ジャーマン・スープレックス

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ジャーマン・スープレックスGerman suplex)は、プロレス投げ技固め技の名称である。

技のかけ方

ジャーマン・スープレックスを仕掛けるクリス・ベノワ(レッスルマニア23)

後方から相手の腰に腕を回しクラッチしたまま、後方に反り投げ、ブリッジをしたまま相手のクラッチを離さずそのまま固めてフォールする。

ブリッジの際に、かかとを上げて爪先立ちになる者とベタ足の者が存在する。かかとを上げるのはフォール時にブリッジによる相手の首の圧迫を狙ったもの(落差ではなく、投げる角度に関係する)。その分ベタ足よりブリッジとしての安定感は減少する。

和名では、(ホールドした場合は)「原爆固め」。投げ捨てた場合は「原爆投げ」と呼ばれる。また、その形から「人間橋」という別名も付けられている。

創始者と名手

元々レスリングスープレックス(相手背後からの後ろ反り投げ)と呼ばれたものを、レスリング出身のカール・ゴッチがプロレスに取り入れたことが始まり。日本で初公開されたのは1961年4月(公開練習において)。モンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)もこの技で仕留めた実績を持つ(ちなみに当時のアンドレの体重は約180kgであり、アンドレ相手に成功させたのは、ゴッチただ一人である)。

ヒロ・マツダはゴッチから直々に伝授され、名手として知られた。

ゴッチが新日本プロレスに協力した関係で、この技は主に新日本出身レスラーに引き継がれていくことになる。アントニオ猪木をはじめとして、藤波辰爾(後にドラゴン・スープレックスを考案)、初代タイガーマスク(後にタイガー・スープレックスを考案)、前田日明山崎一夫ヒロ斎藤などが使い手となり、前座の荒川真でさえ得意技にしていた。

全日本プロレスにおいても、ジャンボ鶴田が修行を終えて帰国した直後、ジャーマンを使い始めたのがきっかけとなり使い手が増え始める。鶴田のジャーマンは上背を活かした本当に円を描くかの如き見事なブリッジを誇ったが、バックドロップをフィニッシュにするようになって以降は封印してしまった。理由は「威力がありすぎる上に調節が難しい」「はげるから」等諸説ある。師匠のジャイアント馬場もできたが、同じように「俺が使うとシャレにならん」という理由で自ら封印した、という話もある。膝を悪くするまでは大仁田厚も使っていた。越中詩郎三沢光晴も使い手である。その後三沢、川田らによる投げっぱなし式を使った攻防が過熱し、四天王プロレスと言われる独自のスタイルを確立していく。

国際プロレスでも、回数は少ないが、サンダー杉山グレート草津が使ったことがある。

外国人レスラーでは、ボブ・バックランドゲーリー・オブライト、危険な「投げっぱなし式」の元祖であるリック・スタイナースタイナー・ブラザーズ)、同じく投げっぱなし式のベイダーなどが挙がる。

かつては圧倒的な威力を誇り、芸術的な美しさを持つ技であったことから、プロレス技の王と称されてきたが、改良を加えた派生技の発展と、受身の技術の向上に伴い、中盤の痛め技として使われることが多くなっていた。しかし近年では高山善廣のエベレストジャーマンを筆頭に、ドン・フジイのナイスジャーマン、中嶋勝彦の高角度式ジャーマン、空中で一旦タメを作る佐藤耕平の二段式ジャーマン、膝をバネにして威力を増す柿本大地など、技を磨き上げることで決め技として使用する選手も増えてきている。

派生技

ここで紹介するのは、複数のプロレスラーが使用するものにとどめる。

投げっ放し式(投げ捨て式、放り投げ式、ホイップ式)
フォールを取りにいかずに、クラッチを解いて放り投げる。相手は首をひん曲げたまま1回転してしまうことも。投げ捨て式、放り投げ式、ホイップ式とも呼ばれる。リック・スタイナーが公開したのを始まりとして、弟のスコット・スタイナーのほか、ゲーリー・オブライト三沢光晴ベイダー諏訪魔杉浦貴が主な使い手。本田多聞は空中で1度タメを作って投げっ放す、投げるまでの動きが遅いのが特徴の「デッドエンド」を決め技にしている。なおカール・ゴッチは必ず固めていて、投げっぱなし式は使っていない。また馳浩は「ブリッジの美しさを壊している」として、投げっぱなしジャーマンを否定する旨の発言をしている。
高速式(低空式)
相手をあまり高く持ち上げず、その分、投げるスピードを速くして投げる。投げるというより、後方へ相手をスライドさせるようなイメージ。ホールドする選手としない選手がいる。オブライトや山崎一夫ヒロ斎藤ドン・フジイなどが使い手。フジイは「ナイスジャーマン」と命名している。
高角度式
相手を高く持ち上げ、角度をつけて投げ落とす。高山善廣は角度が高い上、日本人選手としては並外れた長身から繰り出されることからエベレスト・ジャーマン・スープレックスと呼ばれる。中西学はこれに対抗して富士山・ジャーマン・スープレックスと名付けた。他にはタイガーマスク(初代)が使い手として有名だが、前述の二名とは若干モーションが異なり、さらにブリッジを効かせた“超高角度式”ともいえるものである。(別名「蔵前ジャーマン・スープレックス」)
連続式(起き上がり小法師式、ロコモーション式、連発式)
相手を1度投げきった後、相手をクラッチしたまま横に寝転がって仰向けからうつぶせに移り、立ち上がりながら相手を起き上がらせて、もう1度投げる。クリス・ベノワやオブライトや菊地毅は3連発、4連発まで繰り出した。ロコモーション式、連発式、連続式とも呼ぶ。
ハイクラッチ式
腕のクラッチ位置が腰でなく胸、もしくは脇の下。そのため受身が取りにくい体勢で投げられる。杉浦が使用しており、ホールドする時としない時がある。
2段式(急角度式)
腰でクラッチし持ち上げ、空中でクラッチ位置を下げると同時に一気にブリッジして叩きつける。ブリッジのタイミングが遅いので、垂直落下に近い角度で落とすことが出来る。佐藤耕平中嶋勝彦などが代表的な使い手であるが、潮崎豪も使用したことがある。
マヤ式
ジャーマン・スープレックスで投げてから、仕掛けたほうがマットを蹴って一回転し、レッグロールクラッチ・ホールドでフォールをとる技。ウルティモ・ドラゴンのオリジナルムーブである。スペル・デルフィンはジャーマン2連発のあとに固める(デルフィン・スペシャル1号)。因みに元祖は「1・2の三四郎」及び「1・2の三四郎 2」にて西上馬之助(オコノミマン)が披露したムーブである。
ローリング式
マヤ式と異なり、仕掛けた方が一回転した後、さらにジャーマンを放つ。オリジナルは、週刊少年ジャンプ連載「リッキー台風」から。キャンディー奥津茂木正淑が得意としていた。
ダルマ式
クラッチ時に相手の両腕を取り、受身を出来ないようにして投げる。受身が取れず、頭から突き刺さるしか無い危険な技のため、タイトル戦などのここ一番の決め技として使われることが多い。主な使い手は風間ルミ保永昇男など。最近では棚橋弘至宮原健斗戸澤陽(パッケージ・ジャーマン・スープレックス・ホールドという名称で、こちらは溜めも作る。)がよく使う技である。
また、高山も過去の大一番でこの「ダルマ式」を敢行したことがあった(そのうち2回は小橋建太とのシングルマッチで、いずれもベルトのかかった試合)が、成功例は未だに無く一部では「幻の秘技」扱いされている。
片足抱え込み式(トルネード・ジャーマン・スープレックス・ホールド)
中嶋が考案。片腕で相手の片足を抱え込みつつ、もう一方の腕で相手の腰をクラッチし、さらに腰をクラッチした腕と足をクラッチした腕をつないだ状態で決めるジャーマン・スープレックス・ホールド。
トルネード式、トルネード・スープレックス・ホールド、トルネード・ジャーマン・スープレックス・ホールドとも呼ばれる。
ぶっこ抜き式
うつ伏せにダウンしている相手の後方から両手で腰を抱え、そのまま強引に引き起こし、そのままジャーマン・スープレクスを決める。様々な型のジャーマン・スープレックスに応用可能。関本大介高橋裕二郎、杉浦、オブライト等がよく使用し、背筋力に自信がある選手が使う場合が多い。
スパイダー・ジャーマン・スープレックス
セカンドロープ(もしくはトップロープ)に足を引っ掛けておいての雪崩式(この状態での投げ技をスパイダー式と呼ぶ)のジャーマン・スープレックス。投げた後はぶら下がった状態になるが、腹筋の力で起き上がって別な技に移行する者もいる。折原昌夫が初披露。折原の他には菊地、真壁刀義が使い手である。天龍源一郎も一時期使用していた。菊地の場合はフロントスープレックスに応用している。
クロスアーム・スープレックス
ダルマ式の派生で、相手の両手を相手の腹部で交差させ、自分の右手で相手の左腕を、自分の左手で相手の右腕を取り、投げる。だるま式同様受け身がとれない。保永昇男が考案し、主な使い手は高岩竜一ウルティモ・ドラゴン、折原、丸藤正道土井成樹など。和名は「(両)腕交差式原爆固め」。ウルティモ・ドラゴンのそれはアステカ式とも呼ばれる。
ライガー・スープレックス
獣神ライガーのデビュー戦のフィニッシュ技。相手の片手を反対の足の下で掴み、そのままジャーマン・スープレックスに移行する技。また、山田恵一が使用していた頃は飛燕原爆固めと名づけられていた。
カオスセオリー・スープレックス(ロールスルー・ジャーマン・スープレックス)
ダグ・ウイリアムスのオリジナル技。レッグロールクラッチ・ホールドの要領で後方回転した後、その勢いを利用しそのまま流れるようにジャーマン・スープレックス・ホールドを放ち、固める。ロールスルー式原爆固め。

なおフロント・スープレックスダブルアーム・スープレックスサイド・スープレックスなどもあるが、これらを「スープレックス」と呼ぶのは厳密には正確ではない。スープレックスの項参照)。また、以下の派生技も同様である。

防御法

  • 肘で相手の頭を打ちつけ、脱出する。(脱出に成功した場合、素早く回り込んでひるんだ相手の背後を取ることが可能であり、ジャーマン・スープレックスをかけかえすチャンスがある。)
  • 手で強引に相手の腕のホールドを解き、脱出する。
  • 自らの足を相手の脚の後ろに回してフックする。(その後、エルボーなどで脱出)
  • 投げようとする隙を突き、相手の腕をホールドしたまま前転して丸め込み、ピンフォールに持ち込む。
  • 後方の相手の股間を蹴り上げる(急所攻撃のため一般に反則であるが、蹴り上げると同時にレフェリーにすがりつき、自分の蹴りを見せないようにする者もいる)。
  • 投げられた瞬間、後方に身体を回転させ、バック転の要領で足から着地する(投げっぱなし式(リリース式)のジャーマン・スープレックスに対して、特に有効である)。
  • 投げられた瞬間、意図的に背後に跳び、背中から落ちることで、直接首から落とされることによるダメージを軽減する。
  • ロープに逃れる。(このとき、ロープブレイク判定のためレフェリーはロープを注視する。前述の「相手の股間の蹴り上げ」のチャンスでもある。)
  • ロープに逃れ、反動でレッグロールクラッチホールドに持ち込む。

その他

  • 「ジャーマン」の名の由来は、カール・ゴッチナチスギミックであったため。ゴッチ自身は単に「スープレックス」と呼ぶ。
  • アメリカでは、カール・ゴッチのジャーマン・スープレックスはアトミック・スープレックス・ホールド(atomic suplex)とも呼ばれていた。
  • 日本語名は「原爆固め」。カール・ゴッチがこの技をはじめて日本で披露した際に、東京スポーツ桜井康雄がインタビューで技の名前を訊ね、記事にもそのように書いた。しかし、「ジャーマン・スープレックス」では紙面を飾りにくいと考えたデスクが「日本語じゃなんて言うんだ」と聞いた際、桜井が米国でカール・ゴッチのスープレックスがアトミック・スープレックス・ホールドと呼ばれていたことを参考に「原爆固めです」と答えたのが命名となったという(『リングの目激者』〈都市と生活社・1983年〉180 - 181頁)。
  • 同様の日本語名が付けられた技の代表例は以下の通り。
  • 「週刊プロレス」では被爆者等に配慮し、現在は「原爆」という名称を使用していない。
  • WWEでは、首から落ちない(落とさない)よう、掛けられる側がリングを蹴って反動をつけて肩から落ちている。とは言え、日本のプロレスでも自分から跳び、叩きつけられるタイミングを捉えてダメージを軽減するのは受身の技術として立派に存在している。
  • 総合格闘技の試合でも、レスリング出身の選手が希に見せる。UFCのリング上でダン・スバーンが連発で見せ、プロレスファンを歓喜させた。総合格闘技のマスコミ誌面やサイトでも「ジャーマン」と略称で呼ばれることが多い。シュートボクシングでは競技確立の手助けをしてくれたカール・ゴッチに敬意を表して「ジャーマン・スープレックス」とプロレスと同じ名称をつかっている。
  • 1974年3月19日蔵前国技館で行われたアントニオ猪木対ストロング小林戦では一進一退の激闘の末、アントニオ猪木が決め技としてジャーマン・スープレックスを使い勝利を収めた。日本人同士の試合という話題性、そして衝撃的な決め技の結末に当時の観客および視聴者に鮮烈な印象を残した。
  • 2007年11月10日放送分のタモリ倶楽部において、カール・ゴッチ追悼企画として「ジャーマン・スープレックス大賞」と題して有名な使い手(主にゴッチの弟子筋のレスラー)がジャーマン・スープレックスを敢行するシーンを集めて鑑賞するという企画が放送された。この中で紹介されたレスラーは登場順に、カール・ゴッチ、藤波辰爾、初代タイガーマスク、前田日明、高田延彦、山崎一夫、越中詩郎、ヒロ斎藤、馳浩、リック・スタイナー、関本大介であった。

関連項目