デビッド・プラット
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マンチェスター・Cコーチ時代(2010年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
デイヴィッド・アンドリュー・プラット David Andrew Platt | |||||
ラテン文字 | David Platt | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1966年6月10日(58歳) | |||||
出身地 | チャダートン | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (OMF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-1982 | チャダートン | |||||
1982-1985 | マンチェスター・U | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1982-1985 | クルー | 134 | (56) | |||
1988-1991 | アストン・ヴィラ | 121 | (50) | |||
1991-1992 | バーリ | 29 | (11) | |||
1992-1993 | ユヴェントス | 16 | (3) | |||
1993-1995 | サンプドリア | 55 | (17) | |||
1995-1998 | アーセナル | 88 | (13) | |||
1999-2001 | ノッティンガム | 5 | (1) | |||
1982-2001 | 通算 | 448 | (151) | |||
代表歴2 | ||||||
1988 | イングランド U-21 | 3 | (0) | |||
1989-1996 | イングランド B | 3 | (0) | |||
1989-1996[1] | イングランド | 62 | (27) | |||
監督歴 | ||||||
1998-1999 | サンプドリア | |||||
1999-2001 | ノッティンガム(選手兼任) | |||||
2001-2004 | イングランド U-21 | |||||
2010-2012 | マンチェスター・C(ファーストチームコーチ) | |||||
2012-2013 | マンチェスター・C(共同アシスタントコーチ) | |||||
2015 | プネー・C | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年4月16日現在。 2. 2017年4月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
デイヴィッド・アンドリュー・プラット(David Andrew Platt, 1966年6月10日 - )は、イングランド・グレーター・マンチェスター州チャダートン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。イングランド代表では1993年から1996年にかけてキャプテンを務め、得点力の高いオフェンシブハーフとして活躍した[2]。キャリア初期はFW[2]。
クラブ経歴
[編集]マンチェスター・Uのユースチームで育つが、当時トップチームの監督であったロン・アトキンソンがトップでプレーするレベルにないと判断したたため、4部のクルーに放出される[2]。FWとしてクルーで得点を量産し、1988年に当時2部のアストン・ヴィラFCへとステップアップ移籍を果たした[2]。チームは1シーズンで1部に昇格、1989-90シーズンには、19得点を挙げ、PFA年間最優秀選手賞とPFA年間ベストイレブンに選出され、代表チームからも召集を受けるようになった[2]。
1991-92シーズン、セリエAのASバーリに移籍、チームはこのシーズン、ズボニミール・ボバン、ロベルト・ヤルニも獲得したが、最終的に15位と振るわなかった[2]。個人としては、29試合11ゴールを挙げる活躍により、1992-93シーズンからはユヴェントスFCに移籍するも、外国人枠の問題で出場は限られた。またチームはUEFAカップ優勝を果たすが、決勝では2戦とも起用されなかった[2]。
1993-94シーズンからはUCサンプドリアに移籍、ロベルト・マンチーニ、ルート・フリットのツートップの後方でプレーすると、真価を発揮しチームを牽引[2]。2シーズンでリーグ戦55試合17ゴールを挙げる活躍をした。1993-94シーズンのリーグ戦では、開幕のナポリ戦でいきなり移籍後初得点を決めた[2]。優勝は逃したが、ACミランと終盤まで優勝争いを繰り広げ、リーグ3位に入った[2]。コッパ・イタリアでは準決勝パルマとの第1戦でバイシクルシュートで得点を決めるなどの活躍で決勝進出に貢献、決勝でアンコーナを破って優勝した[2]。このシーズンの公式戦では39試合で11得点、翌1994-95シーズンの公式戦通算では33試合で10得点を決めた[2]。
その後、アーセナルFCに移籍、エマニュエル・プティの加入後、先発出場は限られたが、1997-98シーズンにはプレミアリーグ優勝とFAカップの2冠獲得に貢献した。翌シーズンはノッティンガム・フォレストFCに移籍、選手兼監督としてプレーしたが[3]、怪我のため、殆どプレー出来ないまま引退した。
代表経歴
[編集]1989年11月15日のイタリアとの親善試合で代表デビューを果たした[2]。1990 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、延長後半終了直前にFKからのロングボールを振り向きざまにボレーシュートで決め[3]、準々決勝のカメルーン戦でも1得点、3位決定戦のイタリア戦でも1得点と、大会合計3得点を決めた[2]。
1992年のユーロでもレギュラーとして3試合でプレー、グループリーグ最終節のスウェーデンとの対戦で1得点を決めたが、チームはグループリーグを勝ち上がれなかった。1994年のワールドカップ予選では、1993年2月17に対戦してサンマリノ戦で4ゴールを決めるなど、予選通算7得点を決めたが、本大会への出場を逃した。1996年のユーロでは4試合に出場した[4]。
指導者
[編集]2010-11シーズンより、ロベルト・マンチーニ率いるマンチェスター・シティFCのコーチングスタッフとして入閣[5]。2012-13シーズンからはアシスタントコーチを務めたが、マンチーニ解任後の2013年5月14日に自身もエティハド・スタジアムを去った[6]。2015年5月27日、ISLに所属するFCプネー・シティの監督に就任することが発表された[7]。
個人成績
[編集]クラブでの成績
[編集]クラブ | リーグ | カップ | リーグカップ | 協会 | 合計 | |||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
イングランド | リーグ | FAカップ | リーグカップ | UEFA | 合計 | |||||||
1984–85 | クルー | フォース・ディヴィジョン | 22 | 5 | ||||||||
1985–86 | 43 | 9 | ||||||||||
1986–87 | 43 | 22 | ||||||||||
1987–88 | 26 | 19 | ||||||||||
1987–88 | アストン・ヴィラ | セカンド・ディヴィジョン | 11 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 11 | 5 |
1988–89 | ファースト・ディヴィジョン | 38 | 7 | 2 | 1 | 5 | 6 | - | - | 45 | 14 | |
1989–90 | 37 | 19 | 5 | 1 | 4 | 1 | - | - | 46 | 21 | ||
1990–91 | 35 | 19 | 2 | 0 | 5 | 3 | 4 | 2 | 46 | 24 | ||
イタリア | リーグ | コッパ・イタリア | リーグカップ | UEFA | 合計 | |||||||
1991–92 | バーリ | セリエA | 29 | 11 | ||||||||
1992–93 | ユヴェントス | 16 | 3 | |||||||||
1993–94 | サンプドリア | 29 | 9 | |||||||||
1994–95 | 26 | 8 | ||||||||||
イングランド | リーグ | FAカップ | リーグカップ | UEFA | 合計 | |||||||
1995–96 | アーセナル | プレミアリーグ | 29 | 6 | 1 | 0 | 2 | 0 | – | 32 | 6 | |
1996–97 | 28 | 4 | 1 | 0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 34 | 5 | ||
1997–98 | 31 | 3 | 4 | 0 | 4 | 1 | 2 | 0 | 41 | 4 | ||
1999–00 | ノッティンガム | ファースト・ディヴィジョン | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | – | 3 | 0 | |
2000–01 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | – | 4 | 1 | |||
合計 | イングランド | 348 | 119 | |||||||||
イタリア | 100 | 31 | ||||||||||
通算 | 448 | 150 |
代表での成績
[編集]- 出典[1]
イングランド代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1989 | 2 | 0 |
1990 | 12 | 4 |
1991 | 11 | 3 |
1992 | 10 | 5 |
1993 | 10 | 8 |
1994 | 5 | 4 |
1995 | 5 | 2 |
1996 | 7 | 1 |
通算 | 62 | 27 |
タイトル
[編集]- クルー
- ミルクカップ : 1987
- ユヴェントス
- サンプドリア
- コッパ・イタリア : 1993-94
- アーセナル
脚注
[編集]- ^ a b “David Andrew Platt - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “David Platt: le notti magiche di Italia '90 con l'Inghilterra e la Serie A con Bari, Juventus e Sampdoria”. GOAL (2022年5月7日). 2023年8月8日閲覧。
- ^ a b “Happy birthday to you!”. FIFA.com (2011年6月5日). 2017年12月17日閲覧。
- ^ “DAVID PLATT NATIONALTEAM”. TRANSFERMARKT. 2023年8月8日閲覧。
- ^ “Manchester City appoint David Platt as first-team coach”. BBC Sport (2010年7月1日). 2017年4月16日閲覧。
- ^ “David Platt leaves Manchester City assistant manager role”. BBC Sport (2013年5月14日). 2017年4月16日閲覧。
- ^ “Platt in the City”. Pune Mirror (2015年5月27日). 2017年4月16日閲覧。
外部リンク
[編集]- デビッド・プラット - National-Football-Teams.com
- デビッド・プラット - Soccerbase.comによる選手データ
- デビッド・プラット - Soccerbase.comによる監督データ
- デビッド・プラット - FootballDatabase.eu
- デビッド・プラット - WorldFootball.net
- デビッド・プラット - Transfermarkt.comによる選手データ
- デビッド・プラット - Transfermarkt.comによる指導者データ
- デビッド・プラット - FIFA主催大会成績
- デビッド・プラット - UEFA
- デビッド・プラット - TheFinalBall.com