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長野県岡谷工業高等学校

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岡谷工業高等学校から転送)
長野県岡谷工業高等学校
地図北緯36度4分38.1秒 東経138度2分49.3秒 / 北緯36.077250度 東経138.047028度 / 36.077250; 138.047028座標: 北緯36度4分38.1秒 東経138度2分49.3秒 / 北緯36.077250度 東経138.047028度 / 36.077250; 138.047028
過去の名称 諏訪郡平野村立農蚕学校
平野蚕糸学校
諏訪蚕糸学校
長野県諏訪蚕糸学校
長野県岡谷工業学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長野県の旗 長野県
設立年月日 1912年4月11日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 環境化学科
機械科
電子機械科
電気科
情報技術科
学期 3学期制
学校コード D120220400025 ウィキデータを編集
高校コード 20150C
所在地 394-0004
長野県岡谷市神明町2丁目10番3号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長野県岡谷工業高等学校の位置(長野県内)
長野県岡谷工業高等学校

長野県岡谷工業高等学校(ながのけんおかやこうぎょうこうとうがっこう)は、長野県岡谷市にある公立工業高等学校である。 略称は、「岡工(おかこう)」。

文化祭は「岡工祭」と称し、その名称は校名に由来する。野球部は、1930年に夏の甲子園準優勝を果たしている。バレーボール部、ラグビー部、自転車競技部は全国大会の常連校である。特にバレーボール部は春高4連覇、選抜・総体・国体の三冠を達成するなどしている。

沿革

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1912年(明治45年) 4月11日 乙種農蚕学校として、諏訪郡平野村立農蚕学校が開校。
1913年(大正2年) 3月29日 農蚕学校に女子部(後の、長野県岡谷東高等学校)を併設。
1915年(大正4年) 11月10日 平野農蚕学校女子部を廃止し、村立平野実科高等女学校を設置。
1919年(大正8年) 3月 甲種学校へと昇格したことから、平野蚕糸学校に改称。
1920年(大正9年) 3月 校名を諏訪蚕糸学校に改称。
1922年(大正11年) 4月 県立に移管し、長野県諏訪蚕糸学校に改称。
1930年(昭和5年) 8月20日 野球部が甲子園で準優勝。(対広島商:2-8)
1938年(昭和13年) 4月 工業学校規定により、長野県岡谷工業学校に改称。
1948年(昭和23年) 4月1日 学制改革により、長野県岡谷工業高等学校となる。定時制機械科設置。
1954年(昭和29年) 4月 飯田分校を設置。
1956年(昭和31年)4月飯田分校が長野県飯田工業高等学校として独立。
1978年(昭和53年)4月定時制普通科設置。
1985年(昭和60年)3月定時制普通科募集停止。
1997年男子バレー部が春高バレー優勝
1998年男子バレー部が春高バレー優勝
1999年(平成11年)男子バレー部が春高バレー優勝(3連覇)
2000年(平成12年)男子バレー部が春高バレー優勝(4連覇)
2003年(平成15年)男子バレー部が春高バレー優勝
2004年(平成16年)3月定時制機械科募集停止。これにより、定時制は2007年3月の卒業生をもって廃止となる。
2007年(平成19年)3月定時制機械科閉校。
2010年(平成22年)ラグビー部が3年振り24回目の花園出場。
2020年(令和2年)ラグビー部が2年振り31回目の花園出場。
2021年(令和3年)バレー部が15年ぶりに春高に出場。

教育目標

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  • 人格の完成をめざし、国家ならびに社会の有為な形成者として必要な資質を養うため、一般教養を高める。
  • 日本の工業の建設発展の根幹である技術者として必要な技能・知識・態度を養成する。
  • 本校の伝統校風である質実剛健、至誠一貫の精神を涵養する。

校歌

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作詞は土井晩翠、作曲は大日本帝国陸軍軍楽隊。校歌は3番まで存在するが、始業式や終業式などの行事を含めた学校全体において、1番と3番のみを歌うことになっている。2番を歌わない理由としては、軍的思考が強いためからとされている。

著名な出身者

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最寄駅

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関連項目

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外部リンク

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