香川ファイブアローズ

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高松ファイブアローズ
Takamatsu Five Arrows
愛称 アローズ
所属リーグ 日本の旗 bjリーグ
カンファレンス ウエスタンカンファレンス
創設年 2005年
チーム史
本拠地 香川県高松市
アリーナ
高松市総合体育館
収容人数 2,258席
チームカラー     黄色    黒色
代表者 星島郁洋
ヘッドコーチ 津田洋道
公式サイト http://www.fivearrows.jp/
ホームのジャージ
チームカラー
ホーム
アウェイのジャージ
チームカラー
アウェイ
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高松ファイブアローズ(たかまつファイブアローズ、: TAKAMATSU FIVE ARROWS)は、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に所属するプロバスケットボールチーム。ホームタウンは香川県高松市。運営母体は株式会社ファイブアローズ。2005年11月設立。bjリーグ 2006-07シーズンより参入。2015-16シーズンからはジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)2部に所属する予定。香川県内初のトッププロスポーツチーム[注 1]であるとともに、四国初のプロバスケットボールチームである。

概要

株式会社ファイブアローズ
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
761-0113
香川県高松市屋島西町字新浜2366-8 銀星ビル1階
設立 2005年11月1日
業種 サービス業
法人番号 8470001005150 ウィキデータを編集
事業内容 プロバスケットボールチーム運営及び興行
代表者 代表取締役社長GM 星島郁洋
資本金 1億円
外部リンク http://www.fivearrows.jp
特記事項:2010年7月23日に株式会社スポーツプロジェクト高松から株式会社ファイブアローズに商号変更。
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チーム名・「ファイブアローズ (Five Arrows)」は、平安時代末期の武将・那須与一が現在の高松市内屋島で起こった屋島の戦いにおいて、「」(=アロー)での的を射抜いた故事に由来する。「ファイブアローズ」すなわち「5本の矢」とは、プロフェッショナルとしての意識、誇りと使命、信頼と絆、勇気、感謝を表す[1]。プロバスケチームとして優勝を目指して戦うだけではなく、ホームタウン高松市を中心に香川県各地でバスケットボールクリニックを通じたバスケ普及活動、まつりや交通安全啓発といったイベントに出演するなど、様々な地域活動を積極的に行っている。

チームカラー

2006-07シーズン~2009-10シーズン
    アローズブルー、    アローズオレンジ
チームカラーはチーム創設時から2009-10シーズンまでは瀬戸内海をイメージしたアローズブルー(ターコイズブルー)とアローズオレンジ(オレンジ色[1]
2010-11シーズン以降
    アローズイエロー、    アローズブラック
2010-11シーズンからはチームの伝統の創造と新生の炎を意味するアローズイエロー(黄色)とアローズブラック(黒色)を使用。

ユニフォームスポンサー

  • AIZEN(左胸)
  • 四国コカ・コーラボトリング(パンツ)
  • 香川県(アウェイパンツ)
  • 高松市(アウェイパンツ)
  • 四国コカ・コーラボトリング(シューティングシャツ左胸)
  • MTL.com(シューティングシャツ右胸)
  • WorkPartner(シューティングシャツ背中)
  • ナカイエンジニアリング(練習用ジャージ左胸)
  • 四国石油(練習用ジャージ背中上)
  • Mirror(練習用ジャージ背中下)

過去のユニフォームスポンサー

  • 穴吹工務店(胸)
  • 384.co.jp(背)
  • 高松シーズクリニック(背)
  • 穴吹工務店(パンツ)
  • 吉田石油店(練習用ジャージ)

ユニフォームサプライの遍歴

ホームゲームアリーナ

メインアリーナの高松市総合体育館

メインのアリーナは高松市総合体育館。

高松市 高松市総合体育館
高松市香川総合体育館
中讃・西讃 丸亀市民体育館
観音寺市立総合体育館
善通寺市民体育館
四国他3県 松山市総合コミュニティセンター
高知県民体育館
徳島市立体育館
伊予三島運動公園体育館
北島北公園総合体育館
藍住町民体育館
岡山県 備前市総合運動公園体育館
きびじアリーナ
岡山県総合グラウンド体育館

プレシーズンゲームのみ開催

練習拠点

チーム練習は主に高松市牟礼総合体育館で行われている。選手達は牟礼体育館の近くで住んでいる選手が多く、牟礼体育館近辺で食事をしたり、銭湯に入るなどしているという。個人のトレーニングは、以前香川県立体育館(2014年9月末で閉鎖)でも行われていた。

歴史

bjリーグ参戦まで

2005年より活動を開始したbjリーグは発足当初からリーグ規模の拡大を目指しており、新たにリーグへ加入するチームを募っていた[2]。2005年10月、全国の20を越える団体から応募が寄せられていた中で、2006-07シーズンより加入を認められたのが富山グラウジーズと、穴吹工務店がサポートする香川県のチームだった[3]

2006年11月のシーズン開幕に向け、まず2005年11月に運営会社である株式会社スポーツプロジェクト高松を設立[4]。2006年3月に一般公募で決定したチーム名「ファイブアローズ」とチームロゴを発表[1]。その後、監督、スタッフの選抜やトライアウト、ドラフトによる選手選考を行い、体制を整えた。

2006-07シーズン

既存チームのプロ参入である富山グラウジーズとは違いゼロからのスタートとなったが、まず監督に丸岡茂樹、ヘッドコーチに青木幹典が就任。選手は5月のドラフト会議石田晃章アイザック・ソジャナー喜多誠菊池宏之らを指名。6月に前大阪エヴェッサ竹田智史やチームトライアウトに合格した岡田優らを獲得。9月にラシード・スパークスジュリアス・アシュビー、10月にレジー・ウォーレンと契約。5試合行ったプレシーズンゲームは3勝2敗の成績でシーズン開幕を迎えた。

初の公式戦となる開幕カードは11月8,9日にべっぷアリーナ大分ヒートデビルズと対戦したが連敗を喫する[5]。初勝利は11月11日に高松市総で行われたホーム開幕戦・シーズン3戦目の東京アパッチ戦に77-67で勝利して記録した[6]

次のホームゲームでは2005-06シーズン王者の大阪を相手に連勝した後、翌週の埼玉ブロンコス戦まで初の4連勝を飾る。さらに12月10日の大分戦勝利を皮切りに年明け1月6日の仙台89ERS戦まで6連勝し、リーグの首位争いに加わる。この間新潟アルビレックスBB戦で連勝に貢献した喜多がチーム初の週間MVPに選出された。

後半に入り、2月にアーリーチャレンジ選手制度中川和之が入団。チームはさらに勢いを増し、3月18日なみはやドームサブアリーナで行われた大阪戦で勝利した時点で、有明コロシアムで行われるプレイオフ進出が決定。レギュラーシーズンは2位新潟と並ぶ25勝15敗の3位で終えた(2位 3位は得失点差による)。ホームゲーム成績は大阪の16勝に次ぐ2位タイの15勝。アシストとスティールのタイトルを獲得したスパークスがベスト5に選出された。

4月21日に開幕したファイナル4ではセミファイナルで新潟を90-72と圧倒。翌日のファイナルではレギュラーシーズン1位の大阪に78-94で敗れはしたが参入1年目にして準優勝という結果を残す[7]。青木幹典ヘッドコーチも最優秀コーチに選ばれた。

  • ホームゲーム開催会場 高松市総・・16試合、丸亀・・4試合
  • 最多観客動員数 2,823人・・4月 1日(日) vs大分戦 高松市総合体育館
  • 最少観客動員数 1,594人・・11月17日(金)vs大阪戦 高松市総合体育館  

2007-08シーズン

前シーズン終了後に中川和之、アシュビーらが退団し、ジョージ・リーチスティーブ・ホーンらが新加入。bjリーグ2007-08シーズンより東西2地区のカンファレンス制が導入され、高松は大阪、大分、新加入のライジング福岡および琉球ゴールデンキングスとともにウエスタン・カンファレンス所属となった。プレシーズンマッチの成績は5勝2敗。

創設2シーズン目は11月3日に開幕し、ホームで新潟に連勝、11月17日の大分戦から12月7日の福岡戦までチーム新記録の7連勝を記録してシーズン序盤は西地区首位に立った。その後はその座を大阪に譲ったが、2月から3月にかけてシーズン2度目の7連勝を達成するなどして激しい首位争いを演じた。3月29日・30日にゲーム差1.0で迎えたシーズン最後の首位攻防戦(高松市総)は、初戦を101-88で勝利するも、2戦目はbjリーグ史上初となるトリプルオーバータイムの大激戦の末に113-117で敗北。その後翌週のアウェイ大分戦に連勝し、1敗した大阪をかわして一時首位に立ったが、最終週に再逆転を許して西地区2位となる。成績は30勝14敗(内、ホームゲームで17勝5敗。)

4月18日、ファイナル4進出を賭けて西地区3位の福岡とのワイルドカードゲーム(高松市総)に挑んだが94-112で敗北。レギュラーシーズンリーグ全体勝率で東1位の仙台を上回る2位、得点は個人ランク3位でベスト5に選出されたレジー・ウォーレンを中心にリーグ1位(1試合平均92.7得点)を誇りながら、最後に全体順位7位の福岡に敗れてファイナル4進出を逃す悔しいシーズンとなった。

5月10日に高松市総で、中国の上海西洋シャークスと国際親善試合を開催し、95-85で勝利した。

  • ホームゲーム開催会場 高松市総・・14試合、丸亀・松山・高知・徳島・・各2試合        
  • 最多観客動員数 3,066人・・3月30日(日) vs大阪戦 高松市総合体育館  
  • 最少観客動員数 1,524人・・12月 1日(土) vs富山戦 高松市総合体育館

2008-09シーズン

オフシーズン、指揮を執っていた丸岡茂樹監督が退任。宮本真司、石田晃章、城間修平、ウォーレン、ホーンが退団し、ドラフト1巡目指名の高田秀一、前埼玉のゴードン・ジェームス、前新潟のマット・ギャリソンが新入団。

シーズンは開幕ビーコンプラザでの大分ヒートデビルズ戦、ホーム開幕高松市総での滋賀レイクスターズ戦に全て勝利して4連勝のスタートを切り、着実に白星を重ねた。12月は月間6勝2敗でジェームスが月間MVPを受賞。

年末からは退団や負傷による選手の離脱が相次ぎ、チームは危機に陥った。12月末に井上聡が退団。1月14日に「6人目のプレーヤー」として活躍した菊池宏之、1月18日福岡戦にはジョージ・リーチが、それぞれ全治2か月、6か月の負傷で戦線離脱。1月末にはアイザック・ソジャナーが契約満了に伴い埼玉に移籍。2月にジェームスも膝の炎症で一時離脱し、7日・8日の大分遠征時には選手はわずか8名しか残っていなかった。

この危機は既存ロスターのカバーと新戦力の台頭で乗り切った。離脱せずに残ったスパークスとギャリソン、2名の外国人選手は1試合平均35分を超える献身的な試合出場でチームを支え、新人の高田秀一もスターターで活躍、1月中旬に2シーズンぶりに高松に復帰した中川和之琉球ゴールデンキングスとの首位攻防戦(2月14・15日/高知)で週間MVPを受賞した。2月中旬に富山グラウジーズからババカ・カマラが加入し、センター不在の状況を脱した。結果、1月11日の大阪戦(大阪府立体育会館)から2月22日の大阪戦(高松市総)までチーム新記録の11連勝を達成し、首位の琉球を猛追。2月の月間MVPにはギャリソンが選出された。

その後も2位を保ったまま3月22日の埼玉戦に勝利した時点でプレイオフ進出が決定、28日には3位以内も確定。さらに上を狙いたかったが、同月末にジェームスが左手親指部分じん帯断裂で再び故障離脱すると、疲弊したチームには最早それは難しいことだった。ジェームスに加え、ギャリソンも一時離脱した4月4・5日の大分戦こそ日本人選手の奮起で連勝してホームゲーム通算50勝を達成したが、翌週からの首位の琉球戦、3位大阪戦で4連敗を喫して3位に転落、最終週の福岡戦に2位再浮上をかけたが2戦目で敗れ、レギュラーシーズンを西地区3位で終えた。

大阪と対戦したカンファレンスセミファイナル(守口市民体育館)ではジェームスが復帰、5月2日の1戦目を81-88で落としたものの、翌日の2戦目は88-64で圧勝し決定戦に持ち込む。しかし決定戦では大阪の勢いを止められず17-31で敗れ、2年ぶりのファイナル4進出を逃す。

  • ホームゲーム開催会場 高松市総・・16試合、丸亀・・4試合、松山・高知・徳島・・各2試合

2009-10シーズン

球団発足当時からフロアを指揮していた青木幹典HCとの契約を更新せず、前ライジング福岡HCのカール・ジョン・ニューマンを新HCとして招聘した。

日本人ロスターでは喜多誠中川和之野々口航太菊池宏之が退団し、新たにドラフトで指名した堤啓士朗埼玉ブロンコスよりFA宣言した庄司和広、前福岡の田村大輔原口真英、練習生出身の長尾強司の5名が加入。その一方で、景気悪化に伴いメインスポンサーの穴吹工務店が撤退。新たなスポンサー探しも難航したため資金難となり、外国人ロスター4名との契約更新を見送った。そのため開幕時のチームには日本人ロスターしかいないという、bjリーグ史上初の緊急事態に見舞われた[8]。資金難に対する打開策として1口1万円の個人スポンサー募集を開始、500口を超える応募があった。その他、松山・高知・徳島でのホームゲーム開催の取り止め、高松市からの市営施設の使用料を半額とする減免措置、高松市総合体育館より使用料の安い高松市香川総合体育館でのホームゲーム開催などで経費削減に努めた。それでも資金は不足していたが、参加には漕ぎ付けた。

開幕は10月3日に仙台市体育館で開催された仙台89ERS戦。敗れはしたが日本人ロスター8名のみでの健闘は対戦チームブースターの感動を呼ぶ[9]。それから少し経った頃に、前浜松・東三河フェニックスマイケル・ガーデナーと前埼玉ブロンコスのアントワン・ブロキシーを獲得。両名が合流した後、10月18日に行われたホーム開幕節2戦目の京都ハンナリーズ戦(高松市総)に95-91で勝利してシーズン初勝利。この試合の後、前シーズンにスペインで活動していたテランス・ファーリーを獲得し、外国人ロスターは3名となる。

その後、11月に堤啓士朗・12月に原口真英が退団、代わって大分ヒートデビルズからレミントン・チャンが移籍したが1ヶ月で退団した。チャンが退団した同じ日、大阪エヴェッサからワキ・ウィリアムスが移籍したが、こちらも1ヶ月で契約解除となる。さらにファーリーも家庭の事情で一時帰国、その他にも故障者が出て2010年2月末には試合出場が可能なロスターが8名(その内、外国人は2名)となったため、3月初めに前大分ヒートデビルズのジェフリー・プライスと仙台89ERSの松田大地を獲得した。

しかし、シーズン開幕当初からの他チームとの選手層の差を埋めるには至らず、オフェンスはリーグ得点ランキング6位のガーデナーと10位の岡田(日本人選手初のbjリーグ得点ランキングトップ10入り)を中心にリーグ上位の水準(1試合平均81.2得点)だったが、ディフェンスが崩壊し、失点はリーグワースト(1試合平均91.3失点)だった。このため勝ち星も伸びず、3月27日の大阪戦(丸亀)では101得点しながら110失点して敗戦、翌28日も敗戦してプレーオフ圏外の5位以下が確定。その後は4月3日に行われた京都戦(京都府立体育館)に勝利してレギュラーシーズン通算100勝に到達。5月には岡田優が週間MVPを初受賞するなど明るい話題もあったが、最終的には西地区最下位で5月9日にシーズンを終えた。

  • ホームゲーム開催会場 高松市総・・14試合、高松香川・・10試合、丸亀・・2試合

5月14日、運営会社のスポーツプロジェクト高松が高松地方裁判所自己破産手続き開始の申し立てを行い、チームは一時事実上の解散状態となったが、5月27日に来期参戦に必要な広告収入に目処が立ったため、申請を取り下げ、チーム存続が決まる[10]

2010-11シーズン

7月23日、運営会社の株主総会で社名を株式会社スポーツプロジェクト高松から株式会社ファイブアローズに変更。新社長に経済産業省出身の星島郁洋を迎え、新体制が船出する。

新ヘッドコーチには前アシスタントコーチの金澤篤志が昇格。岡田優はFA権を行使し滋賀へ、田村大輔は大阪へ、キャプテンを務めた庄司和広もトレードで新規参入チームの秋田ノーザンハピネッツにそれぞれ移籍した。岡田が移籍したため、チーム創設時から継続して高松に所属する選手は竹田智史のみとなったが、菊池宏之喜多誠ラシード・スパークスの3名のチーム創設時ロスターが2シーズンぶりに復帰した。その他、ドラフト会議で指名した鈴木正晃と、練習生から選手契約に至った栗原祐太が新加入。

開幕節はアウェイ那覇市民体育館琉球ゴールデンキングスと対戦。10月17日に行われた2戦目でオーバータイムの激戦を87-85のスコアで制してシーズン初勝利。その後、外国人選手がファウルトラブルに陥りながらも日本人選手の気迫のこもったプレーで大阪エヴェッサライジング福岡といった西地区の強豪相手に勝ち星をあげ、まずまずのスタートを切る。しかしその後、プライス、菊池ら主力に故障者が相次ぐと、選手層の薄さが仇となり試合後半に失速して敗戦するケースが多くなってしまい、9位まで順位を下げて前半戦を終えた。後半戦になっても故障者が相次いだが、そんな中、2月6日の秋田戦(秋田市立体育館)は、遠征メンバー8名中、ファーリーと竹田が前日の試合で負傷して6名しか出場できなかったにもかかわらず67-61で逆転勝勝利を収めた。次戦2月12日の仙台89ERS戦(高松香川)からは新たに契約したカービー・レモンズが加わり、プレーオフ圏内を目指したが、3月に今度はスパークスが故障で戦線離脱。順位を上げることができず、2シーズン連続の最下位でシーズンを終えた。

  • ホームゲーム開催会場 高松市総・・16試合、高松香川・・8試合 東日本大震災の影響で高松市総で開催予定だった新潟戦2試合が中止になった。

2011-12シーズン

前シーズン終了後に金澤篤志HCが退団し、新ヘッドコーチには2008年よりアシスタントコーチを務めてきた前田顕蔵が就任した。前シーズンのキャプテンの喜多誠が選手兼任アシスタントコーチに就任。竹田智史、スパークス、レモンズ、ファーリー、プライスが退団し、2シーズンぶりに復帰した堤啓士朗ニカ・ウィリアムスパシフィック大学)とケヴィン・スミス(リッチモンド大学)の2名の大学卒ルーキー、前ドイツリーグ所属のマイケル・ナナリー、前秋田ノーザンハピネッツポール・ビュートラックが新加入。

開幕直前に攻守の柱と目されていたスミスが故障して長期離脱。これが一因となり開幕戦から敗戦が続き、開幕6連敗同士の対決となった宮崎シャイニングサンズ戦、東地区最下位(対戦当時)の岩手ビッグブルズ戦に連敗するなど、bjリーグ記録の20連敗を喫して最下位を独走する。スミスと前節病欠の高田秀一が復帰し、初めて全選手が揃った12月24日の宮崎戦(都城市早水体育文化センター)を80-75で勝利して、シーズン初白星。1月28日の富山グラウジーズ戦(高松市総)でオーバータイムの末、79-76で制してホームゲームでのシーズン初勝利を挙げたが、次戦からシーズン最終戦まで再びリーグ記録を更新する25連敗を喫し、リーグ史上最低勝率(.038)で3シーズン連続の最下位に沈んだ。

  • ホームゲーム開催会場 高松市総・・14試合、高松香川・・8試合、丸亀‥2試合、伊予三島‥2試合

2012-13シーズン

鈴木正晃喜多誠菊池宏之の3名のみと継続契約し、ほかの選手は退団。日本人選手は田村大輔が再加入した他、ドラフト指名で岸本行央を、チームトライアウトで問雅臣小寺裕介および大森勇の3名を獲得。外国人選手はデクスター・ライオンズポール・ウィリアムスおよびロバート・ジョンソンのベテラン選手3名と、ライダー大学卒ルーキーのブランドン・ペンを獲得。選手を大幅に入れ替え、ディフェンス力を重視した補強を行った。

10月13、14日の大阪エヴェッサ戦(住吉スポーツセンター)で2008-09シーズン以来4シーズンぶりの開幕連勝スタートを切り、この時点で前シーズンの勝ち星に並び、週間MVPも喜多が受賞(開幕に限定しなくとも連勝自体が2009-10シーズン以来3シーズンぶり)。11月10日には丸亀で島根スサノオマジックを72-61で降してシーズンホーム初白星。

シーズン1試合平均失点79.4点はチームの過去最高成績。1試合最少失点記録も2013年1月13日の琉球ゴールデンキングス戦(宜野湾市立体育館)の54失点でチーム記録を更新。チームディフェンスが機能した試合では前述の島根、琉球や、リーグ制覇した横浜ビー・コルセアーズ等のリーグ上位チームからも勝利することに成功したが、接戦を勝ちきれないことも多かったため連勝は2度の3連勝が最高で、プレーオフ圏内には浮上できなかった。ただ、勝利数は前シーズンの10倍の20勝を上げて、3シーズン続いたリーグ全体最下位から脱出し、数シーズン続いた成績下落に歯止めをかけることには成功。

  • ホームゲーム開催会場 高松市総・・16試合、高松香川・・4試合、丸亀・・2試合、観音寺・・2試合、善通寺・・2試合

2013-14シーズン

前田HCの3シーズン目。田村大輔、ペン、ジョンソンが退団し、米澤翼池本宗太朗アンドレス・ソーントンが新加入した。開幕3戦目にショーン・スミスが合流。ここ数年はシーズン終了の度に選手を大幅に入れ替えていたが、デクスター・ライオンズポール・ウィリアムスの2名の外国人選手を含む前シーズン在籍していた主力選手の多くと継続契約した。昨シーズン築いたチームディフェンスを土台とし、早い展開のバスケを掲げてシーズンに挑む[11]

ホーム高松市総合で迎えたシーズン開幕・ライジング福岡戦の2戦目を83-68で制しシーズン初勝利をあげたが、序盤10試合は3勝7敗とスタートダッシュに失敗。

その後、チームは立て直しに成功した。11月23日・24日の大阪エヴェッサ戦は101-95、74-69と接戦を制して、シーズン初の3連勝を記録してライオンズが週間MVPを受賞。12月には滋賀レイクスターズ戦(観音寺)、埼玉ブロンコス戦(所沢)で2008-09シーズン以来の4連勝を記録。12月30日の新潟アルビレックス戦(善通寺)はチーム最少得点記録を更新して49-61で敗れたが、翌31日はチーム最少失点記録を更新して63-50で勝利。月間成績6勝2敗を記録し、ディフェンスで貢献したウィリアムスが月間MVPに選出された。高松からの月間MVP選出は2008-09シーズン以来3人目。年が明けて1月4日・5日の群馬クレインサンダーズ戦も連勝し、13勝11敗と勝ち星を先行させてウエスタン3位に浮上。

しかし、直後にオールスターゲームを挟んで8連敗を喫して一気にプレイオフ圏外まで降下し、シーズン後半は大阪や大分とプレイオフ圏内の6位を争った。3月にはシーズン4度目の3連勝を記録したが、直後に再び5連敗を喫し、4月第1週を終えた時点で6位の大阪とのゲーム差は3.0に広がっていた。

連敗をするとプレイオフ進出が消滅する状況で迎えた4月11日・12日、大阪との直接対決(守口)は76-74、72-66と両日とも接戦を制して1.0ゲーム差に迫る。翌週は高松市総合で首位の琉球ゴールデンキングスと対戦。19日の1戦目はオーバータイムの末に落としたが、翌日のホーム最終戦では3Qまでについた14点ビハインドを4Qにはね返して62-59で勝利し、大阪とのゲーム差を保つ。シーズン最終節の大分ヒートデビルズ戦(べっぷアリーナ)、26日の試合もシーソーゲームとなり4Qの終盤に追いついた高松がオーバータイムを制して80-76で勝利、翌日の最終戦も勝利してシーズン5度目の3連勝を飾った。

高松はシーズン最終盤に続いた接戦で勝負強さを見せたが、6位大阪も高松との直接対決の後の4試合で3勝をあげたためゲーム差は縮まらずウエスタン7位に止まり、2008-09シーズン以来5シーズンぶりのプレイオフ進出はならなかった。勝ち星23勝は前シーズンを上回り過去5シーズンで最も良い成績。

  • ホームゲーム開催会場 高松市総・・12試合、高松香川・・4試合、備前・・2試合、観音寺・・2試合、善通寺・・4試合、北島北・・2試合 県内4会場の他、岡山県備前市)で公式戦を初開催、徳島県(北島町)では5シーズンぶりの開催。

2014-15シーズン

岸本行央、問雅臣、大森勇、小寺裕介、ウィリアムス、スミスが退団し、籔内幸樹山下和樹堀田大暉ベンジャミン・ジェームス・パケット(B.J.パケット)、ジャスティン・ワッツが入団。

アウェイでの開幕・バンビシャス奈良戦で連勝スタート。14試合消化時点で7勝7敗の6位だったが、その後パケット、ソーントンの両インサイドプレーヤーの故障離脱もあり、11月から1月にかけて14連敗を喫して最下位ライジング福岡とゲーム差なしの9位まで順位を下げた。直後1月末の福岡との対戦では2連勝して連敗脱出に成功し、ライオンズが週間MVPを受賞。最終的には福岡や奈良との争いを制し、プレイオフ圏内のウエスタン8位を確保した。2008-09シーズン以来6シーズンぶりに出場したプレイオフ・ファーストラウンドは5月3日・4日にウエスタン1位の京都と対戦し、2連敗で敗退した。

  • ホームゲーム開催会場 高松市総・・12試合、高松香川・・2試合、観音寺・・2試合、善通寺・・4試合、藍住・・2試合、備前・・2試合、きびじ・・2試合

2015-16シーズン

4シーズン指揮を執った前田HCが退任し、チームを指揮をするコーチ(実質的なHC)に元宇都宮文星女子高校HCの伊藤伸由が就任。コーチをバックアップする監督に元北陸高校監督の津田洋道が就任した。前シーズンまでとは違い、ラン・アンド・ガンスタイルのチーム作りを掲げている[12]

籔内幸樹、ライオンズ、ワッツ、ソーントン、パケットが退団し、前信州の楯昌宗、2011-12シーズン以来の復帰となる前島根の高田秀一、前琉球のアンソニー・ケント、サウスイーストミズーリ州立大学卒新人のニノ・ジョンソンとトライアウトに合格した林りん太郎および福原弦が加入した。3人目の外国人の獲得は遅れ、ジャービス・ウィリアムズは10月の開幕後7試合目より試合出場。11月に大東文化大学卒新人の貝沼雄介を獲得。

アウェイでの開幕戦で前シーズン優勝の浜松に勝利するなど序盤5試合は4勝1敗と白星が先行したが、その後は選手獲得の遅れに加えてベンチワークのまずさもあり連敗を繰り返したため、12月26日より津田監督をチームを指揮をするヘッドコーチ、伊藤コーチをACとする指導体制の変更を行い[13]、1月19日に高松OBで前新潟ACの庄司和広をアシスタントコーチとして招聘した[14]

主な成績

bjリーグ

年度 レギュラーシーズン 最終結果 HC 備考
勝率 ゲーム差 得点 失点 得失点差 順位
2006-07 25 15 .625 4.0 83.3 80.0 +3.3 3位 準優勝 青木幹典 新規参入 ファイナル進出
2007-08 30 14 .682 4.0 92.7 85.3 +7.4 西2位 5位 ワイルドカードゲーム敗退
2008-09 33 19 .635 8.0 86.9 82.3 +4.6 西3位 5位 プレイオフ
地区準決勝出場
2009-10 13 39 .250 21.0(16.0) 81.2 91.3 -10.1 西7位 13位 ニューマン
2010-11 10 38 .208 23.0(13.0) 73.2 84.7 -11.5 西9位 16位 金澤篤志
2011-12 2 50 .038 37.0(26.0) 68.2 88.2 -20.0 西9位 19位 前田顕蔵
2012-13 20 32 .385 22.0(8.0) 75.7 79.4 -3.7 西9位 15位
2013-14 23 29 .442 20.0(1.0) 73.3 76.5 -3.2 西7位 15位
2014-15 17 35 .327 27.0(-) 76.5 82.3 -5.8 西8位 9位 プレイオフ
地区1回戦出場
2015-16 西 位 伊藤伸由
→津田弘道

ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ圏との差をそれぞれ表している。

個人別タイトル

コーチ・オブ・ザ・イヤー

  • bjリーグ2006-07 青木幹典

ベスト5

コミッショナー特別賞

アシスト

スティール

  • bjリーグ2006-07 ラシード・スパークス

ブロックショット

月間MVP

週間MVP

bjリーグオールスターゲーム

ダンクコンテスト優勝

  • 2006-07 ラシード・スパークス
  • 2007-08 ラシード・スパークス

スリーポイントコンテスト優勝

  • 2009-10 岡田優

その他受賞

コミュニティーアシスト賞

  • bjリーグ2006-07 四国4県で地元のバスケ協会と協力してホームゲームを開催し、バスケの振興に貢献したため。

チームアシスト賞

  • bjリーグ2009-10 アローズプロジェクト(高松ファイブアローズのホームゲーム開催時、会場設営や運営をサポートしているボランティアチーム) シーズン参戦が危ぶまれていた高松ファイブアローズにおいて、ホームゲームの設営撤去及びチケットもぎり等、シーズンを通して運営に多大な貢献をしたため。

主な記録

個人

1試合最多得点 40得点 

1試合最多スリーポイントシュート成功 9本

  • 岡田優(2006年11月12日東京戦、2009年4月5日大分戦)

1試合最多フリースロー成功 19本

1試合最多アシスト 14本

1試合最多リバウンド 25本

1試合最多ブロックショット 9本

1試合最多スティール 7本

  • 中川和之(2007年2月18日新潟戦)
  • 岡田優(2010年3月6日埼玉戦)
  • 竹田智史(2011年4月11日沖縄戦)
  • ケヴィン・スミス(2012年1月8日大阪戦)
  • ロバート・ジョンソン(2012年11月24日京都戦)

チーム

1試合最多得点 117得点(2008年12月7日富山戦)

1試合最少得点 49得点(2013年12月30日新潟戦)

1試合最少失点 48失点(2016年3月12日広島戦)

1試合最多失点 120失点(2009年10月10日滋賀戦)

最多連勝 11連勝(2009年1月11日大阪戦~2月22日大阪戦)

最多連敗 25連敗(2012年1月30日富山戦~4月29日大分戦)

スタッフと選手

応援

マスコットキャラクター

  • サマー&シルキー
不死鳥をモチーフとしたキャラクター。2000年に穴吹工務店のスポンサードにより「サーパス」の名称を使用していたプロ野球チーム・オリックス二軍のマスコットとして誕生。その後、ファイブアローズのチーム創設時から2008年まではサーパスとファイブアローズのマスコットを兼任していた。
2体は2007年4月1日に「結婚」した。名前と「結婚」の設定は、元穴吹工務店取締役会長の「穴吹夏次」(夏=Summer)と、穴吹夏次の妻で元穴吹工務店取締役会長、現穴吹カレッジグループ代表の「穴吹キヌヱ」(絹=Silk)に由来する。
試合中は、観客席に出向き、ブースターとの交流を行っている(観客席では、基本的にサマー、シルキー単独)。また、相手のフリースロー時にブースターに混じってブーイングを行うこともある。
  • アロルド・ズッキーニ
チームカラーのイエローのズッキーニをモチーフとしたマスコットキャラクター。2012年8月から9月にかけて行われた一般公募で寄せられた120通のデザインの中から選ばれ、2013年1月5日の東京サンレーヴス戦の試合前に初登場[15]

チーム応援怪獣

2010-11シーズン開幕前、円谷プロダクション制作の人気作ウルトラマンに登場するウルトラ怪獣を指名する「ウルトラ怪獣ドラフト2010」で獲得した。身長60m、体重4万t、細胞の一片でも残っていれば再生する能力を持つ怪獣である。

オフィシャルソング

スタジアムDJ

  • DJ・SU-JI(2006年 - ) アローズの応援番組や、FM高松の番組「BOOM BOOM SONIC JAPAN」などにも出演している。

アシスタント

チアダンスチーム

Sunny Arcs(サニーアークス、2011年結成)がオフィシャルチアダンスチームとしてホームゲームなどで活動している。前身は2006年結成のAROARO(アロアロ)とジュニアチアチームのMiniARO(ミニアロ)。また2012年よりチアとは別にイメージガールとしてArogirl(アロガール)が活動している。

地元とのコラボ

地域活性化を目的に地元出身者・団体等とのコラボレーションを行っている。2010-11シーズンは香川県出身でニューヨーク在住のアーティスト・坂本ヒロキデザインのロゴやアートワークをグッズやポスター等に使用。高松丸亀町商店街G街区再開発工事の現場板囲いにもアートワークが使用されていた(project G[18]。2013-14シーズンは高松工芸高校出身者を中心としたクリエーター集団「瀬ト内工芸ズ」デザインによるユニフォームを使用[19]

2012年には、バスケットボールを通じた青春映画『Give and Go』で、2009年さぬき映画祭でグランプリを受賞している森英人を監督に迎え、アローズ映画化プロジェクトを開始。2年以上に渡る製作期間を経て、バスケットボールドキュメンタリー映画『ファイブアローズ2.50 basketball is life』が完成。2015年2月開催のさぬき映画祭で上映会が行われ、前田顕蔵HC、デクスター・ライオンズ、喜多誠、鈴木正晃らが舞台挨拶を行った。

メディア

試合中継

テレビでは高松ケーブルテレビNHK高松放送局などが、ラジオではエフエム高松コミュニティ放送が試合の中継を行っている。また、インターネットのバスケットボールジャパンTVで全試合が配信されている。

応援番組

  • CMS Sportsプラス - 高松ケーブルテレビ 選手が不定期で出演。
  • ウイークリーアローズ(JOY-U・CLUB内コーナー) - FM香川 毎週金曜日17:30 - 17:40
過去の応援番組

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サポートカー

注釈

  1. ^ 野球の独立リーグである香川オリーブガイナーズは2005年春に最初のシーズンを迎えている。

出典

  1. ^ a b c チーム名は「高松ファイブアローズ」(四国新聞 2006年3月23日)
  2. ^ 高松の企業「bjリーグ」新規加盟に意欲(四国新聞 2005年10月7日)
  3. ^ 穴吹工務店が正式加盟-bjリーグ(四国新聞 2005年10月14日)
  4. ^ プロバスケチーム運営会社設立-穴吹四国新聞2005年11月1日
  5. ^ “アウエーの洗礼、大分に惜敗”. 四国新聞. (2006年11月9日). http://www.shikoku-np.co.jp/sports/bj/20061109000126 2015年11月23日閲覧。 
  6. ^ 高松、ホームで歓喜の初勝利(四国新聞 2006年11月12日)
  7. ^ 高松、終盤猛追も及ばず-バスケbjリーグ四国新聞2007年4月23日
  8. ^ 新生高松、走力勝負/bjリーグ開幕(四国新聞 2009年10月3日)
  9. ^ 高松開幕2連敗、仙台に69-87、気迫のプレー感動与える。高松、後半は互角の戦い(四国新聞2009年10月5日)
  10. ^ bj高松来季も存続/運営会社破産申請取り下げ 四国新聞2010年5月18日
  11. ^ “アローズ5日からホーム2連戦/bjリーグ”. 四国新聞. (2013年10月5日). http://www.shikoku-np.co.jp/sports/bj/20131005000172 2015年11月23日閲覧。 
  12. ^ 【インタビュー】津田洋道監督・伊藤伸由コーチ③ 〜走るバスケットボールで2勝50敗の足枷を壊す〜(10月1日 高松ファイブアローズ)4SPO
  13. ^ チーム指導体制の変更に関するお知らせ
  14. ^ 庄司和広アシスタントコーチ就任のお知らせ2016年1月19日
  15. ^ アローズのマスコットキャラ決定四国新聞2013年1月6日
  16. ^ “「香川のボンドガール」最高賞に真鍋さん”. 四国新聞. (2007年7月8日). オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/C8cbU 
  17. ^ “ボンド役とボンドガール役が結婚、映画撮影で知り合い”. asahi.com (朝日新聞社). (2008年12月4日). オリジナルの2008年12月10日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081210123626/http://www.asahi.com/kansai/kouiki/OSK200812040102.html 2015年11月23日閲覧。 
  18. ^ “各地で魅力発掘盛ん/11年の香川こうありたい”. 四国新聞. (2011年1月1日). オリジナルの2011年1月14日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20110114035940/http://news.shikoku-np.co.jp/kagawa/locality/201101/20110101000085.htm 2015年11月23日閲覧。 
  19. ^ “高松工芸高OBら「瀬ト内工芸ズ。」発足”. 四国新聞. (2013年11月7日). オリジナルの2013年11月19日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20131119012126/http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/culture/20131107000152 2015年11月23日閲覧。 

関連項目

外部リンク