暗越奈良街道

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暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)は、大坂難波)から生駒山地暗峠(くらがりとうげ)を超えて奈良平城京)に至る街道であり、数ある奈良街道伊勢参宮街道の一つである。「日本の道100選」にも選定されている。

概要[編集]

暗峠(大阪府・奈良県境)

かつての平城京三条大路である奈良市三条町から砂茶屋を通り、標高270mの榁木峠(むろのきとうげ)を越えて生駒谷を経て、その先の標高455mの暗峠を越えて難波に至る延長約15kmの街道で、現在の国道308号にあたる[1]。街道の中間付近にある生駒谷から暗峠への登り道は、急斜面の登坂路である。斜面の棚田のそばを通りながら、山の中へ入っていく道筋には、石仏寺、弘法大師堂などの古寺や石仏が多くあり、これらのなかには「くらがり峠 旅行く芭蕉」と記された石碑もある[1]。坂を登り詰めたところが暗峠で、約50mのコンクリート舗装の石畳の道となっており、そばに大神宮灯篭や往年の道標などが見られる[1]

かつては、沿道の峠村に本陣や旅籠、茶店が立ちならんでいた。近世になって大阪 - 奈良間に、近鉄奈良線阪奈道路第二阪奈有料道路が開通してからは、かつての賑わいも寂れているが、近年では歴史を探訪する格好のハイキングコースにもなっている[1]

奈良市三条町から生駒市西畑暗峠までの約13.3km区間が、1986年(昭和61年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」の一つに選定されている[2]

歴史[編集]

奈良時代難波平城京最短距離で結ぶ道として設置された。この時代は、防人朝鮮の外国使節もこの道を通って平城京と行き来した[1]。『五畿内志』では南都道と表記されている。

江戸時代には大名の参勤路にもなっており、大和郡山藩の本陣が暗峠の村におかれた。俳人としてよく知られる松尾芭蕉が、1694年(元禄7年)、菊の節句9月9日に、最後の旅路でこの街道を通った際に、「菊の香に くらがり越ゆる 節句かな」の句を詠んでいる[1]。1801年(享和元年)刊の『河内名所図会』には、「大阪より大和及び伊勢参宮道となり、峠村には茶屋旅館多し」の記載もみられ、江戸時代後期には庶民の伊勢参宮道としても利用された[1]

近世までの起点は玉造で、安堂寺橋通に直結していた。明治時代に道路元標の置かれた高麗橋東詰に起点が変更された。 玉造の東隣に位置する東成郡中道村(現・東成区中道)の村名は暗越奈良街道に由来すると言われている。 大正時代に大阪 - 奈良間に鉄道を敷設する際のルート案のひとつとして、この街道を沿う形でケーブルカーを設置する案があった。採用されたのは、峠の少し北側の生駒山腹に長大トンネルを掘るという案で、現在の生駒トンネルとなった。

現在は国道308号および大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線がこの街道をほぼそのまま踏襲している。

沿線[編集]

河内街道」と「暗越奈良街道」の交点(東大阪市菱屋東)。 左右方向が「河内街道」。
左に写っている石標に「すぐ(まっすぐ)石切 瓢箪山 奈良、左 住道 四條畷」と確認できる。

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 「日本の道100選」研究会 『日本の道100選〈新版〉』 国土交通省道路局(監修)、ぎょうせい2002年6月20日ISBN 4-324-06810-0