学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。153.214.173.87 (会話) による 2016年1月28日 (木) 15:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (たーみん (会話) による ID:58397283 の版を取り消し)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

日本の中学校の教室

学校(がっこう、英語: school)は、教育のための建物、または幼児児童生徒学生その他に対して教育が行われる場所のことである。また、そこでことに当たる々のことをいうこともある。

なお、日本の学校教育法は「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする」としている(学校教育法1条)(一条校も参照のこと。)。

学校の語源

「学校」という用語は一説に、王莽の時代に全国に設置した儒学の校舎「学」・「校」が語源とされ、ひいては古代中国の教育機関だった「太学(たいがく)」がその名の由来とされる。日本においては古くから足利学校(栃木県足利市)などの例で「学校」という語は用いられてきたが、明治政府による小学校および師範学校が設立される以前は、寺子屋藩校学問所私塾松下村塾などが有名)などと呼ばれる施設が一般的で、名称に「学校」と付く教育施設は少なかった。

英語 school(スクール)の語源古代ギリシャ語で、scholeスコレー、暇という意味。その暇つぶしの場所から由来し、ラテン語でそれをschola(スコラ)と訳したのが直接の語源になる。)である。 学園、学院などもほぼ同様の意味を持つ。

歴史

メソポタミアでは、紀元前3千年紀には学校が存在した。シュメールでは学校は「エドゥブバ」(粘土版の家)と呼ばれ、役人となるための読み書きや計算を教えた。学校をテーマとした最古の文学作品も書かれ、『学校時代』をはじめ4作品が知られている[1]。古代エジプトやギリシアにも学校は存在し、ギリシアのギュムナシオンでは、肉体鍛練の他に哲学、文学、音楽なども教えられていた。

ヨーロッパでは、中世大学が設立されるようになった。例えば、1088年、イタリアにAlma Mater Studiorum(現在のボローニャ大学)が開設された。フランスのパリ大学は1100年頃にルーツがあるともされ、1215年には教皇インノケンティウス3世によって正式に認められた。1209年にはイングランドでオックスフォード大学が開設された。ヨーロッパ中世に開設された大学の中には現在まで続くものも少なくない。中世の大学の多くで、学生は最初の6年、リベラル・アーツを学んだ。(→大学#中世の大学の特徴

身分社会がなくなると、教育も異なった主体により異なった視点で行われることが多くなった。義務、無償、”中立性”という現在の学校の原則も登場したのは、19世紀ヨーロッパにおけることである。例えば、フランスにおいては、それら原則は、フランス革命期のコンドルセの理念が19世紀末において実現した。

19世紀に誕生し、義務・無償・中立性を基調とする近代学校は、その国の国語、国史、国民道徳の教育をメインにし、その国家の ”国民” を育成する装置として機能した。つまり、国民としての”アイデンティティの形成”が学校に期せられたのである[2]。学校教育の拡大と義務教育制度の普及により、20世紀からは学校の数が飛躍的に増大した。

日本

日本では、平安時代貴族の子供[3]の教育機関として「大学寮」という名称の[4]学校が存在した。また、寺院などを中心に教育研究のための施設が設けられることがあった。

平安時代の教育は、原則として貴族や郡司の子供らを対象にしており、一部の人々にしか門戸を開いていなかったが、空海は、『綜藝種智院式并序』を著し、全学生および教員への給食制を完備し、身分や貧富に関わりなく学ぶことのできる教育施設、あらゆる思想や学芸を総合的に学ぶことのできる教育施設を設立することを提唱した。その運営を実現するため、天皇、諸侯、仏教諸宗の高僧ら、および一般の人々などに協力を呼びかけた。そして、東寺の東にあった藤原三守の私邸を譲り受け、828年に「綜芸種智院」を開設した、とされる。綜芸種智院は庶民にも教育の門戸を開いた点で画期的な学校であったとされる。

江戸時代には「寺子屋」と呼ばれる教育施設が多数存在していた。明治初期に、小学校および師範学校が設立された。そのとき、教科書は江戸時代使われていた往来物と呼ばれる既存の書籍が中心だった[5]

学校年度

運営の年度は日本の場合、4月1日開始(翌年3月31日まで)、韓国では3月開始、オーストラリアでは1月開始だが、アメリカや中国など大半の国々では9月開始(米国の場合はによって異なる)が多い。

脚注

  1. ^ 小林登志子『シュメル 人類最古の文明』中央公論新社〈中公新書〉、2005年。 204頁
  2. ^ ピエール・ノラ『記憶の場』
  3. ^ 教科書などでは一般に「貴族の子弟」と表現されている。子弟とは、簡単に言えば、子供や息子のこと。
  4. ^ 今の「大学」とは別物である。
  5. ^ 明治期の教科書 その1(愛知芸術文化センター 愛知県図書館)

関連項目

教育問題