本多忠国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
 
本多忠国
Honnda Tadakuni.jpg
本多忠国像
時代 江戸時代
生誕 寛文6年(1666年
死没 宝永元年3月21日1704年4月24日
別名 平八郎
官位 従五位下中務大輔、従四位下侍従
幕府 江戸幕府
氏族 水戸松平氏本多氏
父母 父:松平頼元、母:小笠原忠真の娘
養父:本多政長
兄弟 松平頼貞忠国松平頼愛
胤(相馬昌胤正室)、長(松平直丘正室)、
久米
正室:池田綱政の娘
長男、次男、忠孝

本多 忠国(ほんだ ただくに)は、大和郡山藩陸奥福島藩を経て播磨姫路藩の藩主。忠勝本多家宗家6代。

生涯[編集]

陸奥守山藩主・松平頼元の次男に生まれる。水戸藩初代藩主・徳川頼房の孫で、2代藩主・徳川光圀の甥にあたる。大和郡山藩本多政長の養子となり[1]、政長死後、家督相続と同時に福島15万石に転封、その後姫路15万石に転封となる。

藩主在任中に死去し、家督は三男の忠孝が継いだ。

経歴[編集]

官位位階[編集]

系譜[編集]

     ┏政朝━政長
     ┃
本多忠政━┫   松平頼元
     ┗亀姫  ┣本多忠国
       ┣━嘉禰
      小笠原忠真


逸話[編集]

赤穂浪士吉田兼亮の娘婿伊藤治興が家臣にいる。1703年元禄16年)に吉田兼亮の遺児吉田兼直(幼名は伝内)が連座して伊豆大島へ遠島となると、幕府に許可されている持ち込み上限の金20両・米20俵のぎりぎりに近い、金19両米19俵を伝内に贈って支援している。

脚注[編集]

  1. ^ 忠国の外祖母亀姫本多忠政の娘であるため、忠国は本多家の血を引いていた。忠国にとって養父・政長は従伯父にあたる。