日本型食生活
日本型食生活(にほんがたしょくせいかつ)は、1983年(昭和58年)に農林水産省より提唱された食事スタイルである。当時の日本人の食生活を基礎としたもので、欧米風や中華風の料理も排除されないが、栄養過剰の現在では、動物性脂肪の摂り過ぎは戒められカロリーの低い和食が特に重視されている[出典 1]。
概要
米飯を中心とし汁物および主菜1品と副菜2品から成る一汁三菜を基本とした食事スタイルであり、米飯をベースとすれば、自然にバランスの良い食事ができるとの考えから提案され、多種多様な食品を摂ることが推奨されている[出典 1][注 1]。1980年(昭和55年)に農政審議会の「80年代の農政の基本方向」で提案されされたものであり、これをうけた農政審議会報告1982年(昭和57年)「80年代の農政の基本方向の推進について」の中で「多様性がありかつ栄養バランスのとれた健康的で豊かな食生活」と定義された。さらに農林水産省は、医学、栄養学などの26名の専門家からなる「食生活懇談会」をもうけ、指針「私達の望ましい食生活 -日本型食生活のあり方を求めて- 」(昭和58年3月17日)を策定して、日本型食生活の普及に努めた [出典 2]。
近年、ファミリーレストランなどの定食にはこの形式のものが多い。すなわち、目的の料理である主菜にご飯と味噌汁が付き、ミニサラダやおひたしなどの副菜に加え漬物など箸休めの副副菜を添えセットメニューにしたものである。そして、ご飯は白米だけでなく、玄米や雑穀の入った五穀米なども選べるようにし、ヘルシーを売り物にしていることも良くある。
経緯
第二次世界大戦後の食糧難のなか、アメリカの経済援助で小麦粉が大量に輸入され、占領政策の一環で学校給食はこの小麦粉を使ったパンと脱脂粉乳が主体であったため、子供たちを中心にパン食が普及した。連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥は「我が輩は米と魚と野菜の貧しい日本人の食卓を、パンと肉とミルクの豊かな食卓に変えるためにやってきた」と豪語している[出典 3]。さらに、小麦粉が自由販売になった1952年(昭和27年)には栄養改善法が公布されたが、そのねらいは食生活洋風化の推進にあった。それは、GHQ公衆衛生福祉局長のクロフォード・F・サムス准将が「太平洋戦争はパン食民族と米食民族との対決であったが、結論はパン食民族が優秀だということだった」とのべていることからみても、うたがいない[出典 3]。そして厚生省は、栄養改善法に基づいて国民栄養調査を実施し栄養改善運動を始めた。そのため当時の栄養教育は欧米流の栄養学を基礎とし、栄養改善運動ではパンを重視するなど欧米追随指向が顕著であり、欧米風の食生活を理想としていた。米偏重の是正が叫ばれ、日本人の主食とされてきた米は遠ざけられ、米は市場にだぶつき過剰時代に入り、1970年(昭和45年)には減反と米の買い入れ制限が始められた[出典 4]。日本人1人あたりの米の年間消費量は、戦後のピークの1962年(昭和37年)には118.3キログラムだったものが、その後一本調子で減少し1990年代後半には、ひと頃の半分の60キログラム台に落ち込んだ[出典 5]。
栄養改善の達成
1955年(昭和30年)に日本食生活協会が設立され、アメリカから資金援助を受け、キッチンカー(栄養指導車)を使って、栄養士が和洋中華の料理の実演をし指導した。栄養改善運動では様々なおかずを食べる指導が重視され、この結果おかずの比重が増加した。1965年(昭和40年)代ごろ以降は、小麦の消費量が増えていない一方で米のみが減少しており、国立民族学博物館名誉教授の石毛直道は、米の消費が減ったのは小麦製品の消費増というよりもおかずを沢山食べる様になったからと指摘している[出典 6]。またこの頃、都市ガスに加えプロパンガスが普及し始め、ステンレス流し台が発売され、家庭料理の在り方は大きく変化した。いつでも火が自由に使えるようになり、焼き物が手軽になり、強力な火力を必要とする揚げ物、炒め物も簡単に作れるようになった。日本の伝統的な調理である煮物、和え物の比重が低下し、欧米風、中華風の料理が食卓に提供されるようになった。西洋料理や中華料理には肉類が欠かせないが、肉類の普及に象徴的なものが魚肉ソーセージである。勿論魚肉ソーセージは魚を原料とし肉類ではないが準ずるものとして扱われ、日本の肉食の普及を側面から支え、しだいに実際の肉類の消費が増加し、米と魚と野菜の日本の伝統的食生活に代わり、肉類を使った欧米風・中華風の食生活が普及していった[出典 4][出典 7]。
もともと日本人は米食悲願民族といわれ、都市部でも上流階級以外は白米を十分食べることができず、農村では水田地帯でさえも米以外の穀物や野菜などを大量に入れて混炊したかて飯を主食とし、畑作地帯では米はわずかしか手に入らず雑穀や芋類を食べる食事であり、加えて戦中戦後の米不足は凄まじく、大半の日本人が米を常食することはできなかった[出典 8]。その後、昭和40年代(1965年-1974年)初頭になって、ようやく米の自給が達成され名実ともに日本人の主食になった。この頃の日本人の食生活は、フランスの農学者、ジョセフ・クラッツマンをして、タンパク質・脂質・炭水化物のカロリー比率が理想的と言わしめたものであり、このバランスのとれた食生活のおかげで日本人の健康は目を見張る改善を実現し、平均寿命が世界トップクラスになった[出典 9]。また、医療費の増大に困っていたアメリカが、マクガバンレポートで、肉・乳製品・卵といった動物性食品を減らし、精白していない穀物や野菜、果物を多く摂るように勧告したその内容は、当時の日本人の食生活そのものだった[注 2]。しかし、日本でも欧米風や中華風のおかずの多い食生活が普及するにしたがい、米の消費量が減少する一方で脂質の消費が増加して、メタボリックシンドロームなど生活習慣病の増加の兆候がみられるようになっていた[出典 10]。
望ましい食生活
このため方針の転換がなされ、米あまりによる食管会計の赤字に苦しんでいた農林水産省は、農政審議会にて1980年(昭和55年)に米を主食とする食生活の定着の努力が必要であるとし食生活懇談会をもうけた。そして、1983年(昭和58年)に提言をとりまとめ、米を中心とし多種多様な食品を摂ることによって動物性脂肪や砂糖の摂りすぎを避けるという「日本型食生活」を提唱した[出典 9][注 3][注 4]。イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが、本部への報告のなかで、野菜とさほど多くもない米麦飯を常食とし、時々魚や果物を食べるのみでありながら、おどろくほど達者でしかも長寿命者が多いことを指摘しており、日本人の食生活は昔から、食べる楽しみや満足感はともかく、栄養学的には望ましいものであった[出典 3]。また、和食はその良さが見直され「和食 日本人の伝統的な食文化」はユネスコ無形文化遺産に登録されている[出典 11]。
1990年(平成2年)前後から、全粒穀物が健康に貢献するという科学的な根拠が蓄積されてきたため、各国の食生活指針に精白していない穀物を中核とした食生活が推奨されるようになり、米については玄米が望ましいとされている。一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ…… ほめられもせず 苦にもされず そういうものに私はなりたい、と宮沢賢治も言っている。重労働をこなしていた時代には米を大量に食べてカロリー源とするのみならず、タンパク質も米から摂取していた。比率は多くはないものの人間にとっての必須アミノ酸がバランス良く含まれ、米はタンパク質の補給源としても秀れた食品であり、米のみで人体を維持するに十分なカロリーとタンパク質は得られるのである[出典 12]。
玄米は完全食といわれ、ビタミン・ミネラル・食物繊維を豊富に含み、玄米(と塩)だけで必要な栄養をまかなうことも不可能ではない。しかし、カロリーを使わない現代人の場合、タンパク質を摂取するために十分な量を食べると炭水化物が多すぎ糖質過多になってしまい、米だけではタンパク質が足らなくなるので、動物性食品の摂取が必要になっているのである。なお、飽和脂肪酸の問題も指摘され、動物性食品についても、肉・乳・卵ではなく魚を食べることが推奨されている。目指すべきはあくまでも昔のように、精白していない穀物を中核とした菜食型の食生活である。穀物や魚をそのまま人が食すれば、家畜に与えそれを食するのに較べはるかに効率がよい。全世界の人類が、肉・乳・卵食から決別すれば、現在生産されている食糧と飼料とでいまの2倍の人口を養うことが可能となり、しかも生活習慣病を克服できるのである[出典 3]。
注
- ^ ただし、一汁三菜にこだわる必要はなく、ホームページで推奨されている献立例は、「○汁○菜」という表現からすれば青菜のごまあえは箸休めであり、それなりの惣菜が3品つく一汁三菜とはいえず、実際には質素な食事とされる一汁一菜ともいえる。
- ^ マクガバンレポートは、砂糖を除く植物性食品のカロリー比率を65-85%にすることが健康保持の必須要件としており、これを平均的な日本人の食生活に当てはめると、1970年(昭和45年)以前の水準に相当し、以後は栄養過剰である(出典:安達 巌 『日本型食生活の歴史』 254,255頁)。
- ^ 「食生活懇談会」がとりまとめた提言の中では、当時の日本人の食生活はタンパク質・脂質・炭水化物のバランスは良好であるが、カルシウムが不足する上に塩分を摂りすぎており、個人単位では食事の偏りが見られることなどが指摘された(出典:「食糧振興会叢書7 日本の食生活・食卓と風土を結ぶ」社団法人全国食糧振興会、25頁)。
- ^ 肉体労働で汗を流し、かて飯や雑穀飯を主食とし、小魚を頭から内臓や骨ごと食べ、塩も純粋の塩化ナトリウムとは程遠かった食糧難以前とは違って、白米を食べデスクワークが主体となった戦後の日本においては、塩分(ナトリウム)の摂りすぎとそれ以外のミネラルやビタミン類の不足が問題となり、多種多様な食品を摂ることが食生活指針や食事バランスガイドに反映された。
出典
- ^ a b 日本型食生活のすすめ 農林水産省
- ^ 第2回食育推進施策に関する有識者会議参考資料2 平成26年7月15日
- ^ a b c d 安達 巌 『日本型食生活の歴史』 216,217,227,279頁
- ^ a b 原田 信男 『和食と日本文化』 204-206頁
- ^ 藤岡 幹恭 他 『農業と食料のしくみ』 126頁
- ^ 石毛 直道 『日本の食文化史』 201-203頁
- ^ 食生活の変化(1910年代以降) 社会実情データ図録
- ^ 新谷 尚紀 他 『民俗小事典 食』 26頁
- ^ a b 藤岡 幹恭 他 『農業と食料のしくみ』 14-19頁
- ^ 栄養のバランスと健康 日本栄養士会
- ^ 「和食;日本人の伝統的な食文化」とは 農林水産省
- ^ 石毛 直道 『日本の食文化史』 20-21頁
参考文献
- 原田 信男 『和食と日本文化』 小学館、2005年、ISBN 4-09-387609-6
- 藤岡 幹恭 他 『農業と食料のしくみ』 日本実業出版社、2007年、ISBN 978-4-534-04286-6
- 新谷 尚紀 他 『民俗小事典 食』 吉川弘文館、2013年、ISBN 978-4-642-08087-3
- 安達 巌 『日本型食生活の歴史』 新泉社、2004年、ISBN 4-7877-0404-4
- 石毛 直道 『日本の食文化史』 岩波書店、2015年、ISBN 978-4-00-061088-9
関連項目
外部リンク
- 日本型食生活のすすめ 農林水産省
- 日本型食生活 近畿アグリハイテク
- 日本食生活協会