コンテンツにスキップ

幸子女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Reindeer (会話 | 投稿記録) による 2014年4月24日 (木) 10:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:有栖川宮を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

幸子女王(ゆきこじょおう、延宝8年9月23日1680年11月14日) - 享保5年2月10日1720年3月18日))は、江戸時代の日本の皇族東山天皇中宮女院号は承秋門院(しょうしゅうもんいん)。幼称は英宮。

系譜

有栖川宮幸仁親王の第一王女。有栖川宮正仁親王は異母弟。

経歴

元禄10年(1697年)2月25日、東山天皇に入内し、女御宣下を受ける。元禄13年(1700年)、第一皇女・秋子内親王(のちの伏見宮貞建親王妃)を出産。宝永4年(1707年)5月3日に准三后宣下を経て、翌宝永5年(1708年)2月27日、中宮に冊立される。この結婚は4代将軍徳川家綱の斡旋で行われたもので、幕府中務大輔本多忠国らを派遣して賀辞を奏している。

宝永6年(1709年)6月、東山天皇が譲位し、自身の養子となっていた中御門天皇が践祚。同年12月に東山上皇が崩御すると、翌宝永7年(1710年)3月21日に女院号宣下を受け、間もなく出家する。

享保5年2月10日(1720年3月18日)に没。享年41。陵所は京都府京都市東山区月輪陵