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ダブルスピーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ダブルスピーク(英:Doublespeak、二重語法)とは、受け手の印象を変えるために言葉を言いかえる修辞技法。一つの言葉で矛盾した二つの意味を同時に言い表す表現方法であり、しばしばコミュニケーションや相互理解の断絶に陥る結果につながる。政府企業政治団体などに関連付けられることが多く、その政策や話法などを批判的に言及する際に「ダブルスピーク」という言葉が使われる。

ダブルスピークは婉曲法の形態をとることがあるほか(例:事業縮小・ダウンサイジングリストラは、もっぱら大規模解雇を置き換える意味で使用される)、わざと意味のあいまいな用語を用いることもある(例:KGBなどによる用語「ウェット・ワーク」は、暗殺を意味する)。ダブルスピークは政府や軍などにより政治的意図から故意に使用されるという点で、他の婉曲話法とは区別して使われている。

語源

ダブルスピークという用語は1950年代英語の中に登場したが、これはジョージ・オーウェルの小説『1984年』に由来する。この小説は全体主義ディストピアを描いており、中でダブルスピークという言葉そのものは出て来ないが、ダブルシンクニュースピーク、オールドスピーク、ダックスピークといった造語が登場しており、これらの意味的または発音的に類似した作中用語から、やがてダブルスピークという新語が作られた[1]

ダブルスピークの概念は、特に作中で現れる架空の簡略英語「ニュースピーク」における「B群語彙」に影響を受けている。これは作中で政府が世論や話者の意識を政治的に操作・誘導することを意図して作成した語彙群である。例えば、作中の党スローガン「戦争は平和である」や、以下のような作中の省庁名がその典型であり、こうした造語法が「ダブルスピーク」の概念のもととなった。

  • 平和省:軍事をつかさどり、永久に戦争を続けるための政府機関
  • 真理省:国民に対するプロパガンダを行い、歴史や記録を改竄する政府機関
  • 豊富省:徹底した統制経済と労働管理により国民から搾取し戦時経済を維持するための政府機関

ダブルスピークの用例

実際の政府や企業なども、不愉快な事実を伝えるためにしばしば婉曲的な言い回し・事実とは逆の用語の使用・あいまいな言葉の使用などを行っており、これらは事実を隠し国民の認識を操作するためのダブルスピークであるともみなすことができる。また、マスコミが人を傷つけないように使い出し、官僚組織も後から使い始めるような政治的に正しい言い換え語も、語彙使用者の認識を操作するダブルスピークの一例といえる。

政府

政府機関や官僚によるダブルスピークは、ネガティブな事象を表現したりネガティブな側面のある政策を実施する際に特に多い。人々の反発を回避するために、負担増を招く政策や法律は負担増を意識させない名前がつけられる。戦争を行う場合も多くのダブルスピークが使われる。アメリカのアフガニスタン侵攻作戦には「無限の正義」「不朽の自由」という名がつけられて戦争目的の崇高化が図られ、テロを口実に国民に対する強大な捜査権限を認めさせた「テロリズムを摘発し阻止するため適切な手段を提供し、アメリカを団結させ強化する法律」を「愛国者法」と呼び、アメリカ・イギリスによる中東や南米でのさまざまな軍事作戦や出費や犠牲は、「テロとの戦い(対テロ戦争)」「麻薬との戦い」「抑圧からの解放」(これはグリーンベレーの標語でもある)などの名で国民や世界に是認されようと意図されている。日本でも盗聴許可法が「通信傍受法」として通用している、日本経団連ホワイトカラーエグゼンプションを「家庭団らん法」と呼ぼうとしているなどの例がある。

ダブルスピークは第二次世界大戦前、ナチス・ドイツソビエト連邦などでも広く使われていた。ヨーゼフ・ゲッベルスやドイツ宣伝省は数多くの新語や婉曲語を世に送り出した。「Heim ins Reich」(ドイツ国への回帰)はオーストリア併合のことであった。「ユダヤ人問題の最終的解決」はホロコーストに至ることとなった。またプロパガンダを通じ、Volk(人民、大衆)やRasse(民族)といった言葉に新たな意味を付与していった。日本においても、「大東亜共栄圏」「五族協和」「八紘一宇」といった麗しい字面の言葉が大陸進出時には用いられており、第二次大戦末期にはたとえば撤退を「転進」、全滅を「玉砕」、避難を「疎開」、被撃墜を「自爆」と言い換えて、前線の縮小や劣勢という事実に対する国民の印象を変えようとする努力がなされた。疎開は本来は前向きな意味をもつ語であったが、「避難」のダブルスピークとして濫用され今日では意味が変化した。戦後も敗戦が「終戦」と言い換えられている。アメリカにおける日系人の強制収容の例では、強制収容所をRelocation Centers(転住センター)と言い換えていた。

冷戦下の各国では、反共団体が「自由」、逆に共産主義勢力が「平和」という用語を多用した。

軍事

民主主義国家の軍事用語には、政権支持基盤としての大衆世論を意識したダブルスピークが多く見られる。まずは軍需軍事を「国防」「防衛」と呼ぶのが典型で、また国家が軍隊を保有するのは飽くまで“国益と祖国防衛”のためであり、どこの国であろうと“侵攻・併合・示威”を目的にしたりはしない。

英語

  • 「敵を“無力化”(incapacitating)する」
    • 語義としては敵の戦闘能力を奪うこと。敵を殺傷するという血生臭い行為への婉曲表現として多用される。
  • 「コラテラル・ダメージ(Collateral Damage:副次的被害)」
    • 政治的に止むを得ない被害、の語調であるが、直截には戦争やテロで発生する“巻き添え被害”の意味である。
  • 「フレンドリー・ファイアー(Friendly Fire)」
    • 自軍による“誤射”(Accidental firing)
  • 心的外傷後ストレス障害(PTSD)」
    • ベトナム戦争時に戦争神経症(砲弾神経症、シェルショック、Shellshock)について発表する際に広く使われるようになった。

日本語

警察予備隊(のち保安隊を経て陸上自衛隊)は当初“軍隊ではない、強力な警察部隊である”という建前であった。兵卒を“警”の字を入れた「警士」と呼んだり戦車を「特車」等と呼んでいた。

現在でも戦闘爆撃機を“支援戦闘機”、軍艦を“自衛艦”、偵察衛星を“情報収集衛星”と呼んだりしている。また士官は"幹部自衛官"、は""と表記、階級には大・中・小・准の字は入れず数字にし(ちなみに准尉・准将は設定されていない)、他国では軍曹などに相当する階級も陸曹、空曹、海曹と表記している。自衛隊が想定する戦争日本国憲法第9条に基づき“自衛戦争以外を行なう事はあり得ない”ため「武力攻撃事態」とされる。

企業

企業もダブルスピークを活用して企業や商品の印象や社員の士気を損ねまいとする。 盗難保険・火災保険・失業保険などの例に倣えば「死亡保険」「病気保険」と呼ばれるべき保険が、生命保険・健康保険と正反対の語で呼ばれる。 日本で鉄道が開業した当初は客車を上等・中等・下等の3種類に分けていたが、乗客の気分を害さない様に呼び名をそれぞれ一等車二等車三等車へ変更している。客船と旅客機の客室の区分はそれぞれファーストクラスビジネスクラスエコノミークラスと呼ばれ、等級の差が言葉上ごまかされている。 アメリカ企業などでは「レイオフ」「ダウンサイジング(事業のスリム化)」「リストラクチャリング(事業再構築)」「ヘッドカウント・アジャストメント(人員数の適正化)」といった語彙のもとに社員の整理解雇や事業からの撤退を行ってきた。1990年代に人気を博した新聞コミック『ディルバート』は、ROEの最大化など数字目標達成の圧力にさらされたアメリカ企業で、上司の思いつき同然の事業再構築に振り回される社員を突き放して描き、企業の官僚組織化を皮肉ったが、ビジネス用語や会計用語を乱用したダブルスピーク同然の新政策や理解不能な社内新用語がしばしばネタにされた。製品の苦情に対しても、しばしば「仕様(非対応)」などの用語が欠陥や設計ミスを認めない意味で使用される。

身近な例では「監視カメラ」を「防犯カメラ」と呼んだり、子供向け雑誌上での「通信販売」が「応募者全員サービス」という呼び名で実施される事が有る。

マスコミ

差別に使われる語彙に関して、日本でも諸外国同様1960年代1970年代に人権団体など多くの団体により抗議が相次いだ。これに対しポリティカル・コレクトネスに配慮した用語がアメリカなどで広く使用されることがあった。また、日本ではこれに対し、マスコミの側で市民団体の抗議などを想定して事前に表現の自主規制を行い多くの言葉の使用を自主規制している。こうした規制や言い換え、婉曲話法は差別される側が望まない場合もあるが、マスコミの一律規制や事なかれ主義の官僚的な態度、そういった言い換え語を同様に政府も使用すること、言い換え語を通じて人々の認識を操作しようとすることなどはダブルスピークといえる部分もある。

報道時の言い換えとしては鉄道自殺(飛び込み)が「人身事故」、「強姦」が「暴行」に変えられる例が頻繁に見られる。

個人

主に後ろ暗い行為についての言い換えが多い。「いじめ」を「からかい」、「窃盗」を「万引き」、「路上強盗」を「喝上げ」、「売春」を「援助交際」と称したり、「引き篭もり」を「自宅警備員」と冗談半分に形容する事が有る。

脚注

  1. ^ SourceWatch (2009-08-31), Doublespeak - SourceWatch, SourceWatch, http://www.sourcewatch.org/index.php?title=Doublespeak 2011年7月27日閲覧。 

関連項目

外部リンク