ロイ・ジョーンズ・ジュニア

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ロイ・ジョーンズ・ジュニア
Jones, Roy Jr (2007).JPG
基本情報
本名 ロイ・ジョーンズ・ジュニア
通称 ジュニア
階級 ライトヘビー級
身長 180cm
リーチ 188cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1969年1月16日(45歳)
出身地 アメリカ合衆国
フロリダ州ペンサコーラ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 64
勝ち 56
KO勝ち 40
敗け 8
テンプレートを表示
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子 ボクシング
オリンピック
1988 ソウル ライトミドル級

ロイ・ジョーンズ・ジュニアRoy Jones, Jr.1969年1月16日 - )は、アメリカ合衆国プロボクサーフロリダ州ペンサコーラ出身[1]ミドル級出身でヘビー級の王座を獲得した史上2人目のボクサー。ミドル級、スーパーミドル級ライトヘビー級ヘビー級の4階級を制覇し、長きに渡りパウンド・フォー・パウンド最強と目されていた名選手。

人物[編集]

ボクシング史上屈指の身体能力の持ち主と評される。「スタイルがないのがスタイル」と言われる通り、相手に合わせて戦法を変えることが出来る。

重量級としては圧倒的なスピードがあり、腕を後ろに回してラッシュをことごとくかわすなど、防御勘にも長けており、キャリアが非常に長い理由の一つとしてあげられることがある。また、手数はさほど多くないものの、飛び込みざまの左フック、顔面とボディの急所を的確に打ち抜くコンパクトなコンビネーションなど、オフェンスは的確で多彩。特にジャブとダイレクトブローが冴えていた全盛期の彼には、モンテル・グリフィンなどチャンピオン級の選手であっても触れることすら困難を極めた。

また、試合中にダンスやジェスチャーで相手を愚弄することが多々ある。

ボクシング以外のスポーツにも優れ、過去にはユナイテッド・ステイツ・バスケットボール・リーグ(United States Basketball League、米合衆国の独立リーグ)でプレーしていたことがあり、バスケットボールの試合に出場した日の夜にボクシングの試合をしたこともある。またミュージシャンとして自身の名義で複数のヒップホップCDをリリース(音楽に関しては、歌うだけでなく彼自身が直接「Body Head Entertainment」というレーベルを経営していたこともある)するなど、ボクシングだけにとどまらない多彩な才能を持つエンターテイナーである。

来歴[編集]

1988年10月2日、ソウルオリンピックボクシング競技ライトミドル級に出場。決勝戦で地元・韓国の朴時憲と対戦。2度ダウンを奪い、有効打も86対32と圧倒した[1]ものの、不可解な判定により2-3で負けて銀メダリストとなった[1]モロッコウガンダウルグアイの審判は韓国選手有利の判定を行ったが、モロッコの審判はこの時の判定についてアメリカ選手が勝つのは確実と思ったため自分が韓国選手に有利な判定をしても4-1でアメリカ選手が勝つだろうと思い開催国に配慮した判定をしたと語った[1]。なおこの時の審判5人はつたない判定を理由にその後2年間の資格停止処分を受けた[1]。同年9月にモスクワで行われた世界選手権の審判13人も同様の理由で資格停止となった[1]。文句なしの勝利を確信していたジョーンズは泣き崩れ、記者会見でも泣きながら「盗まれた金メダルを返してほしい」と訴えたことから、「盗まれた金メダル事件」として知られる。後の調査で韓国サイドによる審判の買収が判明し、IOCの会長からメダルの金レプリカを与えられ、アマチュアボクシングの採点システムが変更されるきっかけとなった。

1989年5月7日、プロデビュー。

1992年12月5日、パーシー・ハリスを4RKOで下し、WBCアメリカ大陸スーパーミドル級王座獲得。

1993年5月22日、バーナード・ホプキンスを12R判定で下し、IBF世界ミドル級王座獲得。試合前に右手を骨折した状態で試合に臨んでおり、試合当日の体重はホプキンスより16ポンド重かった。同王座は1度防衛後に返上。

1994年11月18日、ジェームズ・トニーを12R判定で下し、IBF世界スーパーミドル級王座獲得。2階級制覇に成功した。初敗北を喫したトニーは後日、インタビューで減量苦で計量直前まで利尿剤と下剤を使って減量をしておりコンディションが最悪だったと語っている。同王座は5度防衛後に返上。

1996年11月22日、WBC世界ライトヘビー級暫定王座決定戦でマイク・マッカラムを12R判定で下し暫定王座獲得。後に正規王者に昇格し、3階級制覇に成功した。

1997年3月21日、WBC世界ライトヘビー級王座初防衛戦でモンテル・グリフィンと対戦。圧倒するも9Rグリフィンがダウンしたところに攻撃してしまったために失格負けとなり、王座陥落とともにプロキャリア初黒星となった。

1997年8月7日、モンテル・グリフィンとダイレクトリマッチで対戦。左フックだけを使って1RKOで下し、WBC世界ライトヘビー級王座を奪回。その後、ヘビー級転向を表明したものの、翌1998年にヘビー級転向を撤回。転向表明を受けてWBCはグラシアノ・ロッシジャーニを王者認定していたが、ジョーンズの撤回を受けてロッシジャーニを暫定王者に格下げしたため、訴訟問題に発展した。

1998年7月18日、WBA世界同級王者ルー・デル・バーレに判定勝利を収め、WBC王座の初防衛に成功するとともに、2団体統一王者となった。

1999年6月5日、IBF世界同級王者レジー・ジョンソンに判定勝利を収め、WBA・WBCの両王座防衛に成功するとともにIBF世界ライトヘビー級王座を獲得し、3団体の世界同級王座を統一した。

2000年5月13日、WBA世界同級暫定王者リチャード・ホールとの王座統一戦に11RTKO勝利を収め、3団体の防衛にも成功。この後、3団体の各防衛回数を3伸ばした。2001年1月、WBA世界同級スーパー王者として認定された。

2002年2月2日、無敗のグレン・ケリーとのWBCは10度目、WBAは9度目、IBFは6度目となる防衛戦では、3R、6Rにダウンを奪い、7Rには攻勢に出るケリーに対しロープ際に下がり両手を自らの背後へ回してボディワークで翻弄した後、一瞬の隙を突き、背後に回した右手を振り出しカウンターを決め、力量差を示して7RKO勝利を収めた。この後、3団体の各防衛回数を1伸ばした。2002年11月18日、IBF世界同級王座を剥奪された。

2003年3月1日、ジョーンズは一度棚上げしたヘビー級転向を表明、WBA王者ジョン・ルイスに挑戦。公式計量の体重はジョーンズが193ポンド(88kg)、ルイスが226ポンド(103kg)であった。試合ははジョーンズがジャブのみで圧倒、一時はルイスをKO寸前の状態にするなど文句なしの内容で12R判定勝利、WBA世界ヘビー級王座を獲得。ボブ・フィッシモンズ以来106年ぶりとなるミドル級出身者によるヘビー級世界王座獲得を達成し、4階級制覇に成功した。

2003年4月15日、WBA・WBCの両ライトヘビー級王座を返上した。WBAのヘビー級王座も防衛戦を行うことなく返上した。

2003年11月8日、ライトヘビー級王座返り咲きを狙い、WBC世界ライトヘビー級王者アントニオ・ターバーに挑戦。序盤はターバーの猛攻が続き、ジョーンズはディフェンス一辺倒に追いやられたが、逆に中盤から終盤はジョーンズがコンビネーションで盛り返し、なおも時折ターバーに集中打を浴びながらも、結果として際どい内容で2-0のマジョリティディシジョンでの判定勝利を収め、WBC世界同級王座を再獲得するとともにWBA世界同級スーパー王者として再認定された。

2004年5月15日、アントニオ・ターバーと再戦。初戦とは逆に序盤から一方的に攻勢をとったものの、2Rにターバーの左オーバーハンド一発でダウン、そのまま立ち上がれずKO負け。WBA・WBCの両王座を失った。

2004年9月25日、IBF世界同級王者グレンコフ・ジョンソンに9RKO負け。

約1年間リングから離れる、この頃からHBOの中継で解説の仕事を始める。

2005年10月1日、ターバーとラバーマッチを行ったが、0-3の判定で敗北。この頃急激に負けが込んだ理由として、短い期間にライトヘビー→ヘビー→ライトヘビーと階級の急激な上下を繰り返しており、体調管理の難しさのほかに一度付けた筋肉を落として減量せざるを得なかったことで本来持っていたスピードやパワーに狂いが生じたことがあげられている。評論家の中には、結果的にヘビー級挑戦が彼のキャリアの凋落の原因となったという者もいる。

2006年7月29日、プリンス・バディ・アジャムと対戦し、3-0の判定勝ち[2]

2008年1月19日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてフェリックス・トリニダードと対戦。随所に往年の動きを見せ7Rと10Rに2度のダウンを奪い、3-0(116-110、116-110、117-109)の判定勝ち。

2008年11月8日、ジョー・カルザゲと対戦、元々は9月20日に予定されていたものがカルザゲがトレーニング中に右手を負傷したことにより2週間延期されている。1Rにダウンを奪うシーンを見せたものの、その後はカルザゲの連打を攻略できず、0-3(109-118、109-118、109-118)の判定負け。

2009年3月21日、空位のNABO北米ライトヘビー級王座をオマール・シェイカと決定戦で争い、5RTKO勝利で再起を果たすとともに同王座を獲得した。8月15日、ジェフ・レイシーに10R終了TKO勝利を収めて同王座の初防衛に成功した。

2009年12月2日、IBO世界クルーザー級タイトルマッチで王者ダニー・グリーンに挑戦し、初回TKO負けを喫した[3]

2010年4月3日、バーナード・ホプキンスとおよそ17年ぶりに再戦し、0-3の判定負けを喫した[4]

2011年5月21日、ロシアデニス・レベデフと対戦、衰えを隠せないジョーンズであったが何とか最終10ラウンドまで持ちこたえる、しかし試合終了まで残り数十秒で強烈な右からアッパー、棒立ちになったところにさらに右をもらい数分間キャンバスから起き上がれないほどのダメージを受け10RKO負け。

2012年6月30日、ポーランドでパウエル・グラツキーと対戦、ジョーンズは6ラウンドにダウンをするが僅差の判定勝利を挙げた。元々はダビド・コステッキーと対戦予定であったが、コステッキーが犯罪組織の首謀者であるとして実刑判決を受けたことで試合数日前に急遽用意された対戦相手がグラツキーであった[5]

2013年12月4日、1年半ぶりの試合でベアナックルボクシングのチャンピオンとしても知られているボビー・ガンと対戦予定と発表される。この試合を行う動機について、ジョーンズは2014年早々にも対戦する可能性がある元UFCチャンピオン、アンデウソン・シウバとの試合へ向けての調整試合であるとした[6]。しかしこの試合は中止となり代わりに12月21日にロシアで試合をすることが発表された[7]

2013年12月21日、ロシアでWBUクルーザー級王座決定戦を行い12回判定で勝ち、王座を獲得した。

2013年12月28日、対戦を希望していたアンデウソン・シウバがUFCの試合で敗北、ロイ・ジョーンズは新たに対戦したい相手として同じく総合格闘技の選手であるニック・ディアスを指名した[8]

税金滞納[編集]

2011年4月、2003年から2004年の税金を滞納しており追徴課税を含めて350万ドル(約3億5千万円)の税金未払いがあることが報じられる[9]

獲得タイトル[編集]

ペイ・パー・ビュー売上げ[編集]

日付 イベント 売上げ テレビ局
2010年4月3日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. バーナード・ホプキンス 2 14万件 HBO
2008年11月8日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. ジョー・カルザゲ 22万件 HBO
2008年1月19日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. フェリックス・トリニダード 50万件 HBO
2005年10月1日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. アントニオ・ターバー 3 40万件 HBO
2004年5月15日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. アントニオ・ターバー 2 36万件 HBO
2003年11月8日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. アントニオ・ターバー 1 30万件 HBO
2003年3月1日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. ジョン・ルイス 52万件 HBO
1994年11月18日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. ジェームズ・トニー 30万件 HBO

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f SPORTS OF THE TIMES; Roy Jones Jr. Still Fighting For the Gold”. ニューヨーク・タイムズ (1989年3月22日). 2010年3月1日閲覧。
  2. ^ ロイ・ジョーンズ再起 アジャムに大差判定 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2006年8月2日
  3. ^ ジョーンズ初回持たず……グリーンにTKO敗 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年12月3日
  4. ^ ボクシング=ホプキンスがジョーンズに勝利、17年ぶり雪辱 Reuters 2010年4月5日
  5. ^ Roy Jones: I Don't Care Who I Fight, Even Andrew Golota!”. BoxingScene.com (2012年6月26日). 2013年11月1日閲覧。
  6. ^ Roy Jones Jr. to fight Bobby Gunn”. ESPN.com (2013年10月30日). 2013年11月1日閲覧。
  7. ^ Roy Jones will fight -- in Moscow”. ESPN.com (2013年12月3日). 2013年12月7日閲覧。
  8. ^ Roy Jones Jr. Wants Boxing Match with Retired UFC Vet Nick Diaz”. Bleacher Report (2013年12月29日). 2013年12月30日閲覧。
  9. ^ Report: Jones owes IRS $3.5 million”. Fox.Sports (2011年4月7日). 2013年12月7日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

空位
前タイトル保持者
ジェームズ・トニー
第5代IBF世界ミドル級王者

1993年5月22日 - 1994年10月(返上)

空位
次タイトル獲得者
バーナード・ホプキンス
前王者
ジェームズ・トニー
第8代IBF世界スーパーミドル級王者

1994年11月18日 - 1997年(返上)

空位
次タイトル獲得者
チャールズ・ブルワー
空位
前タイトル保持者
ファブリス・ティオゾ
第24代WBC世界ライトヘビー級王者

1996年11月22日 - 1997年3月21日

次王者
モンテル・グリフィン
前王者
モンテル・グリフィン
第26代WBC世界ライトヘビー級王者

1997年8月7日 - 2003年4月15日(返上)

空位
次タイトル獲得者
アントニオ・ターバー
前王者
ルー・デル・パーレ
第50代WBA世界ライトヘビー級王者

1998年7月18日 - 2001年4月

空位
次タイトル獲得者
ブルーノ・ジラール
前王者
レジー・ジョンソン
第10代IBF世界ライトヘビー級王者

1999年6月5日 - 2002年11月18日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
アントニオ・ターバー
前IBF王者
レジー・ジョンソン
WBAWBCIBF世界ライトヘビー級スーパー王者

2001年4月 - 2003年4月15日(返上)

次スーパー王者
返上により消滅
前王者
ジョン・ルイス
第55代WBA世界ヘビー級王者

2003年3月1日 - 2004年2月20日(返上)

空位
次タイトル獲得者
ジョン・ルイス
前王者
アントニオ・ターバー
第28代WBC世界ライトヘビー級王者

2003年11月8日 - 2004年5月15日

次王者
アントニオ・ターバー
前スーパー王者
N/A
WBA世界ライトヘビー級スーパー王者

2003年11月8日 - 2004年5月15日

次スーパー王者
アントニオ・ターバー