ a b c d e f 大沢善助日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク 2018年7月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e 大沢善助講談社「日本人名大辞典+Plus」コトバンク 2018年7月9日閲覧。
  3. ^ 同志社女子大学年表 同志社女子大学 2018年7月9日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]