在日クルド人

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在日クルド人
Kurdên Japonyayê
クルディスタン地域の旗日本の旗
総人口
約2,000人[1]
(推定)
居住地域
川口
言語
クルド語トルコ語日本語
宗教
イスラム教

在日クルド人(ざいにちクルドじん、クルド語: Kurdên Japonyayê)は、日本に一定期間在住するクルド人である。日本に帰化亡命した人、およびその子孫が日本に居住している。

概要

日本クルド文化協会によると難民などで、構成される在日クルド人の数はおよそ2000人とされる[2]。特に埼玉県蕨市川口市を中心とした埼玉県南部には、1990年代トルコ政府の迫害を恐れたクルド人たちが友人を頼って来日し、トルコ国籍のクルド人の難民約1300人が集住している[3]。蕨市周辺はワラビスタン[4][5]とも呼ばれている。

背景として、川口市は鋳物産業が盛えた工業の街で、中堅・中小企業が集積しているため外国人労働者に寛容だったようである。日本政府による難民認定を申請しているものの、後述の理由もあり実際に認められるのは稀である。日本人と婚姻して滞在許可を得るケースもあるが、難民申請者や在留特別許可による滞在が大多数を占めている。

現況

在日クルド人はトルコ国籍が大半を占めるが、イラン国籍のクルド人も少なくなく、さらにISILの支配によるイラクやシリア情勢の緊迫化などに関連して、イラクシリア国籍のクルド人なども出現した。そのような背景から、近年、来日するクルド人は増加し、一説には在日クルド人の総数は埼玉県内だけでも1,300人以上と推定されているが正確な統計は無い。日本とトルコの間には相互ビザ免除制度が適応されているために、観光ビザで入国しビザの期限が過ぎても滞在し難民申請を行うケースが多い。2015年(平成27年)のトルコ国籍者の難民申請者数は926人と、全体では3番目に多くなっている[6]。川口市だけでもトルコ国籍者は平成28年には800人を超えており[7]、その大半がクルド人であると推定される。諸外国の中でもとりわけトルコ政府との良好な関係を持つ日本政府はトルコ国籍保持者はトルコ人(2015年末時点の不法滞在者を含まない合法的に滞在登録を行っている在日トルコ人数は4157人)と認定しているため、欧米諸国等でも行っているようなクルド人としての民族認定は行っておらず、日本にクルド民族がどの程度いるのかを把握することは難しい。

また、1990年代に来日した世代の2世も誕生しており、蕨市周辺には日本で生まれ育ったクルド移民2世の若者の姿をよく見かけるようになった。

生活・文化

多くの在日クルド人はクルド語トルコ語を混用して使用し、クルド人男性の大多数は日本語を習得している。日本で生まれ育ったクルド人の子などは3か国語を話す。在日クルド人はトルコ国内では制限されているクルド人の文化を自由に表現し、トルコでは政治的な側面から禁止されている"Runi"や"Rohat"という名前を子供に付ける人も多い。また、ネブロスと呼ばれるクルドの新年を祝う祭りなどを蕨市内の公園で盛大に祝う[8]、など、彼らはクルド文化を紹介するイベントを開催し、周辺住民と積極的に交流している。また、クルド人はもともと宗教的な民族ではなく世俗主義的であるため、イスラム主義とは距離を置いている人が多く、祈りをしない人も珍しくない。

クルド人は建設業や飲食業で働く人が少なくない。不法就労するものも少なくないが、日本人との婚姻等で永住権を取得するなどして合法的な就労ビザを取得した人の中には起業する人もおり、日本国内にはクルド人が設立した会社がおよそ20社ほどあるとされる。

クルド人が日本で定住を始めてから長い年月が経ち、生まれも育ちも日本というクルド人も生まれている。しかし、就労許可が無いために大学を卒業しても就労できない者が出るという問題も起きている[9]

トルコ政府との対立

2015年6月のトルコ総選挙でクルド人政党の国民民主主義党(HDP)が躍進して以降、トルコ政府がクルディスタン労働者党(PKK)を武装集団叛徒としてクルド人地域への空爆を行って多数の死者が出るなどトルコ政府とクルド人との対立は激化した。そのような中、2015年10月25日には11月1日に再び行われる総選挙の海外在外事前投票を行っていた在日トルコ大使館前でトルコ政府を支持する在日トルコ人とそれに反対する在日クルド人が乱闘となるなど、日本社会においても対立が表面化した[10]

この事件について、2015年10月28日、在日クルド人団体の日本クルド文化協会は、騒動について謝罪し、トルコ人たちと対立する意思はない事を表明した。なお、この事件の原因は、クルド人とトルコ人双方が政党や武装組織の旗を掲げたことが原因とされるが、日本クルド文化協会は旗について否定した[11]

日本政府の対応

トルコのクルド人に対しては、日本政府は一貫して“親日”のトルコ政府側に立つ。そのため、トルコのクルド人による難民認定の申請に対して、日本政府は難民と認めていない(難民認定は国内に政治的迫害が存在することを認める事であり、現在の良好な関係を損ねる原因になるため)。ただし、日本とトルコには、最大90日間の査証免除協定があるため、難民認定を目的とした渡日が心配されている。これに関して、警視庁公安部は、2006年11月から2007年4月にかけて、埼玉県に居住していたトルコ国籍クルド人8人を入管難民法違反容疑で逮捕した。2007年6月27日、公安部の調べでは、8人のうち数人はクルディスタン労働者党の支援者であると認めており、彼らがテロ活動の支援をしていた可能性があると見ているが、十分な証拠が見つからなかったため、全員の身柄を入管に引き渡した。彼らのうち数人はすでに強制退去となっている。

2004年、クルド人の難民申請者の親子アフメット・カザンキランとラマザン・カザンキランが入国したが、不法入国としてトルコに強制送還された。彼らは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民認定した難民であるが、日本側は日本の東京高等裁判所が「迫害はなかった」とする判決を出したことと、イギリスが2人の難民申請を却下したことを根拠として、難民として認定しなかった。2006年1月、彼らの家族はニュージーランドに難民申請を行って認められ同国に移住したが、息子のラマザンは兵役のためトルコに残った。2007年3月13日、出国可能となったラマザンはニュージーランドに出国し、家族と再会することができた。これは、『バックドロップ・クルディスタン』と言うドキュメンタリー映画となっている。

2005年2月7日、東京入国管理局はトルコ国籍のクルド人を収容した。彼は、カザンキラン一家と同様、国連難民高等弁務官事務所から難民と認定されているが、東京入国管理局では難民と認定せず強制退去の処分を下した。これに対し、処分の取り消しを求める訴訟を起こし、上告中であったが、仮放免中には月に1回の出頭が義務づけられているため、東京入管に出頭し、そのまま収容された。

また、エルダル・ドーガン一家は1999年に来日し難民認定を求めたが、難民と認定されず強制退去の処分を下された。これに対し、処分の取り消しを求める訴訟を起こしたが、2006年に敗訴した。2007年5月、カナダ政府により難民申請が受け入れられ、2007年7月10日、エルダル・ドーガン一家はカナダに出国した。

関連する書籍

  • 日本で生きるクルド人(鴇沢 哲雄 著、2019、ぶなのもり)
  • クルドの夢 ペルーの家 ー 日本に暮らす難民・移民と入管制度 (論創ノンフィクション 011)(乾 英理子 著、2021、論創社)
  • やさしい猫(中島 京子 著、2021、中央公論新社)

脚注

  1. ^ なぜ埼玉県南部にクルド人が集まるのか?”. 日経ビジネス (2016年4月21日). 2016年4月21日閲覧。
  2. ^ http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/221102/042000211/?P=2&nextArw
  3. ^ 華やかな衣装で民族舞踊 クルド人1000人参加、蕨で新年祝う祭り”. 埼玉新聞 (2016年3月21日). 2016年3月21日閲覧。
  4. ^ ワラビスタン~日本のクルド人朝日新聞、2004年12月15日
  5. ^ 「ワラビスタン」第二の故郷 クルド人ら埼玉で共生日本経済新聞 2013年9月8日
  6. ^ 法務省入国管理局 (2016年3月26日). “平成27年における難民認定者数等について”. http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri03_00112.html 2016年4月20日閲覧。 
  7. ^ 川口市 (2014年2月3日). “川口市統計書 第2章 人口 9表 国籍別・外国人住民数”. http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/04013058/04013058.html#t02 2016年4月5日閲覧。 
  8. ^ クルド人民族衣装華やかに「新年祭」 黙とうも 埼玉”. 毎日新聞 (2016年3月21日). 2016年3月21日閲覧。
  9. ^ ワラビスタンの18歳、大学に受かっても…就労に高い壁”. 朝日新聞 (2016年3月21日). 2016年3月22日閲覧。
  10. ^ 東京の大使館前でトルコ人乱闘 数百人、在外投票で対立”. 朝日新聞 (2015年10月25日). 2015年10月25日閲覧。
  11. ^ クルド人団体が釈明”. 毎日新聞 (2015年10月29日). 2016年1月16日閲覧。

関連項目

外部リンク