ショーン・ペイトン

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ショーン・ペイトン
Sean Payton
refer to caption
2021年
基本情報
ポジション クォーターバック
生年月日 (1963-12-29) 1963年12月29日(60歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンマテオ
身長: 5' 11" =約180.3cm
体重: 200 lb =約90.7kg
経歴
高校 ネイパービル中央高校
イリノイ州ネイパービル
大学 東イリノイ大学
ドラフト外 1987年
所属歴
選手歴
1987 シカゴ・ブルーザーズ
1987 ピッツバーグ・グラディエーターズ
1987 オタワ・ラフライダーズ
1987 シカゴ・ベアーズ
1988 レスター・パンサーズ
コーチ歴
1988-1989 サンディエゴ州立大学 (OA)
1990-1991 インディアナ州立大学 (RBC&WRC)
1992-1993 サンディエゴ州立大学 (RBC)
1994-1995 マイアミ大学 (オハイオ州) (OC)
1996 イリノイ大学 (QC)
1997-1998 フィラデルフィア・イーグルス (QC)
1999-2002 ニューヨーク・ジャイアンツ (QC&OC)
2003-2005 ダラス・カウボーイズ (AHC&QC)
2006-2011 ニューオーリンズ・セインツ (HC)
2013-2021 ニューオーリンズ・セインツ (HC)
受賞歴・記録
その他受賞・記録(選手として)
東イリノイ大学殿堂入り
スーパーボウル制覇(コーチとして)
2009年(第44回)
その他受賞・記録(コーチとして)
NFL最優秀コーチ賞(2006)
NFL 通算成績
通算TD-INT 0-1
通算パス獲得ヤード 79
パス成功率 34.8%
パサーレイティング 27.3
Player stats at NFL.com
ヘッドコーチとしての通算成績
レギュラーシーズン 143–81 (.638)
ポストシーズン 9–8 (.529)
通算成績 152–89 (.631)
Player stats at PFR
Coaching stats at PFR

パトリック・ショーン・ペイトンPatrick Sean Payton1963年12月29日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州サンマテオ出身のアメリカンフットボール元選手、コーチ。現役時代のポジションは、クォーターバック(QB)。NFLニューオーリンズ・セインツヘッドコーチを務めて第44回スーパーボウルを制覇しており、セインツの歴代ヘッドコーチの中で一番勝ち星を上げている。2019年に5年契約を結んだが、2021年シーズン終了後、退任した。

プロとしての現役はわずか2年間だったが、アリーナフットボールリーグ(AFL)、カナディアン・フットボール・リーグ(CFL)、NFL、またリーグに所属していなかったイギリスのチームにも在籍した。

経歴

選手時代

高校時代からQBとして活躍した。奨学金を得て、東イリノイ大学に進学、1986年にはチームは11勝2敗でディビジョンI-AAのプレーオフで準決勝に進出した。

1987年NFLドラフトでは指名されず、カンザスシティ・チーフスのトライアウトに参加した。アリーナ・フットボール・リーグのシカゴ・ブルーザーズ、ピッツバーグ・グラディエイターズでプレーした後、カナディアン・フットボール・リーグオタワ・ラフライダーズに所属した。その後同年NFLのストライキが起きた際は、シカゴ・ベアーズの代替選手となった。3試合に出場した彼はパス23回中8回成功(成功率34.8%)、79ヤードを獲得、1TD、1INT、QBレイティング27.3の成績を残した。なお彼がインターセプトを喫したのはニューオーリンズ・セインツ戦であった。

1988年にはイギリスのプロリーグ、バドワイザー・ナショナル・リーグに所属するレスター・パンサーズでプレーした。彼が先発QBを務めたチームはブリティッシュ・リーグ準決勝に進出した。このシーズン終了とともにアメリカに戻った彼は選手生活に別れを告げた。

指導者時代

1988年、サンディエゴ州立大学のオフェンスアシスタントとして指導者のキャリアを始めた彼は、インディアナ州立大学マイアミ大学イリノイ大学のコーチを経て、サンディエゴ州立大学に戻った。

1997年フィラデルフィア・イーグルスのQBコーチに就任した。カレッジのコーチ時代、彼はマーシャル・フォークを指導している。

1997年、1998年とペイトンはジョン・グルーデン攻撃コーディネーターの下でQBコーチを務めた。1998年にグルーデンがオフェンスラインコーチのビル・キャラハンも連れてイーグルスを去った。後任のヘッドコーチにレイ・ローズが就任するとペイトンは解雇された。イーグルスの1997年のパス攻撃は、4.009ヤードを獲得した。

1999年ニューヨーク・ジャイアンツのQBコーチに就任、2000年には攻撃コーディネーターに就任した。この間チームは第35回スーパーボウルに進出した。

2002年、ジャイアンツの攻撃陣が十分なパフォーマンスを見せられない試合を何試合か演じた後、ペイトンはプレーコールをする権利をジム・ファセルヘッドコーチに奪われた。同年チームはワイルドカードでプレーオフに進出した。

2003年ビル・パーセルズの下でアシスタントヘッドコーチ及びQBコーチに就任した。カウボーイズで彼はクインシー・カータービニー・テスタバーディドリュー・ブレッドソーを指導した。

2006年ニューオーリンズ・セインツのヘッドコーチに就任した。本拠地のニューオーリンズは前年のハリケーン・カトリーナで甚大な被害を受け、リーグで下から2番目となる3勝13敗でシーズンを終えた。

フリーエージェントでQBドリュー・ブリーズを獲得、この年チームはパス攻撃で1位、得点で5位となり、10勝6敗でNFC南地区で優勝、チーム史上2度目となるプレーオフ勝利をあげた。NFCチャンピオンシップゲームではNFC第1シードのシカゴ・ベアーズに14-39で敗れたが、2007年1月、ペイトンは50票中44票を獲得し、NFLコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

2007年は7勝9敗に終わった。

2009年、レギュラーシーズンを13勝3敗で終えたセインツは、第44回スーパーボウルインディアナポリス・コルツを31-17で破り優勝した。

2011年10月16日のタンパベイ・バッカニアーズ戦でタックルを受けた相手TEジミー・グラハムと接触し脛骨MCLを負傷した。

2012年、セインツが相手チームの選手に怪我を負わせた守備選手に報奨金を支払っていたことが明るみに出て、チーム並びに多くのコーチ、選手が処分を受けた。ペイトンは1年間の活動停止処分となり、その年は息子の学校のコーチを務めた。この年のペイトンの行動に基づき、Netflixが2022年に映画『ホーム・チーム』("Home Team")を公開した[1]

2013年、セインツと複数年の契約延長を果たした。

2016年3月23日、セインツと5年の延長契約に合意した。同年12月24日の勝利でジム・モーラ・シニアのヘッドコーチとしての勝利数記録を更新する94勝目をあげた。

2017年、11勝5敗でチームは4年ぶりに勝ち越しワイルドカードでプレーオフに進出した。ディビジョンライバルのカロライナ・パンサーズを破り、ディビジョナルプレーオフでミネソタ・バイキングスと対戦した。0-17とリードを許したが24-23と逆転、試合最後のプレーで相手QBケイス・キーナムステフォン・ディグスに投げた27ヤードのパスがランアフターキャッチを許し、61ヤードのTDパスとなり24-29で敗れた。NFLのプレーオフ史上決勝TDパスが成功し、試合がそのまま終了したケースとなった。このプレーは後にミネアポリス・ミラクル英語版と呼ばれるようになった。

2018年、13勝3敗でチームはNFC第1シードを獲得した。ディビジョナルプレーオフで前年のスーパーボウルチャンピオンフィラデルフィア・イーグルスを20-14で破り、NFCチャンピオンシップゲームでロサンゼルス・ラムズと対戦したが延長の末、23-26で敗れた。この試合の第4Q残り1分45秒でセインツWRトミーリー・ルイスニッケル・ロビー=コールマンにヒットされたプレーはパス・インターフェアランスの反則がコールされるべきであったのではと論争を呼んだ。

2019年9月15日、セインツと5年の契約延長に合意した。13勝3敗でシーズンを終えたがワイルドカードプレーオフでミネソタ・バイキングスに延長の末、20-26で敗れた。

新型コロナウィルスの流行した2020年、第2週の試合でマスクを着用しなかったことによりNFLから10万ドルの罰金を科された。

2021年シーズン終了後、ドリュー・ブリーズが引退を表明、ペイトンもその後退任することを明らかにした。16シーズンで161勝97敗の成績を残した。

脚注

  1. ^ @sportingnews (2021年4月12日). "Kevin James is going to play Saints coach Sean Payton in a Netflix movie called "Home Team." The movie is based on when Payton was suspended in 2012 and coached his son's sixth-grade football team". X(旧Twitter)より2021年4月12日閲覧

外部リンク