青松敬鎔
千葉ロッテマリーンズ #63 | |
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ロッテ浦和球場にて(2011年) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市伏見区 |
生年月日 | 1986年12月7日(37歳) |
身長 体重 |
185 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手、一塁手、三塁手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト7巡目 |
初出場 | 2006年9月26日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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青松 敬鎔(あおまつ けいよう、1986年12月7日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(捕手)。京都府京都市伏見区出身。
来歴・人物
2004年ドラフト7巡目で千葉ロッテマリーンズに入団した。福岡ダイエーホークス時代に城島健司を指導した古賀英彦二軍ヘッドコーチ(当時)からは「城島をしのぐセンスの持ち主」と評されている。
2月に行われたWBC日本代表との試合では一塁を守った。二軍では一塁手31試合・捕手16試合を守り打率.257、4本塁打の成績を残し、9月19日に初めて一軍登録された。オフには9年ぶりに開催されたハワイ・ウィンターリーグに派遣され、息子の応援に来ていたロジャー・クレメンスの球をブルペンで受ける幸運もあった。
二軍で一塁26試合・捕手23試合を守ったが打率.159と絶不調で、一軍出場はなかった。
二軍で.252 8HRと復調し、守備でも捕手33試合、一塁13試合、三塁1試合で無失策と安定感を見せたが、支配下選手登録された捕手の中で唯一一軍出場がなかった。
.244,4HRと若干調子を落としてしまい、この年も一軍登録はなかった。
打撃が復調。当初は主に一塁を守っていたが、一軍正捕手の里崎智也の背筋痛で他の捕手が昇格したことや、金澤岳の故障によりシーズン終盤からは二軍の正捕手となり、ファームの日本一に貢献した。この年も一軍出場はなかった。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2006 | ロッテ | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | .500 | .000 | .500 |
通算:1年 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | .500 | .000 | .500 |
- 2010年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2006年9月26日、対西武ライオンズ19回戦(インボイスSEIBUドーム)、7回表に大松尚逸の代打として出場
- 初打席:同上、7回表に許銘傑から死球
背番号
- 63 (2005年 - )