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青ヶ島

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青ヶ島

上空からの青ヶ島北部
所在地 日本の旗 日本 東京都
所在海域 太平洋フィリピン海
座標 北緯32度27分28秒 東経139度45分33秒 / 北緯32.45778度 東経139.75917度 / 32.45778; 139.75917
面積 5.97[1] km²
海岸線長 9 km
最高標高 423.0 m
プロジェクト 地形
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尾山展望公園から見る丸山
衛星写真

青ヶ島(あおがしま)は、伊豆諸島。行政区分は東京都青ヶ島村に属し、人口195人 (2012年)。伊豆諸島における有人島としては最も南に位置する。日本の気象庁によって火山活動度ランクCの活火山に指定されている。

地理

東京の南358キロメートル八丈島の南方65キロメートルにある周囲約9キロメートルの火山島。

青ヶ島は典型的な二重式カルデラ火山で、島の南部に直径1.5キロメートルのカルデラ(池之沢火口)があり、その中に丸山(別名:オフジサマ)という中央火口丘があるが、青ヶ島自体は、より大きな海中カルデラ全体の高まりのひとつにすぎず、第1東青ヶ島海丘、第2東青ヶ島海丘、第3東青ヶ島海丘などとともに、島の北東にある海中カルデラの外輪山となっている。なお、第2青ケ島海丘と第3青ケ島海丘の間にも、さらにカルデラがあると考えられている(つまり、青ヶ島と周辺海域には火口・カルデラ地形がいくつも重なっている)。青ヶ島の最高点はこの丸山を取り囲んでいる外輪山の北西部分に当たる大凸部(おおとんぶ)にある。外輪山の外側斜面は急な崖となって海岸線に続く。このため、海沿いにはほとんど平坦地がなく、高さ50 - 200メートルほどの直立する海食崖になっており、砂浜はない。

島の北端やカルデラ内の数か所では噴気孔があり、黒崎海岸には海中温泉もある。

集落はカルデラの外、島の北部にあり、村役場を中心に休戸郷(やすんどごう)と西郷(にしごう)のふたつ。ただし、集落に関係なく公的な住所は島内全て「青ヶ島村無番地」である。気候は温暖湿潤。

青ヶ島村#地理も参照のこと

地名

前述のとおり、島内の公的な住所はすべて「青ヶ島村無番地」であり、大字(おおあざ)等の土地登記上の行政地名は存在しないが、集落、山、海岸、岩礁等には地名が付けられている。

  • 休戸郷、西郷 - 島北部の集落の地名。住宅、公共施設等はすべてこの地区に集中している。島の大部分を占める二重式火山の部分に対し、北側の人の住む地区を「岡部」と呼ぶこともある。東の休戸郷と西の西郷の中間の地区を「中原」ともいい、村営住宅の名称等に「中原」が使われている。
  • 池之沢 - 二重式火山のカルデラ部分の総称的地名。天明の噴火(後述)以前には大小2つの池があったことからこの名がある。カルデラ内には「恋ヶ奥」「金土ヶ平」などの地名がある。
  • 大凸部(おおとんぶ) - 外輪山の北西に位置する、島の最高地点(標高423メートル)。
  • 大人ヶ凸部(おおじんがとんぶ) - 外輪山東南に位置する。標高334メートル。
  • 丸山 - カルデラ中央の火口丘の名称。標高223メートル。
  • 尾山 - 外輪山北側、標高400メートル地点の名称で、展望公園として整備されている。
  • 浜路ヶ平 - 島の東南部にあるわずかな平坦地で、現在は無住だが、天明の噴火以前はここに集落があった。
  • 神子ノ浦(みこのうら) - 島の北端、東寄りの海岸の呼称。断崖の下の岩場であるが、集落から距離的には近く、20世紀半ばまでは船着場としても使われていた。現在は、途中の展望台までは道があるが、そこから先は断崖絶壁で、道も崩落しており、近づくことができない。

歴史

青ヶ島は第四紀火山として知られている。約3000年前には、大規模なマグマ水蒸気爆発が発生し、火砕サージが全島を覆った。その後、3000 - 2400年前の間に、島の南東部にあった火口状の凹地を埋める溶岩流と降下スコリアが噴出、また島の東部および北部に多量のスコリアが降下する噴火も発生した。その後岩屑なだれが発生し、最終的に池の沢火口が形成された。[2]

記録に残っているものでは、八丈島年代記1652年に噴煙があがったことが記録されているほか、南方海島志には、1670年より約10年間大池より火山灰が噴出したとされる。

1780年7月には群発地震が発生し、8月に大池・小池の水位と水温が上昇。1781年5月3日に地震が群発し、翌日には降灰。1783年4月に火山活動により全家屋63戸が焼失した。火口内に溶岩流とスコリアによる丸山火砕丘が形成され、翌年の噴火に掛けて成長した。

いわゆる天明の大噴火は、1785年4月18日より発生し、5月末まで続いたとされる。このとき、島民327人のうち、八丈島への避難が間に合わなかった130 - 140人が死亡したと考えられており、1824年名主佐々木次郎太夫らが還住(全島帰還)を果たすまでの約40年間無人島になる。青ヶ島では、その後噴火は発生していない。

島の名前の由来は、八丈島から青ヶ島を見ると、海の上に青々として見えることによるという。島の伝説(徐福伝説)によると、男女が同じ島に住むと神のたたりがあると信じられた時代があり、青ヶ島は女人禁制の島だったとされる。

歴史の詳細に関しては、還住を参照のこと

社寺

  • 大里神社 - 集落の南西、外輪山上にある、青ヶ島の総鎮守。参道は急斜面に丸石を300段に敷き詰めたものである。
  • 東台所神社(とうだいしょじんじゃ) - 集落の南にあり、祟り神を祀る神社である。江戸時代の宝暦7年(1757年)、名主の息子の浅之助なる者が、色恋沙汰で錯乱した挙句、島民7名を斧で殺害し自らも入水したが、その浅之助が祟り神として祀られている。参道は急斜面に丸石を石段状に積み上げたもので、通行困難であるが、これとは別に尾山展望台からの道もある。
  • 金比羅神社 - 集落の北、ヘリポートの近くにある小祠で、還住(全島帰還)を果たした際の船頭岩松なる者が、航海無事の報恩のため、金比羅神を祀ったものという。
  • 渡海神社 - 集落近くにある小祠で、天明の噴火の犠牲者を祀る。
  • 清受寺 - 集落から南西方向にある、島で唯一の寺院。浄土宗に属し、八丈島大賀郷の宗福寺の末寺とされているが、無住の堂が建つのみである。

脚注

  1. ^ 本州の島面積” (2009年4月1日). 2011年12月22日閲覧。
  2. ^ 気象庁|青ヶ島

参考文献

  • 青ヶ島村役場編『青ヶ島』(チクマ離島シリーズ)、千曲秀版社、1986
  • 青ヶ島村役場編『青ヶ島』(チクマ離島シリーズ)、チクマ秀版社、1992

関連項目

外部リンク