オランダ坂

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東山手十三番館(左)と活水女子大学(右)
東山手洋風住宅群前

オランダ坂(オランダざか)は、長崎県長崎市東山手町にある石畳の坂道重要伝統的建造物群保存地区東山手」の一部。

概要[編集]

オランダ坂とは、大浦海岸通電停側から石橋電停側の誠孝院(じょうこういん)前の坂までの切り通し、活水坂、英国聖公会会堂跡前の坂一帯の総称である。江戸時代から明治時代にかけては、東洋人以外の人がよく通行していた。当時はその人々をオランダさんと呼んでいたのでこの名前がある。特に、活水女子大学入口にある坂がよく知られている。

活水女子大学入口の坂は幅が広く、坂は急でとても長い。現在は自動車も通っているが、自転車は通行止めになっている。入口と坂の途中には「オランダ坂」とかかれた石碑がひとつずつある。活水女子大学前から入ると、孔子廟裏へ出る。

周囲は異国情緒を伝える15棟の明治洋館群が建ち並び、眼下に長崎港を臨む景観に恵まれたロケーションにある[1]。長崎の観光地を結ぶ導線であるほか、高台に住む地域住人に欠くことのできない生活道路として親しまれる[1]

歴史[編集]

長崎は、鎖国時代の終わり「安政の開国」によってオランダ人や中国人をはじめ、アメリカ・イギリスなどから外国人が訪れるようになり、東山手および西山手に外国人居留地が形成された[2]。やがて、居留地の人々によって大浦石橋から東山手の英国聖公会堂に至る緩やかな石畳の坂道が築造されるようになり、日曜日のたびに外国人が教会に通ったり、散策路として利用したと伝えられる。当時の長崎の人々は、欧米の諸外国の人々をすべて「オランダさん」とよんで親しんでいたことから、自然に「オランダ坂」と呼ばれるようになったといわれる[2]

近年の急激なモータリゼーションの進行により、石畳の破損やアスファルト舗装化が進んだため、1985年から1986年にかけて復元工事が行われ、道路横に憩いの場として小公園を設置した[2]1986年(昭和61年)8月10日道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」にも選定されており[3]、顕彰碑はこの小公園内に建立されている[2]

沿道[編集]

楽曲[編集]

その他のオランダ坂[編集]

オランダ坂と呼ばれる場所は日本にいくつかあり、次のような例が挙げられる。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 「日本の道100選」研究会 『日本の道100選〈新版〉』 国土交通省道路局(監修)、ぎょうせい2002年6月20日、200-201頁。ISBN 4-324-06810-0

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • オランダ坂 - ながさき旅ネット((社)長崎県観光連盟、長崎県企画振興部、2012年9月4日閲覧)

座標: 北緯32度44分19.02秒 東経129度52分20.79秒 / 北緯32.7386167度 東経129.8724417度 / 32.7386167; 129.8724417