京唄子

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京 唄子きょう うたこ、本名:鵜島ウタ子、1927年7月12日 - )は、日本女優漫才師。所属事務所さち子プロ京都府京都市出身。

来歴・人物

1945年宮城千賀子の劇団「なでしこ劇団」に入り、京町唄子の名で舞台女優となる。後、不二洋子瀬川信子などの一座を転々とする。俳優の浪花五郎と結婚するが5年で離婚。その後、1956年鳳啓助とコンビ「唄子・啓助」を結成して漫才を始める。後、鳳と結婚するが1965年に離婚。3度目の結婚は三田マサル(啓助の実の弟・志織満助の元相方)。現在の夫は4人目の結婚相手である。

1970年には唄啓劇団を旗揚げ、1980年代前半には一時、吉本興業と提携していたが、1987年、当時の所属事務所倒産に伴い解散。同年、京唄子劇団を設立。1997年、国際芸術文化賞を受賞した。

現在では、TBSテレビドラマ渡る世間は鬼ばかり』で、岡倉家の五女・長子の姑本間(神林)常子役として知られる。

刑務所への慰問活動も積極的に行っている。

トレードマークは大きな口で、漫才のネタとしてよくいじられていた。大きな帽子を被ることが多く、その印象から未だにミヤコ蝶々に間違えられることがある。

大相撲の大阪場所を度々観に来ており、よくテレビに映っている。

2008年3月20日上方演芸資料館が選出する「上方演芸の殿堂入り」入り表彰を「唄子・啓助」で受けた[1]。これに対して唄子は「表彰は身に余る光栄。亡くなった啓助さんも喜んではると思います」と語った。

上沼恵美子とは親交が深く、大阪や東京での番組出演が多くなり、神戸のサンテレビで自らがメイン司会を務めていた『ズバリ!悩みおまかせ』の出演が時間的に厳しくなった為、信頼を寄せる京唄子に後継番組として『京唄子の何でも言うて!』として司会をバトンタッチしたのも上沼であった。『快傑えみちゃんねる』にも上沼と馬が合うからかたびたびゲストとして出演している。

2009年4月28日、車椅子姿で記者会見を開き、同年5月の松竹座公演降板と腰椎圧迫骨折及び腰椎変性すべり症を患っており、その治療のため一切の芸能活動の休止を発表。「芸能生活64年、まさか自分がこんなことになるとは思ってもみなかった」とうなだれた。精神面でのショックも大きく胃に複数の潰瘍も患っていることなども明かし「何としてでも直して、また舞台へ立ちたい」と涙ながらに語った。

約1年半の病気治療と及びリハビリを経て、2010年10月14日放送のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で復帰を果たした。病気は完治したものの、長い車椅子生活の結果、体力が低下し特に足の筋肉が衰えていることなどから、番組内でも、杖をついての移動や、椅子に座ってしゃべるシーンなどが目立っている。また、表情も以前に比べて張りがなくなり、体力の低下が深刻であることがうかがえる。それでも、それらを逆手にとって演出に取り入れ、「人を老人扱いしないでもらいたい(第七話冒頭、小料理屋から立ち去るシーンより)」など、なお元気な姿をテレビを通して見せている。リハビリは継続中であり、当面は長年レギュラー出演している当番組に専念するという。

主な出演

テレビドラマ

バラエティ番組

他多数

映画

ラジオ

著書

  • 花も嵐も踏みこえて
  • 人生は回り舞台

脚注

関連項目