板倉勝達

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板倉勝達

板倉 勝達(いたくら かつさと、天保10年5月1日1839年6月11日) - 大正2年(1913年7月1日)は、江戸時代末期の大名で、最後の(第12代)陸奥福島藩主。重昌流板倉家第15代。明治期の裁判官、政治家、子爵貴族院議員板倉勝定(板倉家第11代板倉勝長の次男)の長男。正室は松原氏、継室は宇土藩細川行芬の娘・稲子。従五位下、内膳正。

経歴[編集]

初名は渋川教之助。明治元年(1868年)12月18日、先代藩主板倉勝己隠居処分にともない、家督を相続した。明治2年(1869年)1月24日、上総国山辺郡内・陸奥国信夫郡内の領地を陸奥国大沼郡内に移された。それにともない、飛び地のある三河国陣屋を移し、三河重原藩2万8000石を立藩した。同年6月、版籍奉還藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官された。明治17年(1884年)7月には華族令により子爵となる。

明治2年10月に司法大解部、明治6年(1873年)6月に群馬裁判所、同年12月に高崎区裁判所に配属となり、明治14年(1881年)6月に判事に就任した。また、明治10年(1877年)9月に華族会館華族部長局第一部長、同年12月に宮内省御用掛、明治15年(1882年)1月に農商務省御用掛となった。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]。明治23年(1890年)7月、貴族院子爵議員に選出され、明治44年(1911年)7月まで在任した。

先々代藩主勝顕の三男の勝英を養子にしたが、明治44年(1911年)に先立たれたため、家督は実子で長男の勝憲が継いだ。

脚注[編集]

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  1. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。


日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
福島板倉家初代
1884年 - 1913年
次代:
板倉勝憲