守口市駅
守口市駅* | |
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守口市駅ホーム | |
もりぐちし Moriguchishi | |
◄土居 (0.7 km) (1.1 km) 西三荘► | |
所在地 | 大阪府守口市寺内町二丁目 |
所属事業者 | 京阪電気鉄道 |
所属路線 | ■京阪本線 |
キロ程 | 8.3 km(淀屋橋起点) |
電報略号 | 守(駅名略称方式) |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面4線 |
乗降人員 -統計年度- |
42,724人/日 -2009年11月10日- |
開業年月日 | 1910年(明治43年)4月15日 |
備考 | * 1971年に守口駅から改称 |
守口市駅(もりぐちしえき)は、大阪府守口市寺内町二丁目にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。
駅構造
当駅は3層構造の高架駅であり、改札・コンコースは2階、ホームは3階に位置する。所属の京阪本線は東西に走っている。改札口は東西1ヶ所ずつ設けられ、東改札には京阪百貨店が隣接し、エレベーターが設置されている。
当駅は京阪本線の複々線区間に位置しており、島式2面4線のホームによって、快速急行・準急等の速達列車と各駅停車列車との接続を可能としている。早朝の一部を除いて、中央寄りの2・3番のりば(A線)に準急・急行・快速急行が発着し、外側の1・4番のりば(B線)に各駅停車・区間急行が発着する。ホームはいずれも8両編成の列車が停車可能である。
のりば
1・2 | ■京阪本線(上り) | 枚方市・中書島・三条・出町柳方面 |
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3・4 | ■京阪本線(下り) | 京橋・淀屋橋・中之島線方面 |
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東口
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西口
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駅構内
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京阪百貨店守口店(京阪電鉄守口市駅と直結)
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地上から見た守口市駅外観
特徴
発車メロディが導入されている。
区間急行以外の優等列車が停まらない平日朝ラッシュ時下りを除き、ほぼ終日に渡って、この駅で普通列車と、急行または準急(時間帯によっては快速急行も)が接続を図っている。なお日中上りの出町柳行き普通は当駅発車後、香里園駅まで先着する。
近年は当駅への急行・準急の停車時間帯が拡大傾向にある(現在、当駅を通過する急行は深夜急行、準急は通勤準急に改称され、通勤快急ともども片道のみの設定)。その反面、それらの通過時間のカバーの役割をになっていた区間急行は減少傾向にあったが、2006年4月16日のダイヤ改定で準急に代わって昼間時にも運転されるようになった。しかし、2011年5月28日のダイヤ変更により昼間時の区間急行は消滅した。
2008年10月からの新列車種別の快速急行の停車駅となったが、平日朝ラッシュ時下りは代わりに当駅通過となる通勤快急が運転される。
京都方面から当駅まで運転される最終の普通列車は、当駅が終点である。また、その列車は3番線で夜間留置され、翌朝当駅始発中之島行き普通列車として運転される。
駅構内にはエル守口と呼ばれるショッピングエリア・Plag-in(旧・アンスリー)・ユニクロなどの商業施設が並んでいる(一部は京阪百貨店の店舗)。
利用状況
2009年11月10日の利用客数は42,724人[1]。
駅周辺
- 京阪百貨店守口店
- 京阪守口ビル[2]
- 西友
- 守口文化センター - FM HANAKOのスタジオが地下階にある。
- 守口市民体育館
- 守口ロイヤルパインズホテル(旧 守口プリンスホテル)
- 三洋電機本社
- 関西電力守口変電所
- 京阪電気鉄道守口変電所
- 守口郵便局
- 守口大枝郵便局
- 大阪電気通信大学高等学校
- 大阪府立芦間高等学校(旧 大阪府立守口北高等学校)
- 大阪府立淀川工科高等学校(旧 大阪府立淀川工業高等学校)
- 大阪市営地下鉄谷町線 守口駅 - 直線距離で約260m。比較的近いために乗り換えする人も多い[要出典]。
バス路線
- 京阪バスが運行。
現行経路
一般路線
全路線京阪バス寝屋川営業所が担当。
- 1号経路 八番経由 寝屋川市駅行き(土居を経由する便としない便有・寝屋川車庫止有)
- 2号経路 金田経由 仁和寺行き(大日駅経由する便としない便有)
- 3号経路 八番・摂南大学経由 寝屋川市駅行き
- 4号経路 金田・葛原経由 寝屋川市駅行き(大日駅経由する便としない便有)
- 9A号経路 上新庄駅北口経由 JR吹田行き
- 19号経路 東郷通・焼野経由 鶴見緑地行き(東郷通止有)
- 29号経路 南寺方方面循環
- 30号経路 世木公園方面循環
- タウンくる 八雲北住宅方面循環
リムジンバス
京阪バス門真営業所が担当。
- 関西空港行き
廃止経路
一般路線
15号経路を除き門真営業所が担当。
- くるっとBUS(ひだり回り)
- くるっとBUS(みぎ回り)
- 11号経路 東郷通・三島経由 門真団地行き
- 15号経路 京阪門真市駅経由 仁和寺行き(この経路のみ寝屋川営業所担当)
- 24号経路 京阪大和田駅経由 清滝団地行き
高速バス
- 新幹線シャトル守口号 新大阪駅行き
歴史
京阪開業と同時に駅が開業、電車に送電する変電所も併設された。大正時代・駅の京都側に網島より車庫と車両工場が移設され、昭和初期には「野江の七曲り」と言われた守口-野江間の直線への付け替えと立体交差化、さらに複々線化。それに対抗するように大阪市電が守口市に乗り入れ。戦後は守口-寝屋川信号所間の複々線高架化、それに伴い車庫と車両工場の寝屋川市への移設し撤去、その跡地に京阪百貨店の新設。この時期には平行路線として大阪市営地下鉄谷町線が延長されるなどしている。
年表
- 1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開通と同時に守口駅として開業。
- 1918年(大正7年)3月1日 - 当駅の京都側に守口車庫が竣工[3]。
- 1931年(昭和6年)10月14日 - 当駅から蒲生(現在の京橋)駅まで専用軌道化[3]。
- 1933年(昭和8年)12月29日 - 当駅から蒲生信号所まで複々線化[3]。
- 1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風で、隣接する守口車庫の木造検車庫が半壊(修復に桂車庫の検車庫を移築[3])。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄の駅となる。
- 1944年(昭和19年)7月16日 - 急行停車駅となる[4]。
- 1946年(昭和21年)2月15日 - 大戦末期廃止されていた急行運転が再開、しかし急行通過駅となる[5]。
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
- 1955年(昭和30年)11月15日 - 拡張工事竣工[6]。
- 1964年(昭和39年)
- 1971年(昭和46年)6月20日 - 守口市駅に改称[6]。
- 1972年(昭和47年)
- 1976年(昭和51年)8月22日 - 守口車庫跡地に造られた仮駅舎使用開始[7]。
- 1979年(昭和54年)4月15日 - 京都行きホーム高架化[7]。
- 1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)3月29日 - 高架化工事竣工[9]。
- 1985年(昭和60年)
- 1990年(平成2年)7月1日 - 上下各ホームにある待合室を冷房化[13]。
- 1993年(平成5年)7月31日 - 「エル守口・グルメスクエア」営業開始[14]。
- 1994年(平成6年)11月 - 駅事務所でコインFAXに因るファクシミリサービス開始[15]。
- 1998年(平成10年)
- 2004年(平成16年)12月 - ホーム東口側に車イス対応エレベーター2基・コンコース地上間に1基を設置[18]。
- 2005年(平成17年)12月3日 - 「けいはんインフォステーション」新設[19]。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
高架複々線化工事での逸話
現在では守口市駅は高架化されているが、1933年12月に蒲生信号所から守口駅までが複々線立体交差化された時点では地上駅で大阪側には踏切も存在した、また完成時期が世界恐慌の真っ最中で新京阪線(現阪急京都線)の待避線・ポイントを撤去して転用したといわれている[3]。
1970年3月に守口(現・守口市)駅-新門真(現・門真市)駅間の複々線高架化の認可申請をした段階では守口駅の京都側から高架化される計画で1972年(昭和47年)の高架化工事着工時にも守口市駅の高架化の認可はなされていなかった。しかし守口市が守口市駅の高架化を前提に再開発計画を立てていたため、翌1973年4月11日付けで萱島駅の設計変更と共に高架化が認可された。また高架工事に伴い移設された仮駅舎は1975年の夏にはほぼ完成していたが、仮駅前のバスターミナルへの進入路の借地交渉が纏まらず約1年間使用できなかった。このため高架化工事が約2年間遅延し、守口市駅下り線(大阪行き)の高架化工事の完成を持って土居駅-寝屋川信号所間の複々線高架化は竣工した。 また守口市駅の京都側には車庫への出入庫線のほかに京阪本線の中央部に引き上げ線が設置され淀屋橋駅 - 守口市間の普通が折り返しに使用していたが1980年の3月のダイヤ改正で運転区間が萱島駅まで延長されたため引き上げ線は廃止撤去[7]され、同年6月8日に下り線も高架化した。
エピソード
- 江戸川乱歩は1924年(大正13年)、当駅から大阪毎日新聞社へ通勤していた。帰宅中に線路沿いの古枕木を使用した柵の向こう側の風景が歩くと次々現れては隠れるのを見て、明智小五郎が初登場する「D坂の殺人事件」の棒縞の浴衣と格子戸のトリックを思いついた[22]。当時乱歩が書斎として使っていた家が、「江戸川乱歩寓居の跡」のプレートを掲げて2010年まで地下鉄守口駅付近に残っていた。
参照
- ^ 出典・『京阪百年のあゆみ』資料編102-105頁「駅別乗降客数の推移」より
- ^ a b 京阪電気鉄道開業90周年記念誌「街をつなぐ 心をむすぶ」209頁
- ^ a b c d e 出典・「鉄道ピクトリアル」1984年1月増刊号『特集 京阪電気鉄道』P82-92「線路改良のうつりかわり」
- ^ 京阪電鉄社史『鉄路五十年』(1960年)の年表による。
- ^ 出典・「鉄道ピクトリアル」1984年1月増刊号『特集 京阪電気鉄道』98頁の「輸送面から見た京阪の魅力」の103頁『車両事情好転で急行列車も復活』より
- ^ a b c 京阪電気鉄道開業100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編137頁
- ^ a b c d e 出典・「鉄道ピクトリアル1980年8月号」P55-57の『京阪電鉄複々線化工事完成とダイヤ改正』より
- ^ 出典・関西鉄道研究会「車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道」24頁より
- ^ 出典・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1982年4月号より
- ^ 出典・京阪電車開業80周年記念誌『過去が咲いている今』(1990年7月1日発行)の年表より
- ^ 出典・京阪電気鉄道開業百年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編・巻末年表244頁
- ^ 出典・京阪電気鉄道開業90周年記念誌「街をつなぐ 心をむすぶ」212頁より
- ^ 出典・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1990年9月号より
- ^ 出典・京阪電気鉄道開業90周年記念誌「街をつなぐ 心をむすぶ」170頁より
- ^ 出典・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1994年12月号より
- ^ 出典・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1998年10月号より
- ^ a b c d 出典・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1998年12月号より
- ^ 出典・駅置きの広報誌「K PRESS」2005年2月号12面『くらしのなかの京阪』より
- ^ 出典・京阪電気鉄道開業百年記念誌『京阪百年のあゆみ』538頁「駅施設の改良」
- ^ 出典・駅置きの広報誌「K PRESS」2006年1月号16面『くらしのなかの京阪』より
- ^ a b c 出典・京阪電気鉄道開業百年記念誌『京阪百年のあゆみ』539頁「駅施設の改良」
- ^ この執筆裏話の初出は平凡社「江戸川乱歩全集」第十三巻(1932年)の巻末の随筆「探偵小説十年」だが、「探偵小説四十年」の中の「余技時代」に再録されている
- ^ 朝日新聞1984年10月13日朝刊23面
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