先斗町

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夜の様子
先斗町を歩く舞妓
先斗町歌舞練場(鴨川側より撮影)

先斗町(ぽんとちょう)は京都市中京区に位置し、鴨川木屋町通の間にある花街及び歓楽街。「町」と付くが地名としての先斗町はない。先斗町通については「先斗町通四条上る柏屋町」等、公文書(四条通地区地区計画:京都市都市計画局)にも使用されている。
また、鴨川寄りに面したお茶屋料亭レストランバー等は納涼床を設ける店舗も多数存在している。

地域[編集]

先斗町の鴨川納涼床
先斗町の日中の様子

特定の行政上の地名ではないが、先斗町まちづくり協議会が組織されており、その活動区域は、京都市中京区石屋町の一部、橋下町、若松町、梅之木町、松本町、柏屋町、材木町、下樵木町、鍋屋町の区域となっている[1]。北端は三条通りの一本南の通り(三条通一筋下ル)、南端は四条通、東端は鴨川、西端は木屋町通で、そのうち材木町・下樵木町・鍋屋町の木屋町通りに面した部分を除く地域とされている[1]

花街特有の商業形態の他、一般の飲食店も並ぶ。通り東側の店は鴨川に面し、納涼床を設ける飲食店が多い。先斗町歌舞練場は北の端寄りにあり、鴨川に大きな姿を映す。また、先斗町の伝統と魅力を守り後世に伝えるため発足した「先斗町のれん会」や「先斗町まちづくり協議会」がある。「先斗町のれん会」は先斗町通りの三条から四条までの84店舗(平成28年9月現在)が加盟している。

先斗町の紋章[編集]

先斗町 紋章
先斗町に掲げられている提灯

あちこちの店先に鴨川ちどりが描かれた提灯が掲げられ、情緒豊かな雰囲気を醸し出している。京都には現在「五花街」と呼ばれ、賑わっている祇園甲部、上七軒、先斗町、祇園東、宮川町の五つの花街がある。これらの花街にはそれぞれ紋章がある。先斗町の紋章は「鴨川ちどり」。明治5年(1872年)に鴨川をどりが初めて開催されたときに創案されたものである。かつては鴨川に数多くいたという鳥類も今ではあまり見かけなくなったが、先斗町通を歩いていると、千鳥の画が描かれた提灯があちらこちらの店先に掲げてあり、街の雰囲気を和やかに盛り上げている。

先斗町歌舞練場[編集]

先斗町歌舞練場

先斗町歌舞練場は大正14年(1925年)に着工、昭和2年(1927年)に完成した。設計は大林組木村得三郎大阪松竹座を設計した劇場建築の名手と謳われる人である。[2][3]歌舞練場の屋根には中国の舞楽面を型取った鬼瓦が守り神として据えてある。また、「鴨川をどり」や「水明会」の会場となっているが、邦楽邦舞の発表会、講演会、展示会など幅広く一般の利用が可能。[4]

歴史[編集]

もともとは鴨川の州で、江戸時代初期の寛文10年(1670年)に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれていた。この地に水茶屋が初めてもうけられたのは正徳二年(1712年)の頃といわれ、 初めは高瀬川を上り下りする高瀬舟の船頭や旅客目当ての旅籠屋が茶立女を置いていた。安政6年(1859年)になって芸者嫁業の公許が下り、花街としての花を開かせた。明治5年(1872年)には第1回京都博覧会の観光客誘致の一助として「鴨川をどり」が初演されて以来、先斗町は祇園と並ぶ花街として有名になった。舞踊の流派は明治より以前は篠塚流、その後若柳流を経て現在は尾上流である。
また、伝承では幕末勤皇佐幕に分かれて抗争した志士たちが、追われてこの先斗町に身を潜めたり待ち伏せしたりした言い伝えが遺されている。[5]

名称の由来[編集]

鴨川沿いの先斗町

先斗町(ぽんとちょう)という名前の由来は、一説にはポルトガル語(ponta(先)、ponte(橋)、ponto(点))に由来するという説があり[6][1]、また一説には鴨川高瀬川の川(皮)にはさまれた堤(鼓)にたとえてポンと音がするともじったという説[6][1]など、諸説が伝わっている。

また、1915年大正4年)に出版された『京都坊目誌』には、「当初は、東側ばかりに家が建ち、西側にはなかったことから、先斗(さきばか)りという意味で先斗町と呼ばれるようになった」と記載されている。掛け金をゲームの最初だけ(さきばかり:漢字では「先斗」と表記)に全部かけるという意味のカルタ賭博用語が語源であるとする説がポルトガル語やスペイン語に精通した元銀行員によって発表され、「地名研究第11号」(京都地名研究会発行)に掲載された[7]

特殊な読みの地名だが和田弘とマヒナスターズお座敷小唄』(1964年)で日本全国に知られるようになった[1]

西石垣通[編集]

東華菜館(本店)

四条通より南側に続く通り(下京区)を先斗町と呼んでも理解されるが、正しくは西石垣通(さいせきどおり)という別の名前があり、繁華街が続いている。ここには鴨川の氾濫を防ぐために造られた石垣が今も残っている。西石垣通には、日本に現存する最古のエレベータが存在する東華菜館1926年竣工)があり有名である。

先斗町公園[編集]

木屋町通で言うところの中京警察署木屋町警備派出所近辺、梅之木町にある「先斗町公園」は、太平洋戦争中の1944年に建物疎開で作られた空き地である。京都府の『第1次建物疎開総括表』によれば、34家族が住む17の建物がその対象になった[8]

主な行事[編集]

先斗町を舞台とした作品[編集]

漫画・アニメ[編集]

小説[編集]

音楽[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度00分29秒 東経135度46分16秒 / 北緯35.007969度 東経135.771111度 / 35.007969; 135.771111 (先斗町)