桂ひな太郎

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桂 ひな太郎かつら ひなたろう
本名 武藤 幸男
生年月日 (1952-09-08) 1952年9月8日(66歳)
出身地 日本の旗 日本群馬県安中市
師匠 3代目古今亭志ん朝
9代目桂文楽
名跡 1. 古今亭志ん坊(1977年 - 1981年)
2. 古今亭志ん上(1981年 - 2001年)
3. 桂ひな太郎(2002年 - )
出囃子 越後獅子
活動期間 1977年 - 2001年、2002年 -
所属 落語協会
受賞歴
NHK新人演芸コンクール最優秀賞(1988年)
第13回国立演芸場花形演芸大賞(1993年)

桂 ひな太郎(かつら ひなたろう、1952年9月8日 - )は、群馬県安中市出身の落語家落語協会所属。本名は武藤 幸男出囃子は『越後獅子』。

ひな太郎の名は、古くは「雛太郎」と名乗っている芸人が数人いるが、桃月庵や桃月亭、桂、柳亭など亭号はさまざまなものが使われている。代々音曲師や色物の芸人が名乗った。

略歴[編集]

自称、落語界の坂東玉三郎、または病み上がりの舟木一夫と称している。

得意ネタ[編集]

歴代の雛太郎[編集]

  • 初代桃月庵 雛太郎(生没年不詳) - 初め初代司馬龍生の門で右龍、後に司馬雛太郎から亭号を桃月庵雛太郎となる。初代七昇亭花山文と競い合い並び称された音曲師。
  • 2代目桃月庵 雛太郎(生没年不詳) - 初め2代目入船扇蔵(後の3代目入船亭扇橋。本名:山高鉄三郎)の門で春の助。後に初代雛太郎の門で花太郎から雛太郎となった。
  • この間に、桃月庵雛太郎が1人か2人いた模様だが、つまびらかならず。
  • 桂 雛太郎(生年不詳 - 1884年8月3日) - 後の桂文鏡
  • 桂 雛太郎(1922年3月 - 1960年10月28日) - 後の秋風亭米枝。(べいし。本名:平野茂三郎)
  • 桃月亭 雛太郎(生没年不詳) - 明治30年代末に初代柳亭芝楽(後の5代目柳亭左楽)の門で芝鶴、後に師匠が芝楽が5代目左楽を襲名をきっかけに明治の末に左鶴となる。さらに1917年2月に桃月亭雛太郎となる、日露戦争に従軍し片足を失ったが日露戦争で戦友だった左楽に拾われた。なまりがひどく落語家の大成を諦め色物に転向し追分節音曲師となった。1930年頃柳連、睦会の番付には確認できる。本名:矢代米作。
  • 柳亭 雛太郎(1916年 - 1956年4月1日4月9日とも)) - 最初は吉原の幇間(太鼓持ち)戦後まもなく5代目左楽の門で柳亭?要(かなめ)となる。1946年に柳亭雛太郎となる。芸は小噺のあとに寄席踊りやりそのあと、袴を身にまとい雷門五郎(後の8代目雷門助六)の「操り踊り」を真似し売り物にした。戦後左楽とともに戎橋松竹に出演経験もあった。本名:斉藤庸司。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]