壬生 (京都市)
壬生 みぶ | |
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京都市の広域地名(公称町名の冠称) | |
壬生寺 | |
北緯35度0分5.76秒 東経135度44分36.02秒 / 北緯35.0016000度 東経135.7433389度座標: 北緯35度0分5.76秒 東経135度44分36.02秒 / 北緯35.0016000度 東経135.7433389度 | |
都道府県 | 京都府 |
市町村 | 京都市 |
行政区 | 中京区 |
郵便番号 | 〒604-8804 ,05 ,11 ,12 ,21-24 ,31 ,32 ,41-47 ,51-56 ,61-63 ,71-74[1] |
市外局番 | 075 |
学区(元学区) | 朱雀第一・第四・第五学区それぞれの一部および朱雀第三・第七学区の全部 |
隣接地域 | 中京区(教業学区・西ノ京地域)、下京区(中堂寺地域、西七条地域)、右京区(西院地域) |
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壬生(みぶ)は、京都市中京区の南西部に位置する地域の地名である。 「壬生」の地名は、近世から近代にかけては村名・大字名として用いられた。 現在、地域は「壬生」を冠する30の公称町で構成されている。
地理
[編集]壬生地域(公称町名に「壬生」を冠する地域)は、京都市中京区の南西部に位置し、中京区の教業学区・西ノ京地域、下京区の中堂寺地域、西七条地域、右京区の西院地域に接している。範囲は、北は三条通、南は概ね松原通、東は櫛笥通、西は西大路通の一筋東である[2]。四条通が交通の主要軸となっており、並行して阪急京都線や嵐電が通っている。かつてはトロリーバスも運行されていたが、現在では廃止されている。
歴史
[編集]地名はかつて、湿地帯であったことに由来する。平安京造営の際に開発されたが衰退し、元の湿地帯に戻った。朱雀院跡がNISSHA本社の敷地から発掘されている。
中世以後、この地に壬生寺が建立され、寺の東側周辺は門前町と集落として形成された(西側はほとんどが田畑であった)。さらに文明年間には壬生構という囲いが作られていた(『晴富宿禰記』[注釈 1] )[2]。寺の境内には水茶屋が設けられ、後に花街として発展した。
近世には京都西郊の村落壬生村(みぶむら)として、1729年(享保14年)段階では村高1,244石余、35の領主が存在する相給の地であった(山口(泰)家文書)[3]。江戸時代末期、新選組が現在建物が残っている八木邸を屯所としていた。また1864年(元治元年)には1万3800坪におよぶ細川家の藩邸が坊門高辻に設けられている(南部(彰)家文書)[4]。新選組は慶応元年(1865年)には西本願寺に本拠を移したが、鍛錬の場として使われた[5]。
一方、花街としての壬生は京都市左京区の川端二条に存在した二条新地の出稼ぎ地として許可され、明治を迎えたが機能せず、1880年(明治13年)に消滅した。
1863年(文久3年)に西高瀬川が開削され村内に木場が設けられ、1871年(明治3年)には三条通に沿って流れるようになり、千本通三条以南の材木市場で取引されるなど、木材産業が集積した[2]。
1889年(明治22年)の市制町村制により壬生村は、西ノ京村、聚楽廻の各村とともに葛野郡朱雀野村の一部となった。 1918年(大正7年)に、朱雀野村が西院村の一部と共に京都市下京区(当時)に編入され[6]、1929年(昭和4年)に、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると中京区に属した[7]。
戦前までは壬生寺の西側は田畑が多く残っており、江戸時代の『拾遺都名所図会』(現代で言うところの絵解き京都観光ガイドブック)の巻之一 平安城51頁:壬生隼社[8]にも登場する壬生菜の産地として名を馳せていたが、現在は開発が進み完全に市街地と化して田畑は全く残っていない。現在、壬生菜の生産は郊外の畑で行われている。(壬生から見て西南方向の西院(西大路五条以西)では今でもわずかに田畑が残る)
現在、中京区の四条大宮から西大路通にかけての一部が壬生の名を冠する。住宅地としても近くには西新道商店街があり、また、新撰組ゆかりの観光地として賑わっている。
2007年までは京都市交通局の所在地でもあり、京都市電・トロリーバス・京都市営バスの車庫(操車場)として機能していた。交通局の移転後庁舎は解体され、跡地は京都府に譲渡されて京都府中京警察署となる。現在は壬生操車場のみが残っている。
町名・元学区
[編集]沿革
[編集]大正7年(1918年)に、朱雀野村が西院村の一部と共に京都市下京区(当時)に編入され、編入された区域により下京第34学区が編成された。旧朱雀野村大字壬生は同学区内で壬生を冠する17の町となり、旧西院村大字西院は、西院を冠する5つの町となった[6]。また、昭和4年(1929年)に、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区され、学区名が小学校名により改称されると[7]、下京第34学区は、中京区の朱雀学区となった。その後昭和6年(1931年)に同学区内で西院を冠していた5つの町の冠称は、壬生に変更された。
朱雀学区には、昭和12年(1937年)までに朱雀第一から第八までの8つの小学校が置かれ、昭和16年(1941年)の国民学校令により、国民学校の通学区域を単位として設置された町内会連合会[9]がもとになって、戦後朱雀第一から第八までの元学区となった。(中京区役所関連の資料では、この昭和16年に朱雀学区が8つに分かれたとしている[10]。) 公称町名に壬生を冠する地域は、地域自治の区分である元学区(学区)[注釈 2]では朱雀第一・第四・第五学区それぞれの一部および朱雀第三・第七学区の全部にまたがって位置する[11]。
元学区別の公称町
[編集]京都市区の所管区域条例[12]によれば30の公称町で構成されており、元学区別の町名は以下のとおり。旧西院村に位置するものには下線を付している。なお、町名について京都市編入前の字(あざ)名と編入後の町名の対応については「朱雀野村#大字壬生」を、京都市編入後の町名の変遷については、「京都市中京区の町名#壬生地区」を参照。
- 壬生高樋町
- 壬生松原町
- 壬生辻町
- 壬生梛ノ宮町
- 壬生賀陽御所町
- 壬生相合町
- 壬生上大竹町[町 2]
- ^ a b c d JR山陰本線(嵯峨野線)以東が朱雀第一学区、以西が朱雀第五学区となる。
- ^ a b 朱雀第四学区と朱雀第五学区に含まれる。
- ^ a b 朱雀第五学区と朱雀第七学区に含まれる。
- ^ 御土居に由来する。
教育
[編集]小・中学校の通学区域
[編集]市立小・中学校に通う場合、以下の学校の通学区域に含まれる[13]。それぞれの小学校の通学区域(上記の「元学区(学区)」とは異なる。)については、各小学校の記事を参照。
交通
[編集]地域内には、JR山陰本線(嵯峨野線)、阪急電鉄京都本線、京福電気鉄道嵐山本線(嵐電)が通っている。
地域内の主な道路は、地域の中央を東西に貫く四条通であり、昭和初期に京都市区改正設計により拡築された。拡築以降、京都市営トロリーバスの無軌条線(のちに梅津線に統合)が運行されたが現在は廃止されている。
鉄道
[編集]路線バス
[編集]- 京都市営バス 西日本JRバス 停留所
- 千本三条・朱雀立命館前
- 京都市営バス 京都バス 停留所
- 壬生寺道
- 四条中新道
- 京都市営バス 停留所
- みぶ操車場前
- 四条御前通
- 京都市営バス・京都バス・京阪京都交通 停留所
- 市立病院前
道路
[編集]主な施設
[編集]- 教育機関
- 公的機関
- 主な企業
- その他
- 京都市立病院
- 京都壬生松原郵便局
- 京都西院郵便局
名所・旧跡等
[編集]- 社寺・旧跡
- 史跡
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “郵便番号簿PDF(2023年度版)”. p. 218. 2024年5月13日閲覧。
- ^ a b c d 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), p. 504-505, 「壬生村」
- ^ 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), pp. 523–524, 「壬生村における各領主の知行高(53)」.
- ^ 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), p. 535, 「藩邸となっていた土地が返却され、再度耕地にかわる。(67)」.
- ^ 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻 (1982), pp. 1359–1360, 「壬生」.
- ^ a b 『京都市 地名・町名の沿革』 (1994), pp. 47, 48(大正7年2月22日京都府告示第89号)
- ^ a b 『京都市 地名・町名の沿革』 (1994), pp. 50, 51(昭和4年3月29日京都府告示第80号)
- ^ “壬生隼社図絵画像”. 2024年5月12日閲覧。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 1 (政治・行政編)』京都府、1971年、248頁。doi:10.11501/9537070 。
- ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 5など。
- ^ “令和2(2020)年 国勢調査地図”. 2024年3月16日閲覧。
- ^ 京都市区の所管区域条例(昭和24年4月1日条例第7号)
- ^ “京都市通学区町名一覧(中京区)”. 2024年3月16日閲覧。
- ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 24, 「朱雀第三学区」.
参考文献
[編集]- 「壬生村」『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』平凡社、1985年、504-543頁。doi:10.11501/9575674。ISBN 9784582477092 。
- 林屋辰三郎、村井康彦、森谷尅久 編『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。ISBN 4-582-49027-1。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府』 上巻、角川書店、1982年。ISBN 4-040-01261-5。
- 京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年。
- 中京区民ふれあい事業実行委員会90周年事業検討部会『中京区制90周年記念事業 中京暮らしの文化・歴史絵巻』2020年 。2024年3月2日閲覧。