宮川大助・花子
宮川大助・花子 | |
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メンバー |
宮川大助 宮川花子 |
結成年 | 1979年 |
事務所 | よしもとクリエイティブ・エージェンシー |
活動時期 | 1979年 - |
師匠 |
宮川左近(宮川左近ショウ) チャンバラトリオ |
公式サイト |
鳥取県郷土人物文献データベース --みやがわだいすけ |
宮川大助・花子(みやがわだいすけ・はなこ)は、日本の漫才コンビ。所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー。1979年1月結成。
2人は実際に夫婦で、いわゆるしゃべくり漫才を得意とするベテランコンビ(「いつまでもあると思うな愛と金」などの名フレーズでお馴染み)。なんばグランド花月(NGK)の舞台に出演している。奈良県生駒市在住。
メンバー
- 宮川 大助(みやがわ だいすけ、1950年10月3日(73歳) - )
- 本名:松下 孝美(まつした たかみ)
- 鳥取県西伯郡余子村大字竹内(現境港市竹内町)出身
- 血液型:B型
- 身長:179cm、体重:87kg、B:93cm、W:90cm、H:100cm、足のサイズ:27cm
- 実父は大工だったが、仕事を求めて朝鮮半島に移住。満鉄に勤めるも、終戦直前のソ連侵攻の大混乱の中、着の身着のままで郷里に戻った後に生まれたため、極貧の中で育つ。
- 鳥取県立米子工業高等学校電波通信科(現・情報電子科)卒業
- 三菱電機勤務を経て、1972年、師匠・宮川左近(宮川左近ショウ)に入門。漫才ではツッコミを担当。
- 上記の生い立ちもあり、吉本内では池乃めだか、メッセンジャー黒田(メッセンジャー)、田村裕(麒麟)と並んで「物凄い貧乏生活を経験した吉本芸人」と称されることがある。
- 趣味は、オーディオ・DVD鑑賞、山登り。
- 漫才ではかかあ天下であるが、実生活では亭主関白であるとされる。2006年、結婚30周年(真珠婚式)を迎えた。一人娘はさゆみ・ひかりのさゆみ(宮川さゆみ、本名・松下紗弓)。
- 弟子は朝日放送『クイズ!紳助くん』で活躍した沖縄県出身の芸人宮川たま子(マングースたま子→たま→宮川たま子)や宮川隼人がいる。また一門に近い形で「大助・花子ファミリー(通称:DHF)」を結成している。
経歴
- 以前は、大助は宮川小助(松竹芸能所属、現在宮川青丸)と「大助・小助」というコンビを組んで活動していたが、後にコンビは解散し、一時芸人を廃業していた。
- 一方、花子は小さいころからタレントをしていた、のちに真琴の名で誠(現・中田はっさく)と「新鮮組」というコンビを組んで活動していたが、コンビは1年ほどで解散した。
- 1976年結婚、1978年3月長女・さゆみ誕生。
- 1979年、大助が妻であり警察官時代の経験を生かしてガードマンをしていた花子を誘って「宮川大助・花子」を結成。当初は大助がよく喋り、花子がそれに相槌を打つ役割であった。また花子がハイカラさんの衣装で大助が投げたりするどつき漫才もやっていたが生傷が絶えなかったので、周囲の勧めもあって現在の花子がよく喋り、それに対して大助が相槌を打つスタイルに変更して評判になった。その後、上方漫才の賞をいくつも獲得し(後述)、現在の地位を確立した。
- しかし、1988年頃から花子が体調を崩し、活動を一時休業することもあった。後に胃癌であったことが発表された。その頃は実生活でも絶望した花子が荒れるなどして夫婦関係の危機もあったが、病気とともに夫婦の危機も克服。以後は漫才のスタイルも多少変化し、花子が大助を一方的になじるような形から、花子が大助の人柄を観客に自慢するようなオノロケも見られるようになった。後に著書『愛をみつけた 大助・花子のおやオヤ日記』を出版。同書はNHK総合テレビ『ドラマ新銀河』枠内にて『愛をみつけた』の題でドラマ化された。
- 漫才では花子が主導権を握っているが、ネタは全て大助が考え、稽古の主導権も握っている。花子はそれに従うというスタイルである。とはいえ、大助は封建的なまでに亭主関白という訳ではなく、実際の夫婦仲は良い。大助は浮気のスキャンダルが何度となく発覚しているが、公開謝罪会見を行うなどそれすらもネタにする気骨を見せている。大半の夫婦漫才コンビが離縁する中で、「大助・花子」は数少ない現役夫婦コンビとして活動し続けている。
- 2007年2月、大助が軽度の脳出血により入院し、加療をするために休業することが発表された。大助の療養中は、花子が1人で舞台に立っていた。大助が倒れた当初、花子は娘のさゆみに「棺桶をもう一つ用意して」と告げるなど、心中をも覚悟したと後に語っている。大助はその後の同年5月24日にNGKにて復帰した。しかし、復帰後も少し後遺症が残っているため、以前よりも舞台の回数を減らしている。大助の体調を考慮して、花子が1人で舞台に立つこともある。2人の趣味はマラソンで、大助が倒れるまではホノルルマラソンに毎回参加していた。
- 花子は娘のさゆみと弟子のたま子と共に「宮川家の女達」というトリオで活動している。ネタは主にショートコントで、ネタの合間には「ババ、ママ、コドモ」というブリッジを交えている。ちなみに、ネタ作りには大助も関わっている。
- 東日本大震災発生以後、岩手県大船渡市を中心に被災地を頻繁に訪問しており、弟子らを連れて支援活動や公演などを行っている。[2]これがきっかけで、2013年6月10日、「おおふなと復興応援特別大使」に任命された。[3]、また震災をきっかけに「吉本 ナショナルDreams」というマラソンチームを結成した。
受賞歴
- NHK上方漫才コンテスト 優秀努力賞(1979年)
- 上方お笑い大賞 銀賞(現・最優秀新人賞)、金賞、大賞
- 上方漫才大賞 新人賞、奨励賞、大賞
- 花王名人大賞 新人賞、名人賞
- 芸術選奨文部科学大臣賞(2011年)
- 他
出演
テレビ番組
関西ローカルの番組や演芸番組、NHK大阪放送局制作の『NHK朝の連続テレビ小説』にしばしば出演している。
- バラエティー生活笑百科(NHK大阪放送局)
- おしゃれ工房 → すてきにハンドメイド(NHK大阪放送局)
- マイルド欽ドン!(フジテレビ) - 当初は大助のみが出演する予定だったが、特別出演した花子が予想外に好評だったため、結局2人で出演することになった。
- オット危険な嫁姑!(関西テレビ)
- 生活情報クイズ 知って得Q便!(中京テレビ)
- 新・天までとどけ(TBSテレビ) - 大助のみが出演。標準語によるセリフを使っていた。
- 水戸黄門(TBSテレビ) - 大助のみが出演。
- 月曜ミステリー劇場「外科医・零子2」(TBSテレビ)
- NHK朝の連続テレビ小説 ふたりっ子(NHK大阪放送局)
- NHK朝の連続テレビ小説 ほんまもん(NHK大阪放送局)
- 月曜ドラマランド「おさわがせ剣士 赤胴鈴之助」(フジテレビ)
- 旅の香り(テレビ朝日)
- あらびき団(TBSテレビ) - 花子のみが出演。「宮川家の女達」名義で出演している。
- 笑点(日本テレビ)
- DAI♥HANAのもっとぎふ!体感マップ(中京テレビ)
- やりすぎコージー(テレビ東京)- 花子のみ出演。
- オールスター感謝祭(TBSテレビ) - 1991年秋から現在も続くTBS改編期のクイズ特番だが、1990年代後半までは毎回出演していた。
- わが家の歴史(フジテレビ)- 大助のみ出演、池田勇人役
- グッド★コンビネーション(NHK大阪放送局) - 大助のみが出演。
- 宮川大助・花子のハテはてな?(山陰放送) - 2012年10月7日放送開始のローカルミニ番組。
- 大助・花子が行く!未来の世界遺産 北イタリア 絶景モンブランの旅(BS朝日、2015年9月6日)
ラジオ番組
- 大助・花子のいんなぁとりっぷ 心と暮らしの相談室(文化放送)
- 上柳昌彦・宮川花子 ごごばん!(ニッポン放送) - 花子のみ出演、木曜日レギュラー。大助は複数回出演(1度だけ「夫婦共演」で出演)したことがある。また、花子の娘・さゆみや弟子のたま子、吉本の後輩も出演するなど、特に突発的に出演することが多い曜日でもある
- FMシアター「夫婦うどん」(2002年11月30日、NHK-FM、NHK大阪放送局制作)
映画
- 男はつらいよ 寅次郎紅の花 - 阪神・淡路大震災に被災した神戸のパン屋の夫婦役で出演。
ゲーム
CM
- かねこ味噌
- アリコジャパン
関連項目
外部リンク
出典
- ^ “宮川花子さん、元勤務先の署長に“昇進””. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年4月2日). オリジナルの2010年4月5日時点におけるアーカイブ。 2010年4月3日閲覧。
- ^ 東日本大震災:つないだ手と手を離さない 被災地を繰り返し慰問、宮川大助・花子さん /岩手(毎日jp)(2012年5月6日) 2012年6月17日閲覧。
- ^ 大助・花子 大船渡市復興応援特別大使に 任期は「復興する日まで」(Sponichi Annex)(2013年6月11日) 2013年6月11日閲覧。