酒井忠実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
酒井忠実
時代 江戸時代後期
生誕 安永8年10月13日1779年11月20日
死没 嘉永元年5月27日1848年6月27日
改名 直之助(幼名)→忠実
別名 徳太郎、玉助(通称)、以翼、春来窓(号)
戒名 祗徳院殿鷺山源桓大居士
墓所 群馬県前橋市紅雲町の龍海院
官位 従五位下、河内守従四位下、雅楽頭、侍従、左近衛少将
幕府 江戸幕府
播磨姫路藩
氏族 雅楽頭酒井家
父母 父:酒井忠以、母:嘉代姫(松平頼恭の娘)
養父:酒井忠道
兄弟 忠道忠実以寧
正室:隆姫西尾忠移の娘)
采(松平信豪正室)、松平忠固(次男)、
西尾忠受(三男)、東(森忠敬正室)、忠讜(五男)、
三宅康直(六男)、娘(酒井忠嗣正室)、
桃(松平斉宣正室)、娘(九条尚忠室)、
養子:忠学万代西尾忠善の娘・内藤頼寧室)

酒井 忠実(さかい ただみつ)は、江戸時代後期の大名播磨国姫路藩酒井家第4代藩主。雅楽頭系酒井家宗家12代。

生涯[編集]

第2代藩主・酒井忠以の次男。文化11年(1814年)、兄忠道の隠居後に家督を継ぎ、20年以上にわたって藩政をとった。天保6年(1835年)、57歳で隠居する。家督は先代忠道の八男・忠学(忠実の甥)に継がせた。隠居後、鷺山と号した。

叔父の酒井抱一と交流が深かった。抱一の句集『軽挙館句藻』には、しばしば「玉助」の名で登場し、抱一の部屋住み時代の堂号「春来窓」を継承し、抱一が忠実の養嗣子就任の際に贈った号「松柏堂」を名乗っている。正室の隆姫も抱一から「濤花」の俳号を贈られている。

正室の隆姫は、戦国期の播磨姫路城主、黒田孝高の血筋を引いている。

経歴[編集]

官歴[編集]

参考文献[編集]