上瀬谷通信施設
上瀬谷通信施設(かみせやつうしんしせつ)は神奈川県横浜市旭区上川井町と瀬谷区北町・瀬谷町に所在していた在日アメリカ海軍基地(面積:2,422,396m2)。旧日本海軍の基地を第二次世界大戦後に接収し、運用していたもので、2015年6月30日に施設を含めた土地全体が日本へ返還された[1][2][3]。
接収と囲障区域外の利用許可
[編集]旧日本海軍の倉庫施設として使用されていたものが、太平洋戦争の終戦により米軍に接収され通信基地となった。いったん接収解除されるも1951年に再接収された。返還時には部隊は常駐しておらず、在日米海軍厚木航空施設司令部の管理下となっていた。
事務所等の囲障区域(フェンス等で囲まれた内側)は立入禁止区域となっていたが、囲障区域外は農耕や野球場等の使用が認められているほか環状4号線(通称「海軍道路」)が通過しており一般の通行が認められていた。また、海軍道路沿いに桜が多く植えられていることからお花見スポットとしても知られており、毎年4月の第1週目の土曜日には施設内の海軍広場で「日米親善桜祭り」が開催されていた。
瀬谷区の15%近くの面積を占めていたことや本施設が海外からの微弱電波を受信する目的だったことから、同区の北半分は米軍から「電波障害防止地域」に指定されており、1995年3月まで建物の高さ規制などが課されていたことから瀬谷区の開発は遅れることとなった[4]。
基地概要
[編集]- 市町村別面積比率:国有地 45.2%、市有地9.4%、民有地45.4%
- 管理部隊:厚木航空施設司令部
- 施設番号:FAC 3096
当施設は、アメリカ国家安全保障局(NSA)の電波受信の施設であったが、返還時は電波受信施設として使用されていなかった[注 1]。周辺に設定されていた「電波障害防止地域」も1995年4月1日に解除されている。なお電波送信は横浜市泉区の深谷通信所で行われていた。
かつては海軍保安群司令部(NSGC)隷下の海軍保安群上瀬谷(NSGA Kamiseya)が中心となり、NSAの指揮下で電波傍受・暗号解読・分析・通信保全などが行われていたが、1973年(昭和48年)に大部分が三沢飛行場(青森県)の姉沼通信所(通称・セキュリティ・ヒル)に移駐した(海軍保安群三沢/NSGA Misawaとして活動)。残った部隊は海軍保安群上瀬谷分遣隊(NSG Det. Kamiseya)となり、那覇海軍航空施設(NAF Naha、沖縄県)から移駐してきた第7艦隊(7FLT)隷下の第72、第57タスクフォース(CTF72, CTF57)や第1哨戒偵察航空団司令部(CPRW-1)とともに引き続き施設を運用。1980年代にはさらに艦隊海洋監視情報施設(FOSIF)や統合情報司令部太平洋分遣隊(JICPACDET)といった重要組織も配置されていたが、冷戦終結で大部分が他の施設へ移駐し、1995年(平成7年)には海軍通信施設(NAVCOMMFAC)に所属する「海軍無線受信施設上瀬谷(NRRF Kamiseya)」としての運用から、厚木航空施設司令部の管理する「海軍支援施設上瀬谷(NSF Kamiseya)」へと変わった。2003年(平成15年)には第1哨戒偵察航空団司令部の三沢飛行場移駐が発表され、施設警備を担当していた海兵隊(Marine Barracks Det. Kamiseya)も撤退。2015年6月の返還時には無人となっていた[5]。
なお、米軍に接収されたあと、当時相模鉄道瀬谷駅から当施設への引込線(現在の海軍道路)脇には平和への祈りを込めてソメイヨシノが植えられた。また、海軍道路には昭和40年代くらいまで北門、南門と呼ばれる門柱が残されていた。
沿革
[編集]- 1945年8月:終戦により旧日本海軍横須賀海軍資材集結所であった当所を米軍が接収する。
- 1947年10月16日:接収解除
- 1951年3月15日:米海軍により再接収。
- 1965年9月24日:基地内で火災事故発生。12人が死亡[6]。
- 1977年3月20日:施設内の国有農地が一部耕作者へ売り渡される。
- 1977年4月1日:海軍道路(横浜市主要地方道18号環状4号線)用地が横浜市と米軍による共同使用となる。
- 2003年10月:当施設にあった「司令部」が青森県の三沢飛行場へ移転。
- 2004年10月18日:日米合同委員会で日本への返還の方針が合意された[7]。
- 2015年6月30日:当施設を含めた土地全体が日本へ返還された[1]。
火災事故
[編集]1965年9月24日、敷地内で火災が発生。木造モルタル造りの受信所一棟とカマボコ型兵舎一棟、約1000平方メートルが焼失し、12人の米軍人が死亡した[8]。死者が出た直接の原因は施錠された出口から脱出することが困難だったためで、ほとんどの者は煙に巻かれて死亡した。公式な調査で火災の原因は漏電であったことが判明している。しかし数人の目撃者の証言では、当時設置されたばかりの焼却炉の通気壁が不適切だったことが火災の原因になったと指摘されている。
なお、火災発生時には日本の消防も駆けつけたが、火災が発生したのが米軍基地内のため消火作業を行うことができなかった。
アメリカ国家安全保障局との関係
[編集]上瀬谷通信施設は、アメリカ国家安全保障局(NSA)の歴史を語るうえで欠かせない場所となっている。それは、以下の事件の舞台となったためである。
1960年9月に、上瀬谷通信施設に勤務していた同性愛者のNSA職員2人が、ソ連に亡命をした。当時のアメリカでは同性愛は社会的に認められておらず、迫害を恐れたためであった。その際2人が記者会見を行い、それまでアメリカ政府が公式には認めていなかったNSAの存在を明らかにし、ソ連当局にも告白したため、アメリカ政府はNSAの存在を公式に認めざるを得なくなった。この事件以降、同様の事件を防ぐためにNSA内部では、アメリカの社会に先駆けて、いくつかの条件の下に同性愛者を許容することとなった[9]。
跡地における計画
[編集]国際園芸博覧会
[編集]横浜市では跡地において農地利用の他、2027年の国際園芸博覧会(花博、A1認定)を誘致し[10][11][12]、同年3月〜9月(6か月間)に開催することが決定している[13]。また、花博開催後にはテーマパーク等集客施設の開発(後節参照)や交通インフラの整備なども検討されている。
新交通システムの整備
[編集]横浜市は「国際園芸博覧会(花博)」を2027年に開催した後、テーマパーク等集客施設の開発を行う方針としていて、そのアクセス手段として新交通システム (AGT) 「仮称:上瀬谷ライン」の建設を検討していた[14]。
2020年1月10日付の朝日新聞の記事で、横浜市が相鉄本線・瀬谷駅との間、およそ2〜3kmに新交通システム (AGT) を敷設し、運行主体を横浜シーサイドライン(市の第三セクター)に行わせる構想が報じられた[14]。このアクセス鉄道は横浜環状鉄道(シティループ)の一部ではなく、1993年(平成5年)に横浜市が策定した総合計画「ゆめはま2010プラン」の交通政策の中で郊外部連絡線(シャトルライン)として構想されたものを踏襲しており、前述の記事では同月中に環境アセスメントに入ると報じられている[14]。
さらに、横浜市議会議員・佐藤茂の政策報告によれば、将来的には上瀬谷から北に延伸し、若葉台を経由しJR・東急長津田駅もしくは、JR十日市場駅に至るルートも構想しているといい[15]、これらにより、横浜市西部開発地区の交通網の整備を推進することも見込まれていた[15]。
横浜市は同年1月24日に環境影響評価条例に基づく計画段階配慮書の縦覧を開始した。同配慮書によると新設される公共交通機関は中量軌道輸送システムのうち、新交通システム (AGT) や都市モノレール、LRT(次世代型路面電車)などを比較検討して今後決定するとしていたが同年6月までにはAGT方式に決定、また瀬谷駅から上瀬谷、その先の車両基地(約5ha)まで約2.8kmに2駅(仮称:瀬谷駅および上瀬谷駅)の設置を検討しており、2022年度の事業着手(完成まで5年ほどを見込む)を目指すとしていた[16][17]。しかし、後節のテーマパーク構想が定まらない中で2021年11月には事業参画を要請されていた横浜シーサイドラインが現時点で参画しない意向を示し、同年12月10日、市長の山中竹春が花博までの整備・開業を断念することを表明した[18]。
その後、テーマパーク構想が実現に向けて動き出す中で、代替となる新たな交通として2024年2月、瀬谷駅周辺から上瀬谷付近まで専用の地下トンネルを整備(前述の上瀬谷ラインの計画を踏襲[19])し、隊列走行の連節バス(将来的には自動運転技術の導入も目指す)による輸送システムを導入(供用開始の目標時期は2030年代前半)する計画が横浜市により公表された。連節バス導入については、環状4号線を活用して前述の十日市場駅方面や立場駅方面などにもアクセスさせることで、市西部地域の交通ネットワークの充実も考慮されている[20][21][22]。
テーマパーク構想
[編集]2020年7月、相鉄ホールディングスと民間地権者、横浜市が連携して大型テーマパークを建設する構想が報道された[23]。しかし同年9月には、当初報じられていたアメリカの映画会社との共同運営構想は同年春の時点ですでに白紙となっており、その後は別の会社とテーマパーク運営に関する交渉を進めていることが神奈川新聞により報じられた[24][25](別の複数の事業者と検討を続けていたが、大型テーマパークの構想は暗礁に乗り上げているという報道もある[26])。その後、相鉄はテーマパーク開発を断念し、三菱地所に引き継いで貰う方向で調整に入っていることが2021年5月から6月にかけて複数の報道機関により報じられた[27][28]。
2022年5月には三菱地所と地権者ら(まちづくり協議会)が、アニメやゲーム、動画などの国内コンテンツや国内の最先端技術を取り入れた「次世代型テーマパーク」と自然のエネルギーを感じられる体験や食、宿泊施設といった「自然を生かしたテーマパーク」という二つの方向性を市に提案していることが明らかとなった[29]。また、市では「観光・賑わい地区」におけるテーマパークを核とした土地利用について、実現可能性の確認や条件整理などを目的とした民間事業者へのサウンディング調査(対話)も同年8月に実施している[30][31][32]。
2023年9月14日、横浜市は事業予定者を三菱地所に決定した。三菱地所は「KAMISEYA PARK(仮称)」としてテーマパークや商業施設などを整備する方針としている。国際園芸博覧会「GREEN×EXPO 2027」開催後の2028年頃に基本計画協定の締結と工事着手、2031年頃の開業を目指す[33]。
2024年3月、三菱地所は相鉄ホールディングス、東急、東急不動産、三菱倉庫の5社で企業連合を設立したことを発表した。一度は開発を断念した相鉄であるが、企業連合の1社として再度開発に参加することとなった[34]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ NSAの部隊が撤収していることは、ジェイムズ・バムフォード『すべては傍受されている-米国国家安全保障局の正体』で明らかにされている。
出典
[編集]- ^ a b FAC3096上瀬谷通信施設の全部返還について(防衛省 平成27年 (2015年) 6月30日)
- ^ 神奈川県公式サイト内:県内米軍基地の返還状況について
- ^ 横浜市政策局公式サイト内:旧上瀬谷通信施設
- ^ 三木崇 (2024年3月29日). “横浜・上瀬谷跡地の原状回復に5億円 地位協定基づき日本側が全額負担”. 神奈川新聞. 2024年3月30日閲覧。
- ^ 神奈川県公式サイト内:上瀬谷通信施設〈元ページのarchive.isによる2012年9月15日時点のアーカイブ〉 ※平成24年 (2012年) 4月末時点の従業員数0人
- ^ NSGA KamiSeya, Japan: A tribute to KAMISEYA on the 40th anniversary of the fire that took place on Sept 24, 1965(英語ページ)
- ^ “米軍深谷通信所、6月返還へ 上瀬谷通信施設も来年6月に”. カナロコ (神奈川新聞). (2014年3月25日)
- ^ 「米兵十人が焼死 二人不明 横浜の米通信隊」『日本経済新聞』昭和40年9月24日夕刊.7面
- ^ ジェイムズ・バムフォード『パズル・パレス-超スパイ機関NSAの全貌』
- ^ “旧上瀬谷通信施設における国際園芸博覧会招致検討委員会”. 横浜市政策局. 2018年2月8日閲覧。
- ^ “返還された上瀬谷通信施設で2026年に「花博」が開催されるって本当?”. はまれぽ.com. (2016年8月12日)
- ^ “花博招致、素案策定へ 有識者による検討委員会”. タウンニュース〈瀬谷区版〉. (2017年11月9日)
- ^ 一般社団法人2027年国際園芸博覧会協会
- ^ a b c “横浜の米軍跡地に新交通システム案 相鉄・瀬谷駅と結ぶ”. 朝日新聞デジタル. (2020年1月10日) 2020年1月26日閲覧。
- ^ a b “自民党 横浜市議会議員 佐藤 茂政策リポート 旭区若葉台版” (PDF). 横浜市議会議員 佐藤茂事務所. 2020年1月11日閲覧。
- ^ “米軍跡地へ新交通、2駅整備へ 横浜市、22年事業着手”. 朝日新聞デジタル. (2020年1月26日)
- ^ “相鉄線瀬谷駅―旧米軍施設 新交通システム導入へ”. 日本経済新聞. (2020年6月30日)
- ^ “新交通システム 花博までの開業断念 横浜市長「活用は難しく」”. 朝日新聞デジタル. (2021年12月11日)
- ^ “「上瀬谷ライン」新交通システム復活の可能性は? 新案は連節バスの運行に”. タビリス. (2024年2月21日)
- ^ 本市西部地域における交通ネットワークの構築について(報告) (PDF) (横浜市都市整備局 建築・都市整備・道路委員会 令和6年〈2024年〉2月13日)
- ^ “横浜「上瀬谷ライン」を大幅変更!? さらに壮大な「南北新交通」計画へ鞍替え 瀬谷に“専用トンネル”整備”. 乗りものニュース. (2024年2月16日)
- ^ “横浜市 瀬谷駅〜跡地に連節バス 30年代前半の導入目指す”. タウンニュース〈泉区版〉. (2024年3月7日)
- ^ “横浜にディズニー級テーマパーク構想 米映画会社の名も”. 朝日新聞デジタル. (2020年7月20日) 2020年7月20日閲覧。
- ^ “【上瀬谷の行方(2)】悲願 沿線に残る最後の地”. カナロコ (神奈川新聞). (2020年9月10日)
- ^ “【上瀬谷の行方(4)】1500万人集客の現実味は”. カナロコ (神奈川新聞). (2020年9月12日)
- ^ “横浜のテーマパーク暗礁、集客の核なく進む巨大公共事業”. 朝日新聞デジタル. (2021年4月23日) 2021年4月27日閲覧。
- ^ “米軍跡地の「ディズニー級」テーマパーク、相鉄が断念”. 朝日新聞 (2021年5月27日). 2021年5月27日閲覧。
- ^ “横浜・上瀬谷跡地のテーマパーク 三菱地所が開発検討主体に”. 神奈川新聞 (2021年6月20日). 2021年6月20日閲覧。
- ^ “横浜・上瀬谷テーマパーク 「次世代」「自然」方向性提案”. 神奈川新聞. (2022年5月31日)
- ^ “横浜・上瀬谷テーマパーク開発 市が事業者提案を募集”. 神奈川新聞. (2022年6月24日)
- ^ “旧上瀬谷通信施設の「観光・賑わい地区」における土地利用に向けて民間事業者との「対話」(サウンディング調査)を実施します”. 横浜市都市整備局上瀬谷整備推進部 (2022年6月23日). 2022年8月12日閲覧。
- ^ “「観光・賑わい地区」におけるサウンディング調査について”. 横浜市都市整備局上瀬谷整備推進部 (2022年6月23日). 2022年8月12日閲覧。
- ^ “横浜に大型テーマパーク「KAMISEYA PARK」31年開業へ 旧上瀬谷通信施設”. Impress Watch (2023年9月14日). 2023年9月14日閲覧。
- ^ “横浜・上瀬谷のディズニーランド級のテーマパーク開発、相鉄や東急など5社が企業連合”. 読売新聞 (2024年3月29日). 2024年3月30日閲覧。
参考文献
[編集]- ジェイムズ・バムフォード(瀧澤一郎訳)『パズル・パレス-超スパイ機関NSAの全貌』早川書房、1986年。ISBN 4152033177
- ジェイムズ・バムフォード(瀧澤一郎訳)『すべては傍受されている-米国国家安全保障局の正体』角川書店、2003年。 ISBN 4047914428
関連項目
[編集]- アメリカ軍>在日米軍
- 横浜市内のその他の米軍関連施設
- 相模総合補給廠 - 神奈川県相模原市に所在する在日米陸軍の補給施設、2014年9月に一部敷地が日本へ返還された。
- アメリカ国家安全保障局(NSA)
- 世谷原の戦い
外部リンク
[編集]- 神奈川県公式サイト内:上瀬谷通信施設〈元ページのarchive.isによる2012年9月15日時点のアーカイブ〉
- 横浜市政策局公式サイト内:旧上瀬谷通信施設
- NSGDet/NSGA Kami Seya, Japan
- 跡地に関するページ
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