林羿豪
読売ジャイアンツ #96 | |
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基本情報 | |
国籍 | 台湾 |
出身地 | 新竹県 |
生年月日 | 1991年1月2日(33歳) |
身長 体重 |
188 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2006年 |
初出場 | NPB / 2010年8月7日 |
年俸 | 440万円(2010年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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林 羿豪(リン・イーハウ、1991年1月2日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。台湾出身。
経歴
台中市の台中市立西苑高級中学(國中部)を経て、2006年9月に当時15歳で巨人に育成選手として入団した。
メジャーを含め複数の球団が獲得意欲を現したが[1]、最終的に練習環境と学業環境(高校への進学、日本語教室などの斡旋等)を保証した[要出典]巨人が獲得に成功した。以来、都内の通信制高校に通い、高校卒業の資格を取得した[2]。
2006年、2007年は練習に専念し、二軍での登板もなかった。
2009年10月30日、ドラフト会議で新たな育成選手の獲得が決定した翌日、自由契約公示されたが、同11月12日に再契約[3]。
2010年台湾の大学に進学し、5月のイースタンリーグ戦で来日初勝利を挙げた。7月31日に支配下登録され、背番号は96に決定[2]。8月7日の広島東洋カープ戦で初登板した。
2010年11月、広州アジア大会台湾代表に選ばれ銀メダルを獲得した。
2011年は1軍登板はなかったが、2軍でクローザーとして起用されリーグ最多の52試合に登板し16セーブを挙げた。
プレースタイル
- サイドスローからの最速157km/h[4](1軍での最速は2010年8月31日のヤクルト戦での154km/h)の直球が武器。
- 15歳でのプロ入団の時点で体格は既に申し分なく、球速も149km/hに届く大器であった[1]。
エピソード
- 2006年、巨人公式サイトでは「林イー豪」と表示されていたが、2007年から「リン・イーハウ」とカタカナ表記に改められた[要出典]。
- 2007年の「G戦士 今年の抱負」には「學好日語(日本語を学ぶことをうまくやり遂げる)拼命練習(猛稽古)」と色紙に書いてある[1]。現在は日本語は大分上達しており、日テレG+のジャイアンツ広場のインタビューには日本語で答えている。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2010 | 巨人 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 28 | 5.0 | 8 | 0 | 4 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 7 | 7 | 12.60 | 2.40 |
通算:1年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 28 | 5.0 | 8 | 0 | 4 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 7 | 7 | 12.60 | 2.40 |
- 2010年度シーズン終了時
記録
- NPB
- 初登板:2010年8月7日、対広島東洋カープ16回戦(東京ドーム)、8回表に救援登板・完了、2回1失点
- 初奪三振:2010年8月31日、対東京ヤクルトスワローズ18回戦(石川県立野球場)、3回表にジョシュ・ホワイトセルから
背番号
- 106 (2006年 - 2010年途中)
- 96 (2010年途中 - )
出典
- ^ a b スポーツ報知. “巨人、15歳149キロ!台湾の怪物右腕獲得(インターネットアーカイブ)”. 2010年8月30日閲覧。
- ^ a b 読売巨人軍公式ホームページ. “リン・イーハウ投手が支配下登録 背番号は96”. 2010年8月30日閲覧。
- ^ 巨人、竹嶋、伊集院と林イー豪と育成契約
- ^ 巨人の快速17歳右腕・林が台湾代表合宿へ