ジェイミー・マリー
| ||||
---|---|---|---|---|
ジェイミー・マリー | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | James Robert Murray | |||
愛称 | ジェイミー | |||
国籍 | イギリス | |||
出身地 | 同・ダンブレーン | |||
生年月日 | 1986年2月13日(38歳) | |||
身長 | 190cm | |||
体重 | 84kg | |||
利き手 | 左 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 2004年 | |||
ツアー通算 | 15勝 | |||
シングルス | 0勝 | |||
ダブルス | 15勝 | |||
生涯獲得賞金 | 6,447,000 アメリカ合衆国ドル | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 優勝(2016) | |||
全仏 | 3回戦(2014・15) | |||
全英 | 準優勝(2015) | |||
全米 | 準優勝(2015) | |||
優勝回数 | 1(豪1) | |||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
全豪 | ベスト8(2016) | |||
全仏 | ベスト4(2011) | |||
全英 | 優勝(2007) | |||
全米 | 準優勝(2008) | |||
優勝回数 | 1(英1) | |||
国別対抗戦最高成績 | ||||
デビス杯 | 優勝(2015) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 834位(2006年5月22日) | |||
ダブルス | 1位(2016年4月4日) | |||
2016年4月1日現在 |
ジェームズ・ロバート・マリー(James Robert Murray /ˈdʒeɪmi ˈmʌri/, 1986年2月13日 - )は、スコットランド・ダンブレーン出身の男子プロテニス選手。アンディ・マリーの1歳年上の兄で、ダブルスのスペシャリストとして活動している。左利き。シングルスにはほとんど出場せず、4大大会の男子シングルスには1度も出場記録がない。これまでにATPツアーでダブルス15勝を挙げている。彼は様々なダブルス・パートナーと組んで好成績を出しており、弟のアンディと兄弟ペアを組む時もある。趣味のゴルフではハンデキャップ3の力量を持っている。
シングルス・ダブルス通してイギリス人初の世界ランキング1位。[1]イギリス人20年ぶりのウィンブルドン優勝者。グランドスラム優勝2回。イギリス人男子43年ぶりの全米ダブルス決勝進出。また2015年デビスカップではイギリスの79年ぶりの優勝に貢献。
来歴
マリー家の兄弟2人は、スコットランドのナショナル・コーチを務めていた母親の手ほどきでテニスを始めた。一緒にラケットを握った時、兄ジェイミーは4歳、弟アンディは3歳だった。ジェイミーの公式サイトによれば、少年時代に家族でウィンブルドン選手権を観戦した頃「自分はできる限り多くの試合を見ようとしたが、アンディはできる限り(選手たちの)サインをねだることに夢中だった」という。ジュニア選手のトーナメントでは、2004年全米オープンの男子ジュニアダブルス部門でアンディと組んだベスト4がある。同年に18歳でプロ入り。最初期は男子ツアー最下層の大会群(フューチャーズ)でシングルス戦もこなしたが、2006年4月以後はダブルスのみに専念するようになった。
2007年、ジェイミー・マリーはエリック・ブトラック(アメリカ)と組んで男子ツアー大会のダブルスに3勝を挙げ、2007年ウィンブルドン選手権混合ダブルスでエレナ・ヤンコビッチとコンビを組んで優勝した。J・マレーとヤンコビッチは、決勝でヨナス・ビョルクマン(スウェーデン)&アリシア・モリク(オーストラリア)組を 6-4, 3-6, 6-1 で破って栄冠を獲得した。イギリス人選手がウィンブルドンを制覇したのは、1987年の混合ダブルスを制したジェレミー・ベイツ&ジョー・デュリー組(この組は2人ともイギリスペア)以来20年ぶりの快挙であった。
2008年は、2月のアメリカ・フロリダ州デルレイビーチ大会でマックス・ミルヌイ(ベラルーシ)と組んだ優勝がある。8月の北京五輪には、イギリス代表選手としてジェイミーとアンディの兄弟ペアが男子ダブルスに出場し、2人は2回戦でフランス代表のアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組に 1-6, 3-6 で敗れた。オリンピック終了後、ジェイミーは全米オープン混合ダブルスでリーゼル・フーバーと組み、自身2度目の4大大会混合ダブルス決勝に進出した。ここではリーンダー・パエス(インド)&カーラ・ブラック(ジンバブエ)組に 6-7, 4-6 で敗れ、混合ダブルス2冠のチャンスを逃している。
2010年11月のバレンシア大会でジェイミーは、弟のアンディと組んだダブルスの決勝でマヘシュ・ブパシ&マックス・ミルヌイ組を 7–6(8), 5–7, [10–7] で破った。2011年の楽天ジャパンオープンでもアンディと組み優勝し、ダブルスツアー7勝目を挙げた。
2015年は躍進の年となった。ジョン・ピアーズと組み、ウィンブルドン選手権で決勝に進出。決勝ではジャン=ジュリアン・ロジェ&ホリア・テカウ組に6–7(5–7), 4–6, 4–6で敗れた。全米オープンでも再び決勝に進出。決勝ではピエール=ユーグ・エルベール&ニコラ・マユ組に4-6, 4-6で敗れた。 デビスカップ2015でもダブルスで活躍。1回戦のアメリカ戦ではドミニク・イングロットと組み、ブライアン兄弟に敗れたが、準々決勝以降は弟のアンディ・マリーと組み、フランス戦ではジョー=ウィルフリード・ツォンガ&ニコラ・マユ組に、オーストラリア戦ではサム・グロス&レイトン・ヒューイット組に、決勝ベルギー戦ではスティーブ・ダルシス&ダビド・ゴファン組に勝利し、イギリスの優勝に貢献した。
2016年はブルーノ・ソアレスと組み、年初のシドニー国際で優勝すると、全豪オープンで2015年のウィンブルドンから3大会連続決勝進出を果たすと、決勝でダニエル・ネスター&ラデク・ステパネク組に2–6, 6–4, 7–5で勝利し、男子ダブルスでのグランドスラム初タイトルを手に入れた。
4月4日付の世界ランキングで世界ランク1位になることが確定した[2]。
主要大会決勝
グランドスラム決勝
男子ダブルス: 3 (1–2)
結果 | 年 | 大会 | サーフェス | パートナー | 相手 | スコア |
準優勝 | 2015 | ウィンブルドン選手権 | 芝 | ジョン・ピアーズ | ジャン=ジュリアン・ロジェ ホリア・テカウ |
6–7(5–7), 4–6, 4–6 |
準優勝 | 2015 | 全米オープン | ハード | ジョン・ピアーズ | ニコラ・マユ ピエール=ユーグ・エルベール |
4-6, 4-6 |
優勝 | 2016 | 全豪オープン | ハード | ブルーノ・ソアレス | ダニエル・ネスター ラデク・ステパネク |
2–6, 6–4, 7–5 |
混合ダブルス: 2 (1–1)
結果 | 年 | 大会 | サーフェス | パートナー | 相手 | スコア |
優勝 | 2007 | ウィンブルドン選手権 | 芝 | エレナ・ヤンコビッチ | アリシア・モリク ヨナス・ビョルクマン |
6–4, 3–6, 6–1 |
準優勝 | 2008 | 全米オープン | ハード | リーゼル・フーバー | カーラ・ブラック リーンダー・パエス |
6–7(6–8), 4–6 |
デビスカップ
優勝 (1)
年 | イギリスチーム | ラウンド/相手 |
---|---|---|
2015年 | アンディ・マリー ジェームズ・ウォード ダン・エバンス カイル・エドマンド ジェイミー・マリー ドミニク・イングロット |
1R: イギリス 3–2 アメリカ QF: イギリス 3–1 フランス SF: イギリス 3–2 オーストラリア FN: ベルギー 1–3 イギリス |
ATPツアー決勝進出結果
ダブルス: 30回 (15勝15敗)
4大大会成績男子ダブルス
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
混合ダブルス
出典
外部リンク
|